天使の灯火の贈り物

 フロイド先輩の「影を倒す」宣言プラス煽りに簡単に乗せられてしまった私は、ラギーさんに賛同していたのにまんまと寝返ってしまった。フロイド先輩らしくて大変結構。小物みたいにフロイド先輩の側についた私とフロイド先輩を見て、ラギーさんと大きな一年生二人は目をぱちぱちさせた。からの、数秒遅れで目を開いたのは、マシュマロを乗せたら美味しそうな、ビスケットブラウンの髪を持つラギーさんだった。

「倒す……? フロイドくん、それ本気で言ってんの?」
「は? ったりめーじゃん」
「さっきまでこっち側だったナマエちゃんも?」
「気が変わりました」

 先程までは、私とラギーさんとハウルとセベクで輪になって話し合いをとるかたちだったのに、今はフロイド先輩と私と他の三人が対立するような立ち位置になってしまっていた。にこにこ笑って、動揺しているラギーさんを見ると、「まったくこの子は……」と洩らした。また褒め言葉だろうか。フロイド先輩は、さっきの騒動で乱れた私の髪を整えると、そのまま手櫛を通してから肩をぐい、と寄せた。

「どうせ逃げたところで、オレたち皆あんな速いやつから逃げらんねーよ。なら向かっていくしかなくね? 黙って食われるの待つなