「ここにいたのかよ!」
「え?」
晴れた太陽の光を遮るようにできた影に、ふと顔をあげた。そこにはなぜか肩で息をしたキバナがいて、その表情と口ぶりから、どうやらしばらく走り回って私を探してくれていたことが伺える。
とはいったものの探される記憶は正直なくて、いきなり大声で見つけた報告をされて、私は首をかしげる。ふうと大きく息をついたキバナが、地べたに座り込む私の隣にどっかりと腰を据えた。「勘弁しろよ、」という呟きに、私からすれば疑問符が絶えない。
どうして私を探していたの?何をそんなに慌てているの?気になった挙げ句、立て続けにそう質問攻めにした私に、キバナは目を真ん丸にしてから、このワイルドエリアに響くようなわざとらしい大きなため息をひとつついた。その様子に、私がここにいる一因であるワタシラガがなぜか楽しそうに私の腕の中で声をあげた。
「もう、なに笑ってるの?ワタシラガ」
「……はあ、ふたり揃ってのんびり屋め」
「なに?それ」
「言葉のままの意味だよ」
キバナがもう一度ため息をつく。ワタシラガが笑って、キバナはやれやれ顔でその頭をぽんぽんと撫でた。
「あー、それにしても疲れた。どっかの誰かが勝手にいなくなるからなあー」
「勝手にって……別に約束してないでしょ?」
「……してねえけどよ。ナックルシティでお前を見かけたから、仕事終わらせて追いかけようとしたんだよ」
悪いか、と口を尖らせてそっぽを向くキバナの頬はどこか赤い。そんなに照れることでもないのにと思いつつ、その様子が微笑ましくて、こちらも思わず頬が緩んでしまう。「なに笑ってんだ」と言いながらコツリとおでこを小突かれて、なんでもないと笑っておいた。
ワタシラガがふわりと私の腕から抜け出す。どうやらその視線の先には野生のヒメンカやワタシラガたちがいるようで、遊びたい盛りの彼女は、その集団に混ざりたいようだ。いってらっしゃい、気を付けてねとその背中を押してあげる。大喜びで飛んでいったワタシラガを見つめていると、隣のキバナが「いいなあ」と呟いた。
「なにが?」
「んー、平和だなと思ってよ」
「平和だよ、比較的」
「そうだな。平和だ、ありがたいことにな」
ぼんやりと遠目でワタシラガたちを見つめる。どうやらうまく仲間に入れてもらえたらしく、コロコロとみんなで戯れている姿はなんともかわいらしくてほっこりする。
ふと、視界の隅に褐色肌の手のひらが映って、私はその手のひらを視線で追いかけた。私よりもひとまわりふたまわりも大きい手のひらが、小さな花をいくつか摘み取っているのを見て、今度は私が目を真ん丸にした。
まるで似合わない組み合わせに、正直に言ってしまおうか迷う。だけど、ちらりと見たキバナの視線がどこか楽しげに見えて、私はその様子を黙って見守ることにした。
「懐かしいな、シロツメクサ」
「シロツメクサ?」
「この白い花。小さいころ冠とかにしなかったか?」
「あー、私はそんなに遊ばなかったかな。ほら、うちって兄がいたから、だいたいいつもポケモンバトルごっこ」
「はは!あの兄貴な!この前見かけたけど、めちゃめちゃタマゴ抱えてたよ!シャンデラ連れてな!」
シロツメクサを手慣れた風に集めるキバナの口から、兄の話が出るのはちょっとくすぐったいような気もする。あれだけバトルが好きだった兄は、なにを思ったのか最終的にポケモンブリーダーになった。今ではたくさんのポケモンを育てて、それからキバナの言うようにタマゴを孵化させるために走り回っているそうだ。想像がつく姿に、呆れ笑いがこぼれる。
「ま、オレがオマエと付き合ってるって話をして『お前が伝説ポケモンつかまえるとはな!』って言ったことはオレさま一生忘れないと思うぜ」
「忘れてよ……身内の恥だよ」
「いや、オマエの兄貴らしいなって思ったから忘れてやらねえ!」
あれは面白かったなと何度も頷くキバナに、頬が熱くなる思いがする。相手がキバナだから失言にはならなかったものの、あんな風に思ったことをすぐに言う兄が、世間様とうまくやっていけてるのか心配になってきた。今のところ、キバナが言うように無事に仕事を続けている様子を聞く限り、なんとかなっているようだけれど。
兄の話でひとしきり笑ったキバナは、それでもなお手元の作業をやめることはなく、時折私を見上げては「ちょっと待ってな」と言って得意気に八重歯を見せる。
その大きな手がちまちまと細かい作業で何かを作り上げていくのを見つめながら、同時に感心もした。ポケモンバトルやファッションや流行だけではない、昔ながらの遊びというか。スマホロトムを連れていないキバナは、アナログを楽しんでいるように見えた。完成が楽しみだと言えば、キバナは目尻を下げて「絶対オマエに似合うはずだぜ」と笑った。
女子というものに生まれながらも、残念ながらシロツメクサで冠という可愛らしい遊びをしてこなかった私の頭にそっと乗せられるそれ。白いコロコロとした花がついたそれは、キバナの大きな手から編み出されたもので。私の膝の上には、満足いくまで遊んだワタシラガがすやすやと寝息を立てていて、キバナはそんなワタシラガを起こさないように気を遣ってか、少しだけ抑えた声で「すげー似合ってるぜ!」と言ってくれた。
「さすがオレさま!見立て通り!」
「すごい……キバナはこんなものまで作れるんだね」
「まあ、昔にな。近所の女の子の面倒みるついでに覚えてみたんだよ」
「ふふ、その子は喜んでくれた?」
「びっくりするほどな。それを見てオレ、大事な子が出来たら絶対作ってやろうって思ってたんだよ」
「……ありがとう。その夢は叶ったかな」
「アタリマエ。だってほら、いまオレの目の前にお姫さまがいるだろ?」
照れる様子もなくそう言ってのけるキバナは、先ほどまで花を編んでいた手のひらで……はなく、手の甲で私の頬を撫でる。指先が汚れているからだろうか?私は気にしないのに、それを気遣ってくれる優しさが嬉しかった。
へらりと笑うキバナの顔が近付いてきて、思わずぎゅっと目を閉じた私の額に優しく口付けが落とされる。ワンテンポあとに目を開いた私を見て、キバナは少しだけ口を尖らせた。
「ここが家だったら迷わず口だったんだけどよ」
「……びっくりした」
「オマエもな、きゅって目を閉じるな目を!かわいいだろうが!」
「えー、理不尽……」
「理不尽じゃない、男心をもてあそんだオマエが悪い」
全然そんなつもりじゃなかったのに、どうやら拗ねてしまったようだ。ぷちりぷちりと、再び花摘みに転じてしまったキバナの大きな体躯をさすって「ごめんね?」と言えば、許さないという小さな声が聞こえてきた。ヘアバンドで隠れて見えない眉はきっとハの字だろう。だけど、本当にそんなつもりじゃなかったんだから許してほしい。
さすっていた手をキバナの肩に置き、優しくその名前を呼ぶ。ちょっとだけ顔をあげたキバナのヘアバンドを少しだけずらすと、その下がった眉付近に唇を寄せた。「お返し」そう言って笑えば、キバナは真っ赤な顔をして私から視線を逸らした。自分からしておいても平気なのに、されるとこんな風になってしまうのかとちょっと意外に思うけど、確かにキバナは手慣れてる感じの裏にちょっとだけ純情な部分が見え隠れしていたような気がする。
「ほんっと、オマエはズルいよ」
「ずるくないでしょ?やられたからやり返しただけだよ」
「そういうとこだよ……お返しとか、普段しないだろ」
「うーん、時々はしないと、キバナこうやって拗ねちゃうから」
「はあ……やられた……オレオマエのことマジで好きだよ」
「あはは、急な告白だね?私も大好きだよ」
キバナはまた真っ赤になって、特大のため息と共にヘアバンドを下げた。まるでオレの顔を見るなという拒絶をされているようで、その露骨な照れ隠しに笑いそうになる。笑ったらまた拗ねちゃうから、今回はぐっと堪えておこう。
ふと、キバナの手がまた何かを作り出しているのが見えた。さっき拗ねながらちぎっていたシロツメクサだろうか?あんな会話をしながらも、キバナは手元の作業が出来るのかと感心しながらその手のなかを覗き込んだとき。
手元からこちらへと視線を戻したキバナのシアンの瞳とぶつかる。驚きとその色の深さに息を飲んだ瞬間、そっと取られたのは左手で。
「……ほら、オレさまの見立て通り」
「!!」
左手薬指に通された、シロツメクサの小さな冠。いや、冠じゃなくてこれは、きっと、指輪のような。
「これ、って」
「ちゃんとしたのは絶対用意するし、ペアにするときは好きなもの買ってやる。正式なのは、全部事前に準備してから完璧な状態で申し込む。だからこれは、ただの約束だけどよ」
「結婚しよう。オマエのこと幸せにする」
優しく握られた左手が持ち上げられて、恭しく指先に口付けられる。じわりじわりと触れられた指先から昇ってくる熱で、ぼんやりしてしまいそうだ。熱に浮かされるとは、こういうことのことを言うのだろうか。まるで夢みたいという言葉はなんだかメルヘンの世界のコトバのようで使いたくはないけれど、本当にこれは、夢みたいなことで。
出会ってから数年、付き合ってからも数年。そういうことを考えたことがなかった、と言ったら嘘になるくらいの年齢にふたりともなっていたけれど、キバナはジムリーダーもしていて、大企業の広告塔にもなっていて、何より永遠のライバルであるダンデくんを倒すという、野望に似た夢を叶えるまではそういうことはないかな、と思っていた。思っていたのは、私だけだった。
キバナの真剣な眼差しが、私の瞳を射抜く。キバナの瞳も潤んでいたけれど、きっとそれ以上に私の目の方が潤んでいたに違いない。ぼろりと落ちた涙が、ワタシラガを抱いていた手の上に落ちる。その滴が飛んだのか、ワタシラガがゆっくりと身動ぎをした。
私の手を握るキバナの手が震えているのが分かる。断る理由もないし、キバナだって断られるとは思ってないはずなのに、震える手が、瞼が、キバナの緊張を物語っていて。
捉えられた手のひらをそっと振りほどいて、何故だというように驚きで目を丸くするキバナの首に腕を回す。耳の横で、キバナがひゅっと息を飲む音がした。
「お姫さまを幸せにするのは王子さまだけなので、ドラゴン使いの王子さまは絶対に私のことを幸せにしてください」
私の頭の上に乗せられたシロツメクサの冠をキバナの頭の上に乗せる。ヘアバンドでうまく乗らなかったけれど、少し斜めに乗せられた冠と、ぽかんとしたキバナの表情が絶妙にマッチングしていて、思わず声をあげて笑ってしまう。「似合ってるよ、王子さま」笑いながら言ったら、背中にまわっていた腕に力が込められて、苦しいくらいにぎゅうぎゅうと抱きしめられた。苦しいという声と背中へのタップは全くもって無意味で、さっきから聞こえるのは、なぜか抱きしめている側のキバナのうめき声。
「う〜っ、」
「ちょ、っと!苦しいってば!」
「うう……いま離したら、オレのみっともない顔がオマエに見られるだろうが……」
「……見たい」
「絶対、やだ」
絶対に離してやらないという強い意志の込められた腕に囚われながら、私は首筋に顔を埋めたまま動こうとしない大きな子供のような王子さまの背中を、ゆっくりと撫でさするのだった。