『闇』を倒しただけでは飽き足らないのだろう、既にボロボロの難破船まで壊し始めてしまった。船体が軋み、崩れた木片とともに海底の砂がもうもうと巻き上がると、視界が一瞬にして濁った。
「こ、怖すぎ、近づきたくない……」
「フロイド先輩やばぁ……いくら本物じゃないとはいえ、やりすぎじゃない?」
本物の人間相手だったら、いくら機嫌が悪いフロイド先輩の裁量でもあそこまではならないと思うけれど、機嫌を損ねないように気をつけないと。
砂埃から身を守るように、ただでさえ離れた距離をさらにとりながら皆の顔を見ると、何やらすっと目を逸らされた。
「いや……」
「ああ……」
「え?」
セベクと監督生、グリムが顔を見合わせては眉間に皺を寄せた。人の顔を見て、失礼な一年坊主どもだな。私も倣って眉間に皺を寄せ返すと、タブレットから声がした。
「ナマエ氏も自分の夢の中で似たようなことしてましたが……」
「いやいや、私はフロイド先輩と違って胸を痛めながらだったので」
「説得力に欠けるぞ……」
ひどーい! 私はオクタヴィネル寮生らしく慈悲の心を持ちながら泣く泣く『闇』を倒したというのに! シルバー先輩にそんなことなかったですよね、と目だけで同意を求めるも、ふい、と視線を逸らす始末だ。
そうしている間にも、数メートル先では激しい轟音が鳴り響いている。流石にフロイド先輩を落ち着かせないとな、と思ったのは皆同じだろう。またもや一番に口を開いたのはイデアさんだった。この中では年長者なだけあって、なんだかんだ冷静にまとめてくれている。
「そ、そんなことよりフロイド氏を止めないと。だ、誰か声かけてきて……ジャ、ジャミル氏! 同じ部活でしょ、ほらっ!」
「は!? どうして俺が……」
ジャミルさんは指名されたのが想定外だったのか、目を大きく開いた。フロイド先輩のご機嫌取りにうってつけかつ仲がいい私が指名されなかったのは少し残念だけれど、ジャミルさんも口が上手そうだし、この中では適任かもしれない。それに、あんな状態になってしまっているフロイド先輩相手に私がいつものようにどうこうできない可能性すらあった。それでも、少し羨ましいけれど。
オルトやセベク、グリムからも押しつけられたらしいジャミルさんは、大きく息をつくと、私をじっと見た。……もしや。
「……仕方ないな。ナマエ、君も来てくれ」
「やっぱり?」
「なんだ、一人で行ってくれるのか?」
「それはちょっと怖いでしょ」
私の気持ちを汲み取ってか、それとも効率重視か。どちらにせよ、ジャミルさんに声をかけられると自分でもわかりやすく声のトーンが上がった。一人で行くのと誰かと一緒に行くのとでは、心強さが全然違うよねえ。えへへ、と笑うと帽子越しに頭を小突かれる。
ジャミルさんが暴れん坊フロイド先輩にじわじわと近づいていき、私もそれに続いた。未だに大きな音を立て続けるフロイド先輩に向かって、注意を引くようにジャミルさんは大きく咳払いをした。
「フロイド……君が早々に目を醒ましてくれて助かったよ」
そう声をかけると、すっかり落ち着いた砂埃の中から、肩で息をするフロイド先輩がこちらをじっと見た。まるで獲物を捕らえたというような、そんな表情だ。
「あ゛ぁ? お前らさっきからチョロチョロうぜーんだけど、絞められてぇの?」
フロイド先輩は乱れた髪の隙間から金色の瞳を鋭く光らせた。無気力なフロイド先輩とは別の怖さがあった。私は本当にいつも機嫌の良いところばかり見てきただけで、こういうフロイド先輩も通常運転なのだろうか、と少しばかり怖くなった。
見ていられなくなったのだろう、お人好しの監督生がフロイド先輩を宥めようと試みる。しかしそう簡単に機嫌が直るはずもなかった。
