広がる砂浜、透き通った海。お手入れがされているのか、さらさらと足を傷付けない優しい砂浜は、右手に見える先から左手に見える先まで、全部がプライベートビーチだという。
プライベートビーチなんて、本当に持ってる人がいたんだと思うけれど、色々な地方の様々な場所に別荘を持つ人からしたら、大したことない。のかもしれない。普通の感覚からしたら、そもそも別荘があるというだけでびっくりではあるのだけれど。
広がる海を前にして思わず立ち尽くす私の肩に、するりと腕が回される。抱かれた体は、華奢なように見えて案外太い腕にしっかりと抱き止められた。
「存分に楽しんでいいんだよ」
「……驚きすぎて、まず言葉が」
「ゆっくりでいい。時間はたくさんあるんだからね」
優しく耳をくすぐる甘い声に普段ならどぎまぎしてしまうのに、今は目前に広がる海に心を奪われていてすぐに反応が出来なかった。そんなことを言ったらきっと、私に囁くこの人はすぐに拗ねてしまうので言わないけれど、それでも。するりと肩に回されていた腕が腰に回されても、動けずにいる私の隣でダイゴさんはおかしそうに笑った。
「はは、新鮮でいいね。きみのそういう顔は初めて見たかもしれない」
「だって、すごいきれいで」
「きみと来られて嬉しいよ。上の別荘にはボクときみだけだし、ゆっくりしていこう」
「別荘から降りればプライベートビーチなんて……御曹司こわい」
逆に怖い。なんだかもう、スケールというか生きる世界が違う気がして。思わず素直に恐怖を呟いたら、少しだけ不機嫌になったダイゴさんにぐいっと腰を抱き寄せられた。
ビーチから上がって海辺の階段をのぼれば、すぐに別荘がある。別荘から続く階段を降りてくれば、今いるプライベートビーチが広がっている。まさに、この別荘の庭がビーチになっているとでもいうのだろうか。しかも今日は旅行ということでお泊まりで、ついでに言うと別荘にいる管理人さんすらも人払いしているようで完全にふたりきり。ダイゴさんはさっきからずっと、誰にも見られず邪魔されずゆっくりできるからか、ずっとスキンシップを続けていた。なんとも、恥ずかしすぎるくらいに。
「御曹司、っていうのはやめてくれないか」
「あ……ごめんなさい、ダイゴさん」
「ダイゴ」
「え?」
「この旅行中は、ボクのことをダイゴって呼んでほしい」
「でもダイゴさ、」
「ん?」
「……ダイ、ゴ」
「ふふ。よくできました」
ちゅ、と軽い音を立てて頬に唇が寄せられる。名前を呼んだだけでこんなにも甘ったるく囁かれてしまっては、この旅行中何回心臓をギュッとされるか分かったものじゃない。もしかして死んでしまうかもしれないと、本気で思う。ときめきで殺されるとか聞いたことはないけれど、ポケモンに魂を取られて死んでしまうという話があるような世界なので、きっとある。
頬にキスをして私があまりいつものような過敏な反応を見せなかったからか、ダイゴさん、もといダイゴの唇がゆるゆると頬から耳に移っていく。ぢゅ、と色っぽい音が耳に直接響いて、海を前に呆けていた私もさすがに体を大きく揺らした。
「まっ……!待って!ダイゴさん!」
「……」
「ん、ッ……まだだめ、ダイゴ、っ」
「ふ、残念。お預け食らっちゃったね」
油断も隙もないというのはまさにこのことか。放っておいたらこのまま外で始めてしまいそうな勢いに、思わず声を出して彼の身体を押し返した。ついいつものクセでさん付けしてしまったときにはびくともしなかった身体が、呼び捨てにした途端にふわりと身を引かれる。少しだけ血の気が引いた。全ては計算で、あくまでもさん付けをするものならそのまま致していたかもしれないという彼の強い意思を感じて、少しだけ震えた。怒らせないでおこうというのが、この旅行の絶対的ルールになった瞬間だった。
ホウエンのチャンピオンでもあるダイゴさんから「旅行に行かないかい」と言われたときには、まずチャンピオン業務は平気なのかと聞いた。チャレンジャーが来たらどうするのか、何か緊急な予定が入ったらどうするのか。詰め寄って聞いたら珍しく渋い顔をされたので、これはきっと事務局にも話を通していないか、もしくは強く反対されたんだなと思い、旅行は嬉しいし楽しみだけれど、百歩譲ってホウエン地方のどこかにしましょうという提案をした。爽やかな表情には出さなかったけれど、仕方がないと頷いた声がものすごく低かったので、たぶん不服だったんだと思う。だからといって、申し訳ないけれどそのワガママに関しては聞き入れてあげるわけにはいかないので、ホウエンのリーグ事務局に私から話を通しておいた。どうしても休みを取りたくてリーグを留守にするとごねていたそうで、私の提案に泣きそうになりながら、事務局の人は休暇の許可を出してくれた。それだけ旅行を大事にしてくれるのは嬉しいけれど、さすがにチャンピオンはちゃんとやってくれないと申し訳ない。多方面に。そのあとふて腐れたダイゴのご機嫌を取るのが大変だったけれど、まあそれはそれとして。
それからもうひとつ、私を連れ回してもいいのかを聞いた。私がいいかどうかではなく、ダイゴの体裁的にどうなのかという質問に、彼は平気な顔をしてニコニコと微笑んだ。答えは全く問題ないとのことで、むしろ見つかって写真のひとつでも撮られてしまえば外堀も埋められるし既成事実になるよねと笑っていた姿には少しゾッとした。外堀を埋めるって、私のことだろうか。本人の前で言ってもいいことなのか。黙った私を抱き締めたダイゴの声はものすごく嬉しそうだったので、それ以上は何も言えなかったけれど。
「さて、どうしようか。さっそく海に入るかい?……それとも、涼しい部屋で続きをする?」
「し、しません!」
「うーん、やっぱりそれは夜のお楽しみか」
全く悪びれる様子もなく、それどころか楽しげに顎に手を当てたダイゴが私の腰をするすると撫でる。爽やかな表情とお上品な仕草なのに、片手はなんて欲望に忠実なのか。ぺちんと振り払ったら、また爽やかに笑われた。