向けられるベクトルが大きい

「おはよう、ボーマンダ。しばらく飛んできていいよ」

ぱしゅ、とモンスターボールから出した彼は、地上に降りることなくふわりと空中を旋回した。早朝も早朝、まだ誰も出歩かない時間に彼を散歩というかたちで外に出してあげるのは、彼がコモルーからボーマンダに進化してからの日課のようなものだった。

念願かなって翼を手に入れたボーマンダは、進化したときはそれはそれは嬉しそうで、朝から晩まで飛び続けて、そして明け方になってからようやく、地上でうつらうつらと船をこぐ私に頭を差し出してきた。進化してしばらく経つのに、まるでつい先日のことのように思い出せるのは、私がこれまでで一番手を掛けて手を焼いて育ててきた子だから、だろうか。
空を旋回するボーマンダに片手の手のひらを向ける。ゆっくりと降りてきた彼が差し出した手のひらに頭を寄せるのが、彼なりの『おはよう』の挨拶だった。

「やあ、おはようボーマンダ。今日もいい朝だね」
「!!」

心臓が口から飛び出て落っこちるかと思った。聞き覚えのある声に、聞こえてきた方向を振り返るもそこに人影はなく、まさか幻聴?と口を引きつらせたとき、顔を向けた方向とは違う方向から再び声が聞こえた。

「おれを覚えているかい?」「はは、そうか」朝から普段と全く変わらないゆったりとした声、ただでさえ声がいいのに、ポケモンに対するときにさらに甘く響く声。バッ!と音が出るくらいに勢い良く振り向けば、聞き覚えがありまくる声の主であるワタルさんが、私のボーマンダにその大きな手のひらを這わせていた。爪が切り揃えられた傷だらけの指先が、目を細めて身を委ねるボーマンダをするすると撫でる。
私の大事な大事なボーマンダが、プライドが高いドラゴンポケモンだと言われる彼が、こんなにもリラックスした表情を見せるなんて、後にも先にも間違いなくこの人しかいないだろう。ドラゴンポケモンはなんだって御せてしまう老舗一族のドラゴンつかいとは言っても、おやである私を差し置いてそんな顔をさせてしまうのはどうかと思うけれど。悲しいかな、私はボーマンダのそんな穏やかな表情を、タツベイの頃から見たことがない。

「なんでいるの!」
「おや、いちゃいけなかったかな」
「ちがっ……! 朝から何故ここにという話で!」
「早く目が覚めたから散歩ついでにね。たまたまきみとボーマンダを見かけて声をかけたんだ」

おかしいかな?と続けながら微笑むワタルさんは、さも当然というような口ぶりだけれど、まあ普通に考えておかしいですよ、という返答はしたいところだった。

ボーマンダがいるというのは確かにこのジョウト地方では珍しいかもしれないけれど、一応ジョウト地方といえど広し、で。これだけ広い地方で、ピンポイントでボーマンダを見つけ、そしてそのボーマンダが野生ではないと確信して(カイリューに股がってきたと仮定して)地上に降り立つ。
いや、普通にあり得ないと思う。おかしいと思う。この人、私かボーマンダに何か位置情報を知らせる的なものを仕込んでいるんじゃないだろうか。ちらりと隣のマント姿を見上げたら、にこりと優しく微笑まれてしまった。その笑顔には、どうにも弱い。おかしいことしてますよという言葉も飲み込むくらいに。

「改めて、おはよう。朝からきみに会えて嬉しいよ」
「朝からめっちゃ甘いこと言ってくる……」
「朝から口説いてはいけないルールはないからね」
「ううう」

この地方でチャンピオンという、実質最強のトレーナーの座に就いている彼にここまで言わしめる何かが自分にあるかと聞かれたら、間違いなく無いと答える。だけどどうにも、このチャンピオン様には私が良いようで、逃げても隠れてもあっという間に見つかってしまうために、彼から遠ざかることはとうに諦めていた。別の地方まで逃げればいいと言われても、それはそれで追いかけてきそうな節はなきにしもあらず、なので。
ボーマンダに触れていた手を、同じくらいの優しさで私に伸ばしてくる。思わず覚悟してぎゅっと目を瞑ったら、暗い視界の向こうでワタルさんが小さく笑った。