私も怖気付いている場合ではない。ジャミルさんの後ろで身をひそめていたけれど、様子を窺うようにゆっくりとフロイド先輩の前に姿を見せた。それでもなお、鋭い眼光は浴びせられたままだ。「あの」と声を出してみると、震えているのがすぐにわかった。
「フロイド先輩、あの」
「は?」
「ちょっとだけ話聞いてくれたら嬉しいなあ……って」
「……」
「ね、お願い」
今までこんな目を向けられたことがあっただろうか。その気迫に怯んでしまいそうになるけれど、いつものフロイド先輩に戻ってもらうためだ。色違いの瞳から目を背けることなく、まっすぐに見つめながら言葉を紡ぐ。ジャミルさんみたいに、説得らしい説得はとてもできないけれど。
やがてフロイド先輩は私の顔をじっと見ていたかと思うと、ふう、と息をついてその場で尾びれを緩やかに動かした。
「ま、聞くだけ聞いてあげてもいいけど」
まだいつもの優しい表情とは程遠い。それでも、機嫌が最悪の状態から、少し悪いくらいには戻ったのだろう。上手くいった、と胸を撫で下ろすと、ジャミルさんが私の肩に手を置いた。
「でかした、ナマエ」
自信と不安は半々だったけれど、まさか私が、ここまでフロイド先輩の気持ちを和らげる緩衝材になるとは。今までも自覚しすぎているほど自覚していたけれど、効果が目に見えてわかったのは今回が初めてかもしれない。
フロイド先輩が私たちの話を聞く気になったところで、オルトがタブレット端末を手渡した。私も先程見せてもらった、あのかわいらしいイラストの動画を見せるためだった。
◈◈◈
端末を渡されたフロイド先輩は、動画をただ静かにじっと見ていたかと思うと――
「ギャハハハハハハハハハ!! なにこれ、おもしれ〜!」
突然とても綺麗とは言えない笑い声を海底に響かせた。尾びれがわかりやすく左右に揺れていて、目は細められている。いつもの上機嫌なフロイド先輩に戻ってくれたことに安堵する。それは私以外も同様だった。
ただ、フロイド先輩はマレウス・ドラコニアの夢の中にいるこの状況を心底面白がっているようだった。まあ、これは予想の範囲内というか、この兄弟ならばそうだろう。
「――ってことは、ここだとオレが望めば何でも叶うの?」
「うん。ある程度強固なイマジネーションが必要だけど……」
へえ、そういうこともできるのか。普段の夢の中以上にコントロールが効くという点は悪くない。私だったら何をイメージするかなあ、と考えていると、途端に景色が一変した。
「うわっ! びっくりしたあ…………って、ええ!?」
薄暗い海底からガラリと変わり、ナイトレイブンカレッジのメインストリートに来たかと思いきや、今度は熱い砂漠のオアシス、そしてついにはラウンジへと到着した。それも、フロイド先輩は人魚姿のままなので、とてつもなくアンバランスだ。
場面が転々としたせいで、頭の処理が追いつかない。グリムもその場でふらふらしている。それにしたって、強固なイマジネーションが必要らしいのにいとも簡単にやってのけるなんて。話が進まないと思ったのだろう、イデアさんが勝手な行動をするフロイド先輩に、慌てて声を絞り出した。
「ちょちょちょ……あんまり“ここが夢の中だと自覚してる”行動は控えてもろて……! 管理者が飛んできたら困るから!」
「管理者? ってことはぁ、オレが望めばここにウミウシ先輩を呼び出したりとか……」
「絶対やめろ!!!」
こ、怖いもの知らずすぎるでしょ。今にも恐ろしいことをしようとしているフロイド先輩を制止しようと声を張り上げると、その場にいたフロイド先輩以外の全員と声が重なった。
「え〜。ナマエちゃん、ダメ?」
「ダメに決まってるでしょ!!」
あのオーバーブロットしてしまったマレウス・ドラコニアの姿は思い出すだけで身の毛がよだつのに、それだけでなく、ここまでシルバー先輩たちが苦労してきたことを水の泡にするようなことをするなんて!
