上機嫌王子様

身体の痛みで目を覚ますのは久々だった。
窓から射し込む光はだいぶ明るくて、結構な時間眠っていたことが伺える。寝室以外からの人の気配はなく、気配があるとすれば、同じベッドの上、私のすぐ隣で上半身裸のまま眠りこけている褐色肌の人物くらいだろうか。

私が起き上がって、掛け布団を半分引き剥がされたのが分かったのか、その褐色肌がうめき声と共に小さく震える。ぽすぽすと、手当たり次第にシーツを叩いていた腕が私の手首にたどり着くと、勢いよく腕を引かれた。
軸になっていた腕を引っ張られて体勢を崩さないはずもなく、私は避けることもできずに思いきりその褐色の胸にダイブしてしまった。無理な姿勢で落ちたこともあって、腰が鈍く痛む。きっとこの胸板の張本人は、そんなこと知ったこっちゃないんだろうけど。

「キバナさん、朝ですよ。お仕事はいいんですか」
「……」
「……キバナさん?」

私の身体をがっちりホールドしておきながら、今さらまだ寝てますなんていう嘘が通せると思っているのか。
すました表情で目を閉じるキバナさんの、普段は隠れているその額をペチンと軽く叩いてみる。きゅっと瞑られた目を見て、起きていることを確信するも、なぜこう寝たふりを続けるのかは分からない。
「キバナさーん」もう一度その名前を呼んでみるも、返ってきたのは、私のお腹周りを抱きしめる腕の力だけだった。
まったくもって、子供みたいなことをする人だと思う。

仕方がないから、私は伸ばした手でキバナさんの耳に触れた。ピアスのひんやりとした感覚を指先で何度か遊んでいると、ぴくりと揺れた腕の力を背中で察する。不意打ちだと思いながらも、心音の早まったその胸板に唇を寄せた。

「ッ、てめ」
「!」

ぐるりと視界が反転する。気が付けば私の視界には真っ赤になったキバナさんと、それから申し訳程度に半分引っ掛かっている掛け布団、あとは天井だけになっていて。
形勢逆転とばかりに彼に押し倒されたのだと気が付いたときには、キバナさんの髪の毛がぱさりと顔にかかってきて。突然のくすぐったさに、なんだこれはと目をぱちくりさせていると、首筋にぬくもり。それから、彼のぶあつい舌が私の首筋をぬるりと舐めた。
背中が粟立つ感覚に、もう一度彼の名前を呼んだら、なぜかがぶりと首筋に噛み付かれた。

「い、いたい!なにするの!」
「お前!このオレさまをもてあそぶつもりか!」
「な、なんのこと?!」

歯を立てられたことと突然の怒声に目を丸くする私に、キバナさんは真っ赤な顔のまま目をつり上げた。どうやら何か気に入らなかったことがあるらしく、小さく舌打ちまで聞こえる始末。
なんなんだとこちらも負けず劣らず声を荒らげれば、返ってきたのはまったく大したことのないことだった。きっと、彼にとってそれは大したことになんだろうけど。じゃなければ、プライドの高い彼がこんな風に悔しそうに怒ったりしない。

「呼び捨て!それから時々出る敬語!オレの前ではそんなもん全部なくせって言っただろ!」
「……あっ」

言われて思い出す。確かそんな流れになっていたような気がする。だけど、なにぶん……事が事の真っ最中だったうえに、昨日はいつもよりも激しめに攻め立てられたので、泥のように眠ったらすっかり忘れてしまったらしい。
ついいつものクセで敬称と敬語が私の口から出ていたのが、彼にとっては朝から気に入らなかったようだった。

まっすぐ見つめてくるシアンの瞳を見つめ返す。「なんだよ」小さく呟かれた反抗の声は、たぶんちょっと反省したんだと思う。大きな手のひらと指が、私の首筋にしっかりついてしまったであろう彼の歯形辺りをゆっくり撫でていた。

「ごめん、なさい。昨日かなり優しくない感じだったから、そのとき聞いてたこと寝たら忘れちゃってたかも」
「……言い方にトゲがあるな。まぁ、それに関してはオレも謝る。昨日はごめんな。あと、この首も」
「うん。首と身体中が痛いけど許す」
「お前なぁ……」

ちょっと意地悪だったかな。キバナさんもといキバナは、ばつが悪そうに下ろした黒髪をがしがしとかき乱しながら、あー、とか、うー、とかいう反省の声をブツブツと呟く。私もさっき、彼を起こすために弱点を攻めたことも追加で謝った方がいいかなとちょっと申し訳なく思えてくるも、それを言い出したらここで口論になりそうだから、棚に上げておくことにした。
ゴロンと隣に寝転んだキバナ。仕事はいいのかと聞こうと思ったけど、私の腰を撫でてくれる優しさに免じて、これもまた口をつぐんだ。

「昨日は久々にダンデのやつとバトルして、アドレナリン出まくったまま帰ってきたから、その……な。セーブが効かなかったのは確かだ」
「大人なんだから、そこはちゃんとしてよ」
「言っとくけど、お前もお前だからな?『いつもダンデダンデって、ダンデさんにヤキモチ妬いちゃうんだからぁ』って」
「ねえ、それ私の真似?全っ然似てないどころか、私そんなこと言ってない」
「言った。だから燃えたんだろ」
「サイテー」
「そんなサイテーな男に抱き潰されたお前も同族な」

もう何も言うまいと、いつの間にか上機嫌になったキバナの腰を撫でる腕を押し退けて、さっさと朝の支度に取りかかろうとベッドから降りる。否、降りようとした。
ベッドの上から、私を見下ろすキバナのちょっと驚いた顔と視線がぶつかる。そしてなぜか半笑い。なんかすごく、むかつくんですけど。

「……腰抜けたか?」
「もう!全部キバナさんのせいだ!」
「"さん"付いてるぞー」
「うるさいうるさい!」

子供みたいなことをしてるのはどっちなんだ。思うように動けなくて駄々をこねる姿なんて、こっちこそ子供みたいじゃないか。
ピーピー叫ぶ私を、ベッドから降りたキバナさんの腕が軽々と抱き上げる。ハイハイと笑いながらベッドの上まで戻されて、しかもご丁寧に掛け布団まで掛けられる始末。キッと睨み付けたら、髪の毛を結びながら私を見ていたキバナに「おー、こうかはいまひとつだな」なんて笑われた。

「じゃあお姫様、お大事に。何かあれば王子様の名前でも呼んでくれ。オレさまは支度するぜ」
「……ナニソレ」
「ん?いや、お前をお姫様抱っこで運んだオレさまって王子っぽくない?と思ってよ」

なんとなくな!と続けながらフフンとなぜか得意気なキバナに呆れて視線を外す。何を言い出してるんだと思ったけど、どうやら昨日の高揚感がまだ残ってるらしい。この独特の空気感とテンションは扱いが大変厄介だ。

「どっちかっていうと、王子様っぽいのはダンデさんだと思うけど」
「……ふーん?」
「キバナは騎士っぽいというか、お姫様を率先的に守っ、」

ぼんやり眺めていた天井だけだった視界が、いつの間にかキバナで埋め尽くされた。驚く間もなく噛みつくように重ねられた唇が、ねじ込まれた厚い舌が、昨日のように私の口内を問答無用で蹂躙していく。
押し退けようと肩に置いた手はびくともしない。待ってと声をあげようにも、両頬を掴まれたら呼吸すらままならない。挙げ句耳まで塞がれたら、これはもう、朝からとにかくマズい。
どちらのかも分からない唾液と、生理的に滲んだ涙がこぼれるころ、ゆっくりとその唇が離れていった。肩で息をする私を見下ろすキバナ。その目の奥が、昨夜と同じ色をしていて。

「お前を守るナイトってのも悪くねえけど、ナマエの王子はオレさまだ。ダンデじゃない」
「は、はひ……」
「あんまり妬かせんなよ。オレさまケッコー嫉妬深いの。昨日で身に染みたと思ったんだけど?まだ足りないか?」
「身にしみま、した」
「ヨシ」

ぐ、と手の甲で口元を拭ったキバナが、満足げにひとつ頷く。扱いが厄介だと思った矢先にやらかした自分が情けなくなりながらも、私も口元とをぐっと拭う。涙は、キバナの大きな指が掬っていってくれた。危うく、また腰が立たなくなりそうだった。

「そういえばお前も、耳弱いもんな。耳塞いでキスすると、すげーイイ顔するんだよ」
「っ、もう!はやく仕事に行ってください!」
「敬語取れよー」

あの言い方は、間違いなく起きがけに仕掛けたことを根に持ってる。やっぱり先手を打って謝っておいた方が良かったかもしれない。と思いながらも、謝ったら謝ったで仕返しという名のスキンシップを無理矢理される未来が簡単に想像ついて首を振った。
わしわしと私の頭を撫で回してから、キバナは手を振りながら寝室から出ていく。その剥き出しの背中を見送りながら、王子様気取るならさっさと服を着ろと、掛け布団を頭からかぶりながら悪態をついた。

200102