捕食対象

獲物を狙うドラゴンの瞳、なるものを私は見たことがないので、今こうして私を見つめる彼の瞳がそういう色をしているのかどうかということについては、なんとも答えを見出だせないでいる。だけどその瞳が、私を至近距離で見つめるグレーの瞳が、確かに普段の慈愛に満ちた瞳と違うのはよく分かっているつもりだった。

ワタルさんは、私の瞳を覗き込むようにして見つめることがある。それはどうしてかと一度聞いたことがあるけれど、ワタルさんにしては珍しく、なんとも要領を得ない言葉が返ってきたことは覚えている。「きみの心が知れるかと思って」正直、自分比較ではあるけれども、これまでのどんな相手よりも心をさらけ出しているつもりだったから、その言葉にピンとこなかったのかもしれない。ワタルさんを前にすると、隠し事なんて無意味で、全てが読まれているように思えてしまうから、常日頃心のままに接するようにしている。隠し事はしないし、正直に言う。してほしいことも、嫌なことも、欲しいものも、ぜんぶ。嫌なことに関しては、なにひとつあったことはないけれど。

ベッドの縁に腰かけた私の隣で、私の頬を撫でながら、なにも言わずにじっと見つめてくるワタルさん。吐息がふれあう、キスだって出来そうな距離なのに、その唇はきゅっと真一文字に結ばれたまま動く気配はない。私がその唇を奪うことを期待しているのだろうかとも思ったけれど、ワタルさんはいつも「おれがしたいから」と言って私が何かをするのを制すタイプなのであまり考えられない、けれど。
ふにっと、私の唇に細かな傷のあるワタルさんの親指が触れる。何をするでもなく、撫でるような仕草。わけがわからないまま、ワタルさんの瞳を見つめる。ぐらぐらと、欲を煮詰めるような色をしているのに、ワタルさんは食らい付いてこない。獲物を狙い定める、獣の目なのだろうか。それも見たことがないから、分からないけど。

「ワ、タルさん」
「ん?」
「キス、しないんですか」
「……そうだね」

先に我慢が出来なくなってしまったのは、私の方かもしれない。そんな濡れた瞳で見つめられたら、私だって期待してしまうのに。何もされない、何も起こらない状況に、思わず目の前のヒトの名前を呼ぶ。上擦った声だったけど、ワタルさんは甘い声で返事をしてくれた。期待させるような声してるのに、なにもしてこないなんて、ずるい。そう思って、聞いてみてしまった。私はこの人の前では、嘘なんてつけないのだから。
そうだね。という言葉にはどんな意味が込められているのか、私の頭では処理しきれない。キスはしないという意味なのか、それとも自分がどうしたいのか考えている途中だという意味なのか。すべてにおいて計算した上で何かを行っていることの多いワタルさんなので、今回のことが無計画とは思えないけれど、こういうことは案外行き当たりばったりでしているのかもしれないと思うとそれも分からず。結局、私には何も分からない。ワタルさんが欲情した瞳で私を見つめていること以外は、なにも。

なにも分からないけど、ただひとつ分かることは、お互いにそういう気持ちになっていることは間違いないということだけで。そうだねと呟いて以降なにも言わない、なにもしないを貫いてるワタルさんにしびれを切らした私は、別にすごくエッチなことがしたかったとか、そういうわけじゃないとひとり言い訳じみたことを思いながら、とうとうその薄い唇に噛みつくようにキスをしてしまった。
普段はワタルさんから、優しく触れるようなキスをされて徐々にそういう気持ちにさせられるのに、なんか今日のワタルさんは、変だ。変だから、よく分からないから、私は強引にその男らしい顔を頬を引き寄せて、口付けた。リードもへったくれもないものだったけど、お預けを食らってたぶん、だんだんと満足してくる。ぷは、と大きめに息を吸ったとき、ぶつかった視線にゾクリとした。
ワタルさんは、全然満足なんてしていない。