馬鹿! ダメです! と何度も繰り返して言うと、フロイド先輩はつまらなそうに唇を尖らせた。
気分屋のフロイド先輩はこの夢から出るための協力をしてくれる気分らしく、気が変わらないうちに次の夢に渡ろうという話になった。
「次は誰んとこ行くの? ジェイドかアズール?」
「そうだね。次はフロイドさんの兄弟であるジェイド・リーチさんを起こしに行くのが最適だと考えているよ」
順当にいくとそうなるよねえ。もしかして私がフロイド先輩の前に選ばれたのは、それこそ対フロイド先輩で上手くやるため、だったのかもしれない。自惚れの可能性だってあるけれど。それはさておき――
「副寮長かあ……何考えてるのかわかんないからな」
「フロイド先輩より冷静そうに見えるが」
「わかってないなあ、セベク。副寮長の方がなんかちょっと……変なんだよ」
「む……オクタヴィネル寮生のお前が言うならそうなのだろうか」
フロイド先輩は何を考えているかわからないと言われがちだけれど、気分がそのまま表に出るので、オクタヴィネル寮生の中では比較的わかりやすい部類だ。扱いが少し難しい、というだけで。しかし副寮長はというと、いつでも物腰穏やかで、人の良さそうな笑顔を浮かべて、まるで思考回路が読めない。そんな副寮長の夢を覗き見るだなんて、背徳感がとんでもない。うう、と身震いすると、グリムや監督生も私に同意するように何度も頷いた。
プライベートの副寮長については、山ときのこを愛してやまないということくらいしか知らない。腹黒の部分が全面に出る夢だったらどうしよう、と思いを巡らせていると、元気な声が水中に広がった。
「『ドリームフォーム・チェ〜ンジ!!』」
思わずそちらに身体ごと視線を送ると、人魚姿のフロイド先輩が瞬く間に私とお揃いの服に早変わりした。
「えー! 何あれ!」
「そういえばナマエは最初から寮服だったから必要がなかったんだな」
「へ〜、便利だねえ」
あのアニメみたいなかけ声が、変身するために呪文か何かなのだろうか。年頃の男子高生ならば恥じそうなものなのに、フロイド先輩にはまるでその気がない。一人でやるのは恥ずかしいけれど、なんだか少し楽しそうだ。私の熱視線が伝わったのだろう、エアドームに包まれたフロイド先輩がこちらにゆったりと寄ってきた。
「なに、ナマエちゃんは使ってねぇの?」
「最初から寮服だったから必要なかったらしいです」
「海なんだから人魚に変身すりゃ良かったのに」
人魚かあ。以前一度ネオンテトラの尾ひれをつけさせてもらったことがあるけれど、フロイド先輩に手を引いてもらって、泳ぎを教えてもらってようやく前に進める程度だったはずだ。私をそんなに器用だと思っているのだろうか、つい眉をひそめた。
「上手く泳げないのに?」
「でも人間の姿より速く泳げて便利でしょ?」
確かに、着衣状態の人間よりは遥かに軽やかに泳げて、まるで自分の身体ではないような感覚だったのを覚えている。もし副寮長が見ている夢が海の中でのものならば、人魚姿になるのもありかもしれない。
フロイド先輩の夢の中でももちろん同様、フロイド先輩とまるきり同じ姿をしたホログラムをオルトが出力する。こうして見ると副寮長とはあまり似ていないんだなあ、と眺めていると、ジャミルさんが私を見て口を開いた。
「君も人魚だったのか?」
「いいえ。前に一度変身薬で人魚になったことがあって」
「ふぅん。変わった趣味だな」
「嫌な言い方〜」
ジャミルさんって思っていたよりなんというか、はっきり言うタイプだな。気になるならジャミルさんも人魚になってみたらどうかと提案するも、はっきりと断られてしまった。
さて、次の夢に移る準備が整ったのだろう。シルバー先輩の周りにわらわらと皆が集まっていく。私も遅れをとらないように、今度こそ掴まるところを選べるように――とシルバー先輩のもとに近寄ったのだが、時すでに遅し。この人数に、さらに大きいフロイド先輩が追加されてしまっては、大渋滞この上ない。
どこに、いや、誰に掴まろうかとシルバー先輩をぐるりと一周すると、優しげなオリーブの瞳がこちらを見た。
「ナマエちゃんはオレに掴まっていいよ?」
「うーん、恥ずかしいな」
