我が儘なる龍の牙

「なあ、しねえ?」
「なにを?」
「なにって、エッチなこと」

突然のお誘いにぼんやりと読んでいた雑誌から顔を上げる。そこには私の目の前で、私がもたれかかったベッドの縁に手をついて、じっと私を見下ろすキバナのシアンの瞳があって。
ぶつかった瞳をじっと数秒見つめ返してから、私は再び雑誌へと視線を落とした。

「おい、無視かよ?」
「無視っていうか、スルーした」
「同じだよ。なんだよ嫌なのか?」
「嫌、っていうか」

私たち付き合ってるわけじゃないよね。なんて当たり前の言葉に、目の前のキバナがきょとんとした顔で私の頬を撫でる。そんな慣れた手付きにやめてと振り払えば、キバナは考える素振りを見せてから、私を跨ぐようにしてベッドの縁に腰かけた。大きな手のひらが私の頭を撫でる。鬱陶しいからやめてともう一度振り払えば、キバナは後ろに手をついてベッドに沈みこんだ。ぎしり、と鳴るベッドが妙に生々しい。

「まあ、そうだけどよ」
「セフレなら他を当たってよ」
「そんなんじゃねえって」
「だったら何なの?」
「いや、お前となら後腐れねえよなって」
「サイテー以外の言葉が思い付かない」

雑誌のページをひとつめくる。今シーズンの流行りのファッションだとか、この時期によく見かけるポケモンだとか。ポケモンもファッションの一部に取り込もうとしているのだから、本当におしゃれな人は大変だなと他人事に思う。
そして同じように、やめてと振り払ってもやめないこのキバナに関しても、だいぶ他人事のように思っている自分がいて。後腐れないのは、それこそ惚れた腫れたを一度か二度くらい経験しているからか。
簡単に言えば、このガラルのトップオブジムリーダーのキバナは私の元カレだ。本当に人生なにが起きるか分からない。何がきっかけで知り合ったのか、そして今でもこんな不安定な関係が続いてるのか、今では全く思い出せない。

「なあ」
「……」
「なあって」
「……」
「キスするぞ」

もはや事後報告だった。
さっきから後ろでシーツと布が擦れる音がしていたと思っていたら、ぬっと伸ばされた手のひらに無理矢理顔を動かされる。そして無理矢理重ねられた唇は、強引に私の唇を割ってきて、本日何度目かの拒絶を無視したキバナの手のひらは、巧妙に私の耳を撫でこすった。ムカつくくらいに上手なキバナにムカつくくらいにぐずぐずにされて、ようやくやめてと口で言える頃には、涙で歪みに歪んだ視界の向こうでキバナが満足そうに笑っていた。

「ば、か」
「少しはヤル気になったか?」
「ならない!」
「なんでだよ!お前の弱いところ全部知ってるのによ!」
「そういう問題じゃない!」

じゃあどういう問題だよ!って逆ギレし始めるキバナにかける言葉なんてもはやなくて。大きな大きなため息をついてから、パタンと音をたてて雑誌を閉じる。ベッドの上で寝転がる不服そうなキバナの前で、私も不服な顔で腕を組んだ。
もう面倒くさすぎて、どこからどう伝えればいいか分からない。いっそキバナのワガママを受け入れた方が楽なのかもしれないと思うくらいに、面倒くさい。キバナはベッドの上で悠々と笑いながら「お前も明日休みだろ?」なんて言ってくる。キバナに教えた記憶はないけれど、確かに休みですが。

「じゃあお金ちょうだいよ」
「は?」
「彼女でもセフレでもないんだから、対価はお金でしょ。払いなさいよ」
「えー」

何がえーなんだ。そう言いたいのはこっちの方だと言ってやりたい気持ちをぐっと飲み込んで、ベッドの上で不服そうに口を尖らせるキバナのヘアバンドを無理矢理むしり取る。やめろよと言いながらも、どうせ外すからいいかとぼやくキバナがヘアゴムを外したのを見て、だいぶヤル気なんだなと思ったりした。
これは元カノの経験則。忘れてしまいたいけど、ぱさりと落ちる彼の髪の毛と、それをかきあげる仕草を見て思い出してしまったから仕方がない。

「それはなんか違くね?」
「は?何が」
「なんつーか、それは風俗だろ」
「どう違うのか教えてほしいけどね。キバナが今からシようとしてる相手は彼女でもセフレでもないんですが?」
「愛がないから嫌だ」
「愛?どの口がほざく愛?」
「さっきお前をぐずぐずにしたこの口」

べーっと舌を出しながら、広角を指で引き上げるキバナ。自分でチャームポイントだと言い張る犬歯がこれでもかってくらいに見せつけられて、ぐずぐずにされたことは否定しないけど、それはそれでだいぶムカついた。愛だのなんだの、私たちの間では今では存在しないものなのに、何を今さら言うんだろうか。
見せつけられた犬歯から視線を外して、ついでにふいっと顔ごとキバナから背ける。「なんだよ、教えてやったのによ」となぜか得意気な声に、盛大なため息をついた。

「お酒でも入れてきたの?」
「あ?シラフに決まってるだろ。こんな時間から飲まねえって」
「逆にこんな時間からそんなお誘いされても困るんだけど」
「いいだろ。どうせすぐに夜になる」
「はぁ……」
「もしかしたら夜も明けるかもな?」
「はぁ〜っ……」

止まらないため息をついて俯く私。そんな私の心を知ってか知らずか、いやきっと知るつもりもないんだろうけど、キバナは私の前髪をついっとかきあげると、見えた額にチュッと音をたてて口付けた。視線だけ上げれば、キバナの黒髪の隙間から再びシアンの瞳が現れる。その奥には、得体の知れない熱がこもっているような気がして。
視線を追うように顔を上げれば、キバナの両手が私の両頬に添えられた。顔を背けるな、視線を外すなというような無言の圧力に、こくりと喉が鳴る。キバナの犬歯がちらりと見えた。

「そろそろ我慢できねえから、悪いな」

食べられるかもしれないと思うほどに唇に噛みつかれ、反論の言葉すら吐き出せなかった。

200225