「あ、ダイゴ」
「ん?」
「タイ、曲がってるよ」
出かける際にかけられた声に、玄関に向かっていた足を止める。いつもの格好に、いつものタイ。特段代わり映えしないこの格好を素敵だと褒めてくれる彼女は、玄関に向かうボクの腕をそっと引くと、するりとその身体をボクの正面に滑り込ませた。
ボクより幾分か背の低い彼女がボクの胸元に注目すれば、必然的に目の前に現れるのは彼女の綺麗なつむじだけで。
控えめに染められた髪の根本が少し地毛の色に近付いているのがなんとも人間らしいというか、親しみやすいというか、こういう小さなことにも幸せを感じることが出来るのはいいことだよねとひとり微笑んでいると、不意に顔を上げた彼女の瞳とぶつかった。どうやら曲がっていたらしいタイを整えてくれたようで、満足げな彼女の瞳がボクを見て、それから不思議そうに傾けられた。ボクが不自然なほどに口元を緩ませて彼女のつむじを眺めていたのがバレたのだろうか。別に、今さら誤魔化すような関係ではないけれど。
「なんでニヤニヤしてるの?」
「きみがボクの世話を焼いてくれるからね」
「……それ理由?」
「はっきりした理由だよ。きみがボクだけを見てくれてるなって思うから」
「恥ずかしいんだけど……」
改めて言うことじゃないでしょうと、彼女が俯きながら呟く。彼女の小さな手のひらが、ボクの胸板をトントンと手のひらで軽く叩いた。そういうちょっとした仕草だけで、ボクが出掛けたくなくなる気持ちになってしまうことを、彼女は自覚してるのだろうか。このまま家でふたりきりで過ごしてしまいたいと、欲にまみれた感情が頭をもたげる。だけどさすがにボクも大人だから、そういう気持ちをぐっと押さえ、感情のままに彼女と過ごす時間は夜でも全く問題ないかと、ひとり頷いた。我慢できなかったぶんだけ、彼女の頭を撫でながら抱き寄せる。
彼女の頭を撫でた左手には、彼女との約束の印。ふたりの契約印。
「帰ったら、きみをうんと甘やかしてもいいかな」
「……ノーなんて言わないから、気をつけて行ってきてください」
「ふふ。いってきます」
身体を離しながら、彼女の左手を取る。その薬指にはめられた揃いの指輪に唇を寄せて、ボクは玄関の戸を開けた。
秋の始まりと言えどまだ夏の終わりの頃でもあって、降り注ぐ太陽の光は未だギラギラと厳しく照りつける。今日も暑いな、なんて思いながら太陽を見上げて、自分の頬の熱さが太陽の熱だけではないことをゆっくりと自覚した。