別の意味で熱が出そう

 ワタルさんの寝顔を見るのは正直片手で数えられるくらいしかないので、こうしてあどけない顔で眠っている顔を見るのはものすごくレアだった。普段の凛々しくて格好良いワタルさんとは違う可愛らしい表情に、自分の中の母性本能がくすぐられるような気がする。
 ひとり風邪を引いた私の看病を忙しい中でこなしてくれたワタルさん。私がうつすのは絶対に嫌だから別々で寝ましょうと提案したことにものすごく不服そうではあったけれど、ワタルさんはこうして自室で眠ってくれている。
 帰りが不規則になりがちなワタルさんは、一応自分の部屋に一人用のベッドを置いていた。といっても、頑なに私と寝たいらしく、使われた形跡はあまりないものだったけど。

 そしてなぜ私がそんなワタルさんの寝顔を眺めているかというと、単純にちょっとばかり……いや、正直言うとかなり寂しかったからに違いなく。ワタルさんの甲斐甲斐しいお世話のおかげで熱は無事に下がり、昨夜よりは体調もかなり良くなった。とはいえ、風邪を引いていることに間違いはないので、あまり近付いてはいけないのだけれど……日々、一緒に眠っていた夜をひとりで過ごすとなると、やっぱり寂しかった。昨夜私が頑なに一緒に寝ないと言ったのにと我ながら思うけれど、悩みに悩んでここまで来てしまった。ワタルさんにも、眉を下げながら「きみのことだから、寂しいって言うと思うんだが」なんて言われたのが現実になってしまって、相変わらずワタルさんの観察力の凄さに苦笑した。

「さて……」

 さて、どうしようか。という話ではある。このまま失礼しまーすなんて言いながらベッドに入っていいものだろうか。いやたぶん、ワタルさんのことだから嫌がることはしないと思う。驚くだろうか。いやあ……驚かないだろうなあ……だって昨日、寂しいって言うと思うよと断言して名残惜しそうに寝室から出ていったんだから、やっぱりねと笑う想像しか出来なかった。うーん、だったらするっと入ってしまおうか。いやでも、うーん。
 ウンウンとパジャマ一枚、そして念のため持ってきた枕を脇に抱えて、顎に手を当てて考える。まだ明け方の気温に、何か羽織って来るんだったなあとぶるりと身体を震わせたとき。

「いつまでもそこにいたら寒いだろう」
「っ、わあ!」

 布団の中から伸びてきた手が、私の腕を捕らえる。うわ、と思ったときには腕を引かれていて、なにも支えにするものがない私はそのままワタルさんの寝ているベッドの上に思いきり倒れ込んだ。あいてて、と思っている間に掛け布団が跳ね上げられ、ゴロンとその中に仕舞い込まれる。気が付いたら、ワタルさんの腕の中に閉じ込められていた。
 ワタルさんの体温と、それから布団の温もりが心地よい。ワタルさんのベッドだからワタルさんの匂いしかしなくて、抱きしめられてる上にそんな匂いばかりで、異常なくらいにドキドキした。普通に熱がぶり返しそう、なんて思いながら、目の前にある胸に額をぐりぐりと押し付ける。ワタルさんが朗らかに笑った。

「ははは、元気で何よりだ。熱は……うん、昨日よりは下がったみたいだね」
「うん……ありがとう」

 擦り付けた額を胸板から離すと、ワタルさんの大きな手のひらが私のおでこに触れる。あんまり綺麗な状態じゃないからと思ったけれど、ワタルさんの手のひらが心地よくて、思わず目を閉じてしまった。昨日より、という部分から、まだ熱が下がりきっていないことを暗に言っているのだろうけれど、ワタルさんの腕はしっかりと私の枕になってくれていて、額から離れた手は私に回されたから、ワタルさんも私のことを拒んではいなさそうだ。といっても、ワタルさんが私を拒んだことがないから、もしかしたら嫌なのかもしれない、けど。

「えっと……少ししたら、戻るね」
「どうして」
「え……いや、まだ微熱があるかもしれないし」
「それならなおさら寒い外には出せないなあ」
「……ワタルさん?」
「っふ、ははは」

 私の不安は杞憂だったらしい。朗らかに私を外に出せないと言いきった表情はとてつもなく嬉しそうで、私を抱き寄せる腕に力がこもったところで名前を呼べば、バレたかと言わんばかりの声で笑われてしまった。どうやら最初から離してくれる予定はなかったらしい。

「おれが昨日あれだけ譲ってここで寝たのに、きみから来てくれたんだ。離すつもりはない」
「うう……」
「うん……ナマエの匂いは安心するな」
「このお布団も、ワタルさんの匂いがしてドキドキする」
「……」

 抱き寄せていた手が流れるように頬に触れて、視線を合わせるように顔を上げられる。普段上げられている髪の毛の落ちたワタルさんはなんとも色っぽくて、甘い顔をしていて、寄せられる顔をぼんやりと眺め……。
 ハッとして、その甘いフェイスの口元を片手で押さえた。もう片手は、私の口元に。

「あっ、だめだめ! チューはだめです!」
「……どうしても?」
「絶対にです!」
「残念」

 ワタルさんの口元を押さえた片手がひょいと取り上げられて、残念と言いながら残念ぽくないワタルさんは恭しく私の指先に唇を落とした。その瞳の鋭さに、風邪が治ったときには、なんて思ってしまって顔が赤くなる。さっきから手のひらの上すぎるな、なんて思いながら、私はもう一度ワタルさんの胸に顔を埋めた。

 風邪がうつっちゃったら、ごめんなさい。自分から来たくせにそんなことを言う私に、ワタルさんは楽しそうに笑って「ナマエから貰えるものはなんだって嬉しいよ」なんて言う。いやいや、とは思ったけれど、ワタルさんが嬉しいならいっかと、眠気でぼんやりとする頭では上手いこと考えもまとまらず、おやすみという優しい声に、おやすみと辛うじて返すだけで精一杯だった。