「指輪、していかないとだめ?」
「だめに決まってるだろう」
「うーん……」
「逆に、なぜ指輪をしないという選択肢があるのか聞きたいところだよ」
彼女がどこか不服そうに左手の薬指を見つめた。そこにはおれが買った、そしておれとお揃いの指輪が光っていて。
左手の薬指という、その指にはめられた意味は確かにあるのに、それでも彼女はその印を外していこうとする。それこそ、おれが見ていないといつも、だ。
彼女に悪気が無いのは分かっている。もともとアクセサリー系は苦手でつけないと言っていたし、左手薬指に約束していたものではないけれど、彼女に贈った別の指輪もわりと最初の方からくすぐったいだとか不思議な感触がするとか、常にむず痒そうな顔をしていたのは確かだったし。
それを承知の上で、婚約指輪というものを渡して、そして揃いの結婚指輪もあつらえた。名実ともに夫婦であるのは確かなのに。彼女はその夫婦である印を、思いの外簡単に放っておこうとする。責めるつもりは微塵もないけれど、さすがのおれでも、少しだけ寂しい。
「くすぐったいから。物理的に」
「それは理解してるつもりだよ。だからきみにはこれも渡しただろう?」
「……ネックレスチェーン」
「途中までは必ずつけていってくれ。最悪、それに通して身に付けていてほしい」
「どうしても?」
「どうしても、だ」
はてさて、彼女がワガママなのか、それともおれがワガママなのか。唇を尖らせる彼女の左手を取って、コツンと左手の指同士をぶつけてみせる。並べるとよく分かる彼女の細い指に光るものと、おれの指に光るものは同じデザインで。
おれときみは、夫婦なんだからと、視覚で見せつける。彼女は少しだけ眉を下げると、その細指でおれの指輪を優しく撫でた。
「分かった。……ごめんなさい」
「責めてるわけじゃない。でも、分かってくれたなら嬉しいよ」
「だって、だめに決まってるって、ちょっと怒ってたから」
「怒っ……」
てないよ、といったら嘘になるかもしれない気がして、それ以上の言葉は言えなかった。いや、怒っているつもりはなかった。でも、彼女にそう捉えられたなら、少なくともおれの声色は固かったんだろう。
いや、正直なことを言ってしまえば、多少怒りの感情に踏み込みかけた自覚はあった。指輪のない女性を見て何かしらの期待を抱いて寄ってくる人間は少なからずいて、おれでさえふと女性の左手を見て思ってしまうことはある。その考えに他意はないが、そう見てしまった事実は確かにあるわけで。
おれも完璧な人間じゃないから、他の人が称するように聖人君子なヒーローでもないから、左手の印でその人のことを考えることもある。逆に言えば、その印で彼女に寄ってくる人間が少しでも減るならば、それはそれで大変助かるという面もある。いやむしろ、そちらの方が重要というか。
ストレートにものを言わせてもらうならば、指輪で男避けができるならば、それに越したことはない。つまりおれは、存外独占欲が強くて厄介な男である、というわけだ。だから彼女が指輪を嫌がるのは寂しいし、結構つらい。彼女はおれの、という印が他の人に見えないのは。
「きみがおれの奥さんでいてくれる限り、指輪を付けてくれると助かる。……厄介なおれのためにも」
「厄介?」
「はは、なんでもないよ」
不思議そうにおれを見上げる彼女の髪の毛をくしゃりと撫でる。出発前になんてこと!と嘆く彼女の、乱れた髪型を直す指にはきらりと輝くものがついていて。やはりそれだけでも安心できてホッとした。
彼女にはおれがいて、おれには彼女がいるという事実は絶対に崩されたくないし邪魔をされたくもない。まあ、邪魔をさせるつもりもないれけど。そんなことをする気概があるなら、存分におれの相手をしてもらうつもりではいるし、それこそポケモンバトルだろうと殴り合いだろうとおれはなんだって受けて立つつもりだ。
彼女が指輪とおれを交互に見ながら、玄関先に立つ。その左手には指輪。おれの左手にも指輪。揃いで買った、彼女も満足そうだったデザインのそれに、思わず笑みがこぼれる。「いってらっしゃい。ナマエ」と笑えば、彼女は不思議そうに首を傾げながら「いってきます……?」と疑問系で呟いた。