安心する匂い

「しまった!マントがないぞ!」

ふと、肩にあるマントの重みがないことに気が付いて慌てて時間を確認する。家まで引き返す時間があったのは不幸中の幸いだった。普段なら、忘れてしまったのなら仕方がないからまあ良いかくらいで置いていくこともあったが、さすがに今日はわけが違う。スポンサーやローズ委員長と会う約束に、あのマントを忘れていくわけにはいかないと慌てて踵を返すも、たぶん今回もまたリザードンの力がなければ家にすらたどり着かなかっただろう。
無事に家の前まで送ってくれたリザードンにありがとうと言ってその頭を撫でると、大慌てで家の中へ戻った。そういえば出る間際、彼女が家にいてくれたなと思いながらドアノブを引けば、それは鍵もかけられずに簡単に開いてしまい、思わず首をかしげた。

「? 不用心だぞ、ナマエ」

オレを見送るのは嬉しいが、そのあとは必ず鍵を閉めるようにとあれだけ言っておいたのに、しっかりしてるナマエにしては珍しい。不思議に思いながらも、帰ってきたらまた言っておかないといけないなと玄関先で仁王立ちした。少なくとも、今こうして部屋に入ってきたのがオレじゃなかったら、彼女が一体どんな目にあってしまうのか。想像するだけで寒気がする。
大股で廊下を抜け、リビングに飛び込めば、目当てのものはソファーの縁からはみ出ているのが見えた。こんな風に投げ捨てているなんて、それこそローズ委員長やその秘書に見られたらなんてお小言を食らっていただろうか。苦笑いしながらも、そのソファーに向かって足を踏み出して、それから伸ばしたオレの手はぴたりと止まった。

「……ナマエ?」

先ほどはソファーの背から見ていたからか、影にかくれて見えなかった姿が現れる。ただでさえオレに比べれば小柄な体躯がきゅっと丸められてソファーに沈んでいて、その身体がゆっくりと上下しているのを見ると、彼女が眠っていることは安易に分かった。そしてその腕の中には、あろうことかいまオレが探しているお目当てのマントがあって。
一瞬羨ましいと思ってしまった頭を振って、差し迫った時間も忘れて彼女の前にゆっくりと立つ。オレが目の前に立っても閉じられた目は開かれることはなく、常々思っていた睫毛の長さにみとれてしまったオレは、ほぼ無意識にその額に口付けていた。

「疲れていたのか?」
「……ん……、ダン、デ……」

オレが家を出てからそう時間は経っていないのに、ソファーで眠ってしまうくらいだ。そんなに日々疲れているのだろうか。オレが疲れさせてしまっているのだろうか。彼女が関係してくるとすぐに暗くなってしまう思考を打ち消すように、彼女が小さな声でムニャムニャと呟く。出てきたオレの名前に、思わずナマエのことを思い切り抱きしめたくなった。この後の予定が、キバナやホップとのバトルだったらほんの少しくらい許して貰えただろう。しかし残念ながら、そう上手くはいかない。

「ナマエ、ナマエ」
「……ん、」
「すまないが、マントを返してくれ。今日は仕事で使うんだ」
「え……ダンデ、?なんでここに、」
「急いで戻ってきた。外にリザードンを待たせてある」

気持ち良さそうに寝ているところを邪魔するのも忍びなかったが、致し方がないとその華奢な肩を揺する。寝ぼけ目で見つめてくる瞳にたまらなくなる気持ちはもちろんあったが、ぐっと堪えてナマエの握りしめるマントを引いた。オレが早口に戻ってきた旨を伝えれば、彼女はワンテンポ遅れてから、現状に気が付いて大慌てでマントを離す。ありがとうと頭を撫でたら、真っ赤な顔で胸を押された。

「ごめんなさい!は、早くお仕事行かなきゃ!ローズさんと待ち合わせなんでしょ?」
「それはそうなんだが……」
「だが、なに?」

押された勢いで胸に置かれた手をぎゅっと握りしめる。驚いたナマエがふりほどこうとするも、そこは男女の差。あとは寝起きと出掛け間際の差でびくともしない。その小さな手を握りしめたまま、彼女の寝起きの髪の毛をすいてやった。

「今日は一緒に眠ろうか」
「っ!」
「早く帰る。いい子で待っててくれ」

目を真ん丸にして驚いた彼女の表情を見て笑ってから、マントを片手に部屋を出る。転がるように家の外に出れば、リザードンが早くしろとばかりにひと鳴きした。その目が、ほんの少し呆れたように見えたのは気のせいだろうか。リザードンに聞けば、彼はなにも言わずに目を閉じた。
今日の約束は、暗に待っていてくれというお願いだった。仕事が終わって帰ってきたら彼女がいる、そんな状況が毎日続くなら、オレはきっと恐いもの無しだろう。そんな日が早く来ればいいし、何だったら今日明日にでも切り出そうか。何がなんでも早く仕事を終わらせてやるぞと思いながら、ローズ委員長のもとへ案内してくれるリザードンの後を追って走り出した。

夜、ベッドの中でマントを抱きしめて眠っていた理由を聞けば、オレの匂いがしたから安心したとナマエは言った。そんな無意識に囁かれる甘い言葉に、すまないが今夜は何事もなく寝かせてやれる自信がなくなったと心の中で何度か謝ることになるのは、昼の自分は想像すらしなかっただろうと思う。

200126