「は? オレの夢に来るときはクラゲちゃんに掴まってたんでしょ」
「そうだそうだ! 早くするんだゾ!」
人数が増えて、シルバー先輩も身動きを取りづらくなっているし、確かに選んでいる場合ではなかった。フロイド先輩とグリムに急かされるがまま掴まろうとすると、フロイド先輩が自身のお腹の部分をぽんぽんと叩いた。ここに掴まれ、ということだ。
どうして背中や腕ではなく、先程から真正面なのだろう。この次こそは上手くやらないとな、と思いながらフロイド先輩にしがみつくと、優しい香りに包まれた。
「『いつか会った人に、いずれ会う人に――
全員が揃ったことを確認したシルバー先輩は、ユニーク魔法を詠唱する。……って、待って。思い出した。まだ心の準備ができていなかったのに、そんな私の気持ちは無視するみたいに宙に身体が浮いた。
「うっ、やだやだやだ……」
これからまた、地獄みたいな旅が始まる。情けない声を出す私の背中をフロイド先輩は抱き寄せてくれていたけれど、その体温を感じる余裕など微塵もなかった。
◈◈◈
高く高く舞い上がったかと思うと、私たちは地面に足をつけることなく、その場でぷかぷかと浮かんでいた。辺りはさっきとさほど変わらない景色――海の中だった。
少し慣れたような気もしたが、それでもまた、私は吐き気をもよおしていた。
「うっ、吐きそう……」
「あはっ、弱ぇね」
私とは対照的に、フロイド先輩は楽しそうな表情を浮かべていた。その三半規管の強さ、マインド、とっても羨ましい。
フロイド先輩がシルバー先輩のユニーク魔法を羨んでいる間も、私は呼吸を整えるべく深呼吸をする。監督生とオルトが、私の背中を何度もさすった。フロイド先輩は羨ましがっているが、他人の夢に干渉できるユニーク魔法なんて、どこまでいっても真っ直ぐで綺麗な心を持っているシルバー先輩以外が持っていようものならとても恐ろしいユニーク魔法だと思うけれど。
そういえばここにいる皆は、どんな夢を見ていたんだろう。そして何より――
「ねえ、フロイド先輩」
「ん? なぁに」
ジャミルさんに呆れられているフロイド先輩のジャケットをぐい、と引っ張ると、耳打ちするくらいの声の大きさで呼びかけた。フロイド先輩はもちろん、左右で色の違う瞳をすっと細めてはこちらに耳を寄せてくれた。
「フロイド先輩の夢に、私は出てきましたか?」
あの夢のフロイド先輩にとって、私の存在はどうでも良いに等しかった。けれど、フロイド先輩を救うために必要な私が夢に出てこないなんて、自意識過剰だけれどとてもありえないと思った。
恐る恐る尋ねる私を安心させるようにか、フロイド先輩は勿体ぶることなく、弧を描いた唇を開いた。
「出てきたよ」
その言葉に胸のつかえが取れた。私の存在がまったくないなんてことはなかったんだ。しかし私は、普段からフロイド先輩を楽しませている自信はあまりなかった。あくまで、偶然ご機嫌取りとして選ばれた、くらいの気持ちだ。これ以上、何か悪いことがあるのだろうか。
さらにもう一歩踏み込むように、「それと」と付け加えた。
「でも、興味を失っちゃうくらいつまらない人間だったんでしょ? 私、どんな感じでした?」
「え? うーん……」
私の質問に驚いたのか、一瞬目を丸くしたかと思うと、少し考え込んでは薄く微笑んだ。
「ナマエちゃん、聞いたら傷つくかもよ?」
そのときのフロイド先輩はどこか妖艶で、踏み込んではいけないのにもっと知りたい、そんなジレンマが生じた。傷つきたくはないけれど、フロイド先輩にとっての私が知りたい。呼吸を整えて、意を決した私は横に首を振った。
「傷つかない。だから、聞きたいです」
そう言うと、フロイド先輩は一瞬呆気にとられたような表情をして、すぐにいつもの優しげな笑顔を浮かべた。心臓がどくんと跳ねた。フロイド先輩は、私のことをどう思っているのだろう。
するとフロイド先輩は、その笑顔のまま、私の帽子をぐっと下げるように頭を撫でると、私の視界が狭くなった。フロイド先輩の声だけが、耳に届いた。
「じゃあ言わないでおこっかな」
いつもと変わらず、私に向けてくれる穏やかな声色だった。どうして、教えてくれないのだろう。考える暇も与えないように、セベクの声が辺り一面に響いた。