「ご、ごめんなさい」
「何故、謝るんだい」
「なんか、ワタルさんの目がこわくて」
「おれがこわい?」
「だって、全然、満足してないから」

ワタルさんは返事をしなかった。その代わり、落ちてきた髪をかきあげることもなく私の頬に置いていた大きな手を引き寄せて、深い深い口付けを与えてくる。それこそ息をつく暇もないくらいに、さっきの生殺しはなんだったんですかと、問い詰めたいくらいに。
気が付けば私の背中にはベッドの柔らかい感触があって、ぶあつい舌で息も出来ないくらいに口内を蹂躙されて、唇が離れたときには、私はワタルさんの首の後ろに腕を回したまま、これ以上ないくらいに肩で息をすることになっていた。悲しいわけではなく滲んだ涙が、瞳から溢れる。擦ろうとした手のひらは、させないとばかりにベッドに縫い付けられた。

「きみを前にして我慢出来れば、優しく気遣ってやれる気がした」
「っ、え?」
「激情、っていうのかな。おれもきみの前ではただの男だから、持て余す。きみを傷付けたくないのに」
「……だから、今日は、」
「持て余した気持ちを先に落ち着けようとしたんだ。まあ、おかげできみから情熱的なキスを貰ってしまったけど」
「!!」
「おや、顔が真っ赤だね」

あんなことをしておいて、恥ずかしいのかい?耳元で囁かれて、恥ずかしさで思わずよじった身体をワタルさんの逞しい腕と身体が押さえつける。だめだよと笑うワタルさんは、余裕そうに見えるけれどやっぱりどこか余裕は無さそうで。
ちゅ、と耳元に唇を寄せられて、思わず声が漏れる。ワタルさんが私を攻める水音に、耳に触れる熱い吐息に、首筋に顔を埋められる感覚に、びくりと身体を揺らした。大きな手のひらが私の身体に優しく触れながら、反対の手では縫い付けた私の手のひらを撫で上げる。食むように首を這う唇、それから一瞬のちくりとした痛み。ワタルさんから与えられることは無いと勝手に思っていたそれは、今は見えないけれど、きっとシャワーを浴びるときには華々しく咲いているに違いない。
詰めていた息を吐き出す。傷を癒すかのように印の上を舐められて、それからワタルさんは眉を寄せて自嘲気味に笑った。

「おれ自身への戒めをきみに残すものどうかと思うけれど、これを見れば少しは」
「……我慢、できそう?」
「きっとね」
「……優しくしないでもいいよって私が、言っても?」
「はは……きみは、ずるいな」

寄せていた眉を下げて、ワタルさんが困ったように笑う。せっかく我慢しようとしていたのにと、恨み言すら聞こえてきそうだったけれど、きっとワタルさんのことだから恨み言は自分自身に言うに違いない。結果的に煽ることになったのは自分のせいだと、自分が感情をコントロールできていないのが原因だからと。だけどそう思いながらも、私に欲を向けてくれる。とても、優しい気遣いで。

求められるがまま、本能のまま、ワタルさんに抱かれるのときがあるとすれば。獲物を狙うドラゴンの瞳というのは未だに分からないけれど、想像することはできる。ワタルさんのそれが同じ色をしているのだとしたら、私はきっとその時初めて、獲物としてその瞳を向けられることになるのだと思う。

「きみは本心でしかものを言わないから、もっと深くまで心を知ったら何が見えるだろうと思っていたけれど……きみはそれすらも、口にしてくれるんだね」
「ワタルさんには、嘘なんてつけないよ」
「それは、おれがこわいから?」
「ううん、愛してるから」
「……きみって子は」

ゾクゾクと、背中が粟立った。熱に濡れた、欲にまみれた瞳は間違いなく捕食者の、獲物を狙う瞳をしていて。それがドラゴンかは分からないけれど、ワタルさんがドラゴン使いなら、きっとその瞳も。

「おれもきみを愛してる」

降りてきた牙に噛みつかれながら、どろどろにとかされるような甘い言葉を散々囁かれながら、私はゆっくりと彼に補食されていくのだ。