ぽつり、と冷たい何かが顔にあたった。あぁ、降りだしてしまった。
今日の降水確率は低かったけど、午後になって急に曇りだして、雲行き怪しいなと思っていたら案の定だ。仕事終わりでやっと家に帰るところだったのに。いや、仕事帰りだから帰るだけだし逆にラッキーだったかな?
ぽつぽつと降りだした雨がどんどんと強くなって本降りになってくる。周りの人も天気予報を信じてたのか傘を持っていない人ばかりで、慌てて駆け抜けていく。
私もあと家まで5分くらいだ。もう少し濡れてしまったけど、走ろうか―そう鞄を握りなおしたとき、道の先にぽつんと男の子が一人立っているのが見えた。
おそらく小学生、低学年くらいだろう。小さな頭を伏せながらじっと道を見つめている。
しかしもう小学生が一人で出歩いていい時間ではない。私はため息を吐き出して、その男の子に近づいた。


「ぼく、一人?お母さんは?」


私がそう声をかけると男の子は顔を上げた。そして思わずあっと声をもらす。以前公園で出会ったやけに負けず嫌いの金髪の男の子だった。
男の子は私の声をきいて顔を一度上げたが、また伏せてしまい小さく首を横にふった。その揺れで前髪から少し水滴が飛ぶ。


「おうちは?どうしてここにいるの?」
「……」
「お母さん、心配してるよ、きっと」


私がしゃがみこんで男の子の顔を覗き込みながら言うと、男の子は小さくまた横に首をふってきゅっと唇をかみしめた。自分のTシャツの裾を握りしめている手は震えている。じわじわと涙が眼にたまっていくのを見て、私はその男の子の頬を手で包み込み、そっと顔を上げた。





「ちょっとまってね、タオルもってくるから」


泣きそうな一人でいる男の子をほおっておくこともできず、私は男の子を連れて自宅へと帰ってきてしまっていた。男の子は私に手を引かれ、最初は驚いていたものの大人しくついてきており、今は珍しそうに玄関を見渡している。


(……誘拐犯とかで捕まらないよね)


洗面所からバスタオルを取り出しながら考える。ただ、あの雨の中放置はできない。仕方なかったんだと誰が聞いているわけでもないのに言い訳しながら棚を閉じた。
玄関に戻ると男の子は大人しく玄関に立っていた。靴も脱がすにじっとこちらを見つめている。ぽたりぽたりと洋服や髪から一定のリズムで水滴が滑り降りていく。


「……お風呂、入る?」
「や、やだ!!!」


久しぶりに聞いた声はやはり生意気だった。






かたくなにお風呂に入りたがらないので、仕方なく玄関先でタオルを私のTシャツを貸した。大人しくそこで着替えさせようとしたら真っ赤になって怒るのでとりあえず手渡して私も洗面所でスウェットに着替えることにする。
着替え終わって廊下に戻ると男の子が相変わらずぽつんとたっているので手招きをすると小さな脚を動かしながらこちらへと近寄ってくる。


「乾燥機に洋服入れるからちょっと貸してね」
「ん」
「ありがとう、洋服乾くまでちょっとまっててね」


私がそういうと男の子はちいさくコクンと頷いた。男の子は私についてきながらリビングへとやってくる。


「体冷えちゃったね、なんか温かいもののむ?それともジュースとかがいい?」
「…おちゃ」
「おちゃ?」
「りょくちゃがいい」


リビングに立ち尽くしたまま男の子がぽつりぽつりと話すので、私はこっそりと笑ってからお湯を沸かす準備をする。緑茶かぁ、渋い趣味だな。
電子ケトルで必要な分だけお湯を沸かしながら今度は茶葉を準備する。安いやつだが、まぁいいだろう。
男の子はタオルを握りしめたまま立ち尽くしているので、好きなところに座ってていいよと声をかけるとローテーブルの近くにすとんと座っていた。こうみると素直でいい子だ。

子供の手に湯呑は熱そうだったので、マグカップに緑茶を入れて男の子前におく。男の子はじっとそのマグカップを見つめて、そっと両手で握りしめた。私は自分の分のマグカップを置きながら男の子の向かいに座る、


「熱いから気を付けてね」
「ん」
「ね、名前なんていうの?」


一生懸命コップの中身をちみちみ飲む男の子に声をかける。もしかしたら知っている人の子供かもしれない。名前を聞いたのも変な意味では決してない。決して!
だけど、若干嫌われている気もするので、教えてくれないかもなぁと見つめていると男の子はちらりと私をみてまたマグカップに視線を戻した。


「れい」
「えっ」
「ふるやれい。ぼくのなまえ」


ふーふー、ちみちみ。少しづつコップの中身を飲みながら小声で答えてくれたのはどうやら名前のようだ。


「れいくん。小学生?」
「うん」
「そう。おうちはこのへん?」


私がそう聞くとれいくんは黙り込んでしまった。家のことについてはとことん教えてくれないらしい。
とにもかくにも、洋服が乾かない限り家に帰すことはできないので私はれいくんの頭をくしゃりと撫でて立ち上がった。


「れいくんお菓子すき?ポテチは?」
「たべたことない」
「たべたことない?!れいくんもしかしていいとこのおぼっちゃんなの?」


私はうすしお味のポテチの袋を握りしめ、れいくんの向いに座りなおす。ばりっと袋を開けてれいくんに差し出すとれいくんは私と袋を何度か見比べて、そっと手を伸ばした。
ぱり、と大きな一枚の半分を口に入れる。もぐもぐとかみしめた後、れいくんの顔がぱっと華やいだ。


「おいしい?たべていいよ」
「ん」
「お茶おかわりほしかったらいってね」
「ん」


しばらく二人でポテチをたべていると乾燥機の終わった音が聞こえてきた。私は立ち上がって、洗面所へ向かう。乾燥機かられいくんの洋服を取り出すと、うん乾いてる、
リビングに戻るとれいくんはマグカップをじっと見つめていた。れいくん?声をかけるとぱっとこちらに振り向いたが私が手に持っていた服をみて眉毛をハの字にたれ下げている。


「はい、服乾いたよ。着られる?」
「きれる」

洋服を渡すと、れいくんはぱたぱたと廊下に走っていってしまった。着替えを見られるのは恥ずかしいのかなぁ、小学生くらいの子はきっと難しい年頃だ。親御さん大変だなぁ。
れいくんは元着ていた服に戻り、手には今度は私のTシャツが握られていた。それを受け取るとれいくんは元の位置にすとんと座り込んでお茶を飲んでいる。


「れいくん、服乾いたし、帰らないと」
「やだ」
「やだじゃなくて……このままだとお姉ちゃんが怒られちゃう」
「なんで?」
「なんでって……知らない子をね、大人が家につれてくることは悪いことなんだよ」
「あまやどりさせてくれたのに?」
「そうだね、それでもだめなんだよ。それにね、れいくんもね、こんな知らない大人の家についてったら危ないよ。親御さんも心配してるし、なにがあるかわからないんだから」
「……」
「こわ〜い大人もいるんだよ。れいくんかわいいし、知らない大人が―」
「……じゃない」
「…えっ?なに?」

「おねえちゃんは!知らない大人じゃない!ぼくをたすけてくれて―しらないひとじゃない!」


ばんとれいくんが勢いよくマグカップをローテーブルにおいた。あっ割れてないかな?そんなことを考えている隙にれいくんはぴゅっと私の横をすり抜けて玄関へと走り去っていく。
まって、そう言ったのと同時にれいくんは自分のスニーカーを脚にひっかけて玄関から飛び出していってしまう。慌てて追いかけて私も玄関から外にでてみるものの、そこにはもうれいくんの姿はなかった。
前回も思ったけど逃げ足が…はやい…


私は小さくため息を吐きながら玄関の扉を閉めた。
難しい。あれくらいの男の子はとても難しい。それでも、私のことを「お姉ちゃん」と、「知らない大人じゃない」と言ってくれたことにこっそりと笑みを浮かべてしまうのだ。