「お前のこと本気で口説くことにするわ」
彼にしては珍しい仏頂面からなんともないように発されたトンデモ発言に、口に運ぼうとしていたシフォンケーキがぽとりとお皿に落っこちる。驚きで開いたままだった口から「は?」と言う言葉が溢れるも、彼は全く気にするそぶりも見せず、私の間抜け面に向かって「なんだよその顔」なんて言いながらちょっとだけ仏頂面を綻ばせた。
そんな彼はさっきの発言を爆弾だとは思ってもみないのだろうか。長い脚をテーブルの下、に入りきらず斜めに組んで、優雅にコーヒーをすする姿はガラル中の女の子が熱狂するトップジムリーダー、ドラゴン使いのキバナさん。
「……なんのこと言ってるの?」
「言葉のままの意味」
「分かんないから聞いてるのに」
「分かろうとしてないんだろ、お前が」
「ねえ、言い方にトゲがあるよ」
「怒ってるからな」
「はあ〜?」
何の因果か、私とキバナとは昔馴染みの腐れ縁、というやつだ。いい年した私たちが並んで道を歩いていても騒がれないのは、きっとその腐れ縁というものが周りに馴染んできたからだろうとは思っている。(いつもキバナを追いかけてる記者がキバナと私とを見て「またふたりでいるんですか?」なんてガッカリ顔で言うくらいだから間違いない。)
しかしそのゆるやかな関係を、彼はぶち壊そうとしているのだろうか。口説くなんてそんな言葉、私に使うべきではないと思う。しかも詳細を聞けば聞くほど、キバナのゴキゲンはナナメに下がり続けているし。
お皿に落ちたシフォンケーキのかけらをお皿の上で何度か転がして、キバナの発言を噛み砕いていこうと試みる。も、やっぱり意味がわからない。少なくともキバナの言葉が足りないのは明らかで、私は温かい紅茶に口をつけながらそっとキバナの様子を伺った。遠くを見るように窓の外に視線を向けている彼が何を考えているのか、腐れ縁のくせに私はちっとも分からない。
「キバナが怒る意味も分からないし、口説かれる意味も分からない。そもそも口説かれるのって私なの?女の人違いじゃない?」
「お前、オレのことバカにしてるだろ」
「してないよ。してないけど、頑なになってるキバナのことは馬鹿だと思ってる」
腐れ縁で分からないこともあれば分かることだってもちろんある。今だって、私がちょっと煽ればこうやってすぐに怒気が顔に出るところとか。散々喧嘩したあとにお前むかつく、みたいな顔でジムトレーナーも引くくらいの勢いで私を睨み付けてるところとか。それで最後には、悪かったって言って私の好きなケーキを買ってきてくれるところとか。
考えれば考えるほど、私はキバナと今の関係のままいたいんだと思わされる。口説いて口説かれて、もし仮に一歩進んだ関係になったとしたら?正直今と変わらないかもしれないけど、昔馴染みの友人という立場から恋人になってしまったら?今までと同じような喧嘩に、フッたフラレたなんて入ってくるようになる。
「……頑ななのは、お前もだろ」
「なんで」
「目の前に線引きして、ここから先には絶対出ねえだろうって決めつけて生きてるだろ」
「……そんなこと、」
「ある。何年すぐそばで見てきたと思ってんだ」
的確に私の弱点を突いてくる鋭い視線をまともに受けきれなくて、ふいっと視線を逸らす。逸らした視線が何よりも答えを語っているのに、私はキバナの顔を直視することができなかった。
心当たりがありすぎた。昔から自分の予測の上や先にいくことが苦手で、自然とそういう流れになることは避けてきたのが、どうやらキバナにはバレバレだったらしい。
私の顔を伺おうとしたのか、ぐっと近付いた顔に「やめて」と小さい声で拒絶する。絶対聞こえていた。でもキバナは聞こえないふりをしていた。かちゃん、と音を立ててフォークを置いた私の手を、制すようにキバナの大きな手のひらが覆う。「もう一回言うぞ」囁かれた言葉に、跳ねるように顔を上げる。視線がキバナのシアンの瞳とぶつかった。
「お前を口説く。で、落とす。お前をどこの誰かも分からねえ男に横からかっ拐われるくらいなら、オレは今の関係を捨てる」
「や、やだ、キバナ」
「やだじゃねえ。さっさと飛び越えちまえよ、そんな線引き」
じゃなきゃこの手は離してやれねえ。
そう続けて、キバナの手のひらの力が強くなった。モンスターボールを片手で2つ握ることができるキバナの大きな手にとって私の握りこぶしを捕らえることなんて造作もないはずで、動かそうとする手はびくともしない。
あらゆる方面から視線を感じる。ようやく周知されかけていたいつもの腐れ縁のふたりという事実をキバナが本気で覆してこようとしていることに、まだ心が落ち着かないでいた。しばらくは、この問答が続きそうな気がする。
200211