「くたびれたら少しは眠くなるかい?」
唐突に呟かれた言葉に、雑誌へと落としていた視線を上げる。ベッドで横になりながら眺めていた雑誌は、同じく隣で横になっていたワタルの手によってするりと私の下から抜き取られ、あっという間にワタルの背の向こうに隠されてしまった。
あぁ、とこぼした感嘆の息は、自然な動作で私の腰を撫でたワタルの手の感覚によって、声のない空気となって音もなくかき消える。とっさにその手をピシャリと叩いたら、悪びれるそぶりもなくからりとした笑顔が返ってきた。
「こら。撫でない」
「ははっ!」
「もう……くたびれたらって、なにが?」
叩いて追い返したはずの手のひらが諦めずに私の腰を引き寄せようとしてくるのを片手で押さえつつ、突然投げ掛けられた冒頭の言葉にどう返したらいいか、上手い答えが見つからなくて思わず疑問を疑問で返してしまう。
枕を片手に横になっていたワタルは、そんなことなど気にしていないかのように、どこか楽しそうに口角を上げてこちらを見つめていた。
きっと、私が色々と思案していることが面白いんだと思う。時々見せるワタルの意地悪な部分をこの間指摘したところ「きみが困る顔が見たくてね」なんていう、これまた困った回答をされてしまったから、つまり今回もその手のものだと見た。
ぐっ、とひときわ強く引き寄せられた腰に、私の抵抗もむなしくワタルとの距離が縮まる。同じシャンプーの匂いに包まれて、なんだかくすぐったい。寄せられた身体を思わず両手で押し返したら、ワタルは特に気にする様子もなく、またからりと笑った。
「夜も遅いのに、きみは宵っ張りだなと思ってね」
「そんなことないよ。明日はお休みだから、少し夜ふかししてるだけで」
「でも、さっきから眠そうなあくびばかりだよ」
「……そうかな」
爽やかな笑みから一転、優しい微笑みを向けられてどきりとする。そんな指摘をされてしまうくらいワタルにじっと見られていたかと思うと、今度は妙に恥ずかしくなってきた。
ふいっと視線を逸らして、目を細めたワタルの視線から逃れる。腰を抱いた大きな手のひらが、ゆっくりと私の身体を撫でる様子に、ちょっとだけ嫌な予感がして、押し返すときに胸に押し付けていた手をポンポンと叩いてみれば。
「ん?」吐息混じりの声が耳元にかかって、ぞくりと背中が粟立った。
「さっきの、話だけど」
「くたびれたら、って話だね」
「うん。……それって、その……もしかして、そういうこと?」
「さあ、どういうことだろうね?」
「はぐらかさないでよ」
「だって、きみの口から聞きたいんだ」
ベッドの上で向かい合って横になる私たち。じっと見つめてくるワタルの視線は心なしか熱っぽくて、お風呂あがりでさらりと落ちてきた髪の毛はいつもより柔らかい。そっとその朱色の髪に指を通せば、ワタルは気持ち良さそうに目を閉じた。
より一層引き寄せられた身体は、ほとんどくっついているようなもので、身動ぎをすればワタルの腕に力がこもる。まるで離さないと言われているような力強さに、ときめいているのも事実だったりして。
「ワタルの、いじわる」
「うん。おれはいじわるなんだ。好きな子はついつい、いじめてみたくなる」
「チャンピオンにあるまじき発言」
「はは、きみの前では我慢のきかないただの男だよ」
ぐるっと、視界が半回転する。さっきまで枕を片手に寝転んでいたはずのワタルが私の真上にいて、されるがままに抱きしめられていた私の背中には柔らかいベッドの感触。ワタルの髪をすいていた手のひらを優しく握られて、降りてきた唇をそっと受け入れた。
ちゅ、と軽い音を立てて離れた唇は、まるで序の口だとでもいうように、にこりと弧を描いていて。自分とは違う体温の手のひらが、部屋着の裾をほんの少したくしあげる。触れた熱に、思わず小さく声を漏らしたら、目の前のワタルが「あぁ、」とため息混じりの声をこぼした。
「きみの口から聞きたかったんだけどね。今の声で、全部どうでもよくなったよ」
「び、びっくりしたから……つい」
「いいんだ。きみの声、もっと聞きたい」
「え、あッ!まって、待ってワタル!」
「待てない」
脇腹を滑ったワタルの手のひらが、するりと背中に回ってホックを外す。驚いてるのも束の間、普段のワタルからしたら早すぎるくらいのスピードで膨らみに触れられ、不意打ちでまた声が漏れる。声を出すたびに、ワタルは困ったように微笑みながら、何度も私の名前を呼んだ。
困った顔はたぶん、ワタル自身も自分が性急に事を運んでいることに気がついているんだと思う。どうやら、ブレーキはきかないらしいけれど。
「……先に謝っておくよ」
「っ、なに、を?」
「くたびれて眠くなっても、寝かせてあげられないかもしれない」
「え、うそ!」
「冗談は言っても嘘はつかないよ。だから、すまない」
謝罪の言葉と同時に、唇を食むように合わせられる。ぬるりと、滑り込んだぶあついワタルの舌に翻弄されながら、ぎゅっと目を閉じた。角度を変えて、何度も吸われる。鼻に抜ける呼吸の音が生々しくて身体の芯が熱くなってきて、本当は眠たかったなんて感覚も、心臓のドキドキでそれどころではなくなって。唇が離れた頃には、もう眠いとか眠くないとか、そんなことすらも考えられなくなるくらいに頭がぼんやりした。見下ろすワタルの欲情に濡れた瞳に、瞳に溜まっていた涙がぼろりとこぼれる。
滲む視界で、ワタルの喉仏が上下するのが見えた。
落ちた髪の毛をかきあげたワタルが、涙と唾液でぐちゃぐちゃになった私の頬を撫でる。熱を孕んだため息が耳元をくすぐる。そんなことですらピクリと身体を反応させる私の身体は、もう完全にその気になっていた。間違いなく、くたびれる。
「明日はふたりで寝坊しようか」
私の首筋にひと華咲かせたワタルが、眉を下げて微笑んだ。今日はもうダメだとお手上げのワタルの向こうで、雑誌が音をたててベッドから落ちる音がした。