待ってってば

「ね、ワタル、待って」
「待てない」
「即断しないで!待ってってば!」
「我慢できない」
「正直なのは結構だけど!やだ!」

ポケモンリーグのチャンピオンに君臨する男が、家に帰るとこうも我慢のきかない男だと一体全体誰が思うだろうか。なんなら私だって彼とお付き合いを始めるまでは想像してなかった。たぶん、外では外聞や体裁を気にして蓋をしている色々が、反動でどっと家にいるときに流れ出すのだと思う。
すり、と頬をすべる大きな手のひらに、優しいのにどこか熱のこもった瞳。小さく呻いた私のパジャマの裾から別の熱が滑り込んできて、渡はまた別の悲鳴をあげた。

「ここ、玄関だよ、っ」
「寝室のほうがいいかい?」
「展開が早い!」
「はは。おれはいつでもきみが欲しいのに」

玄関先でただいまの声と一緒に頭を撫でられて、おかえりなさいの声と一緒につぶれそうなくらいに強く抱きしめられることにはもう慣れた。と言いたいところだったけど、最近ではそのスキンシップもやや重めになってきているのでなんとも言えず。
今日も今日とて、ここは玄関だから嫌だという意味を込めた抵抗は、ワタルの朗らかな笑い声にかき消されてしまう。さらりと吐き出された殺し文句にときめく間もなく、私の身体は軽々と抱き上げられた。しかも横抱きではなく、縦に。抱っこ、という言葉が似合うくらいに。

「や、高っ!」
「頭ぶつけないようにね」
「そ、そんなのワタルが気を付けてよっ」
「善処しよう」

善処もなにも、まずは地面におろしてほしい!そんな言葉にこのチャンピオン様が耳を傾けることもなく、まっすぐ進んだ先の扉が開かれると、私はその上に放り投げられた。というと人聞きが悪いので、厳密に言うと優しく落とされた。
ギッと音を立てて軋むベッドに、私の視界を覆うワタルの顔。普段はアップにしているワタルの落ちてきた髪が額に触れて、少しくすぐったい。押し退けようとワタルの肩に置いた腕は、びくともしなかった。

「……ワタル、こんなだったっけ」
「こんな?」
「その……すごく、グイグイ来る」
「そうかい?あまり変わらないと思うけど」
「前はもう少し、ゆっくりだった」

なんなら最近では、料理や何かしらの最中に後ろからちょっかいを出してくることが増えてきたと 思うわけだけど、それに関しても無意識なのだろうか?
待ってと言っても、あとでと言っても、くっついてくる大きな身体はなかなか離れなくて、おかげさまで作業も思うように進まない。まるで子供みたいだねと皮肉ったら、「きみを見てると甘えたくなる」と優しく微笑まれた。そのまま首筋に顔を埋められて、ふわふわと赤い髪が耳元をくすぐって。その様子が愛しくないわけもなく、絆されてそのまま料理を続けてしまう私にもちょっと非はあると思うけれど。

「じゃあ、我慢の限界っていうやつかな」
「え?」

ワタルの手のひらがマントの留め具に触れる。流れるように外されて、大切だと言っていたマントがベッドの上から落っこちて。それを視線で追いかけてるうちに、ワタルの首元はくつろげられていた。
チラリと見えた喉仏にどきりとする。その格好では見たことのない隙だらけの姿に、どきどきと心臓はうるさくて、大きな手のひらに撫でられて無防備になった額に、ワタルの唇の感触がして。

「きみに嫌われたくないから、いい人ぶってたんだ。おれは」
「……ワタルはいい人だよ、ずっと」
「ありがとう。でもおれは、きみにそう見せてただけだ。本当のおれは、我慢がきかない、待てができない男だよ」

ちゅ、ちゅ、とキスの雨が降ってきて、そのたびにくすぐったさで目を閉じる。押し退けようとしていた手のひらは、ただワタルの肩に置かれるだけになっていて、目元に寄せられた唇にぎゅっと目を閉じると、今度は優しく唇を食まれた。漏れる言葉の節々で「まって、」とこぼした言葉はあっという間に消えていく。本当はそんな言葉に意味はないと、ワタルもきっと分かってるように思う。意味がないと分かったからこそ、きっとワタルは待てを聞かなくなった。

「……きみに嫌われたくないから、本当に嫌ならやめるよ。でも、嫌じゃなかったら……その先は、言わないでも分かってくれるかい?」

ふわりと微笑まれる。みんなに慕われる、頼られる、強くてカッコよくてやさしいワタルの笑顔。それをこんな風に、ベッドに背を預けて眺めていられるのは私だけの特権、なのかもしれない。
嫌うわけがない、誰よりも憧れで大好きで、とけてしまうくらいに優しく甘やかしてくれるこの人を嫌いになることなんて。

「ううう、ワタルってずるい」
「はは、ずるいか」
「拒むわけないじゃん。こんなに好きなのに」

肩に置いていた手を、ワタルの首に回す。抱き寄せた腕のなかで、赤髪がくすぐったそうに揺れた。至近距離で見つめ合って、それからワタルがくすりと笑う。

「ありがとう。おれも大好きだ、ナマエ」

我慢ができないワタルから強引に重ねられた唇は、今までのどれよりも、あつくてとろけるくらいに甘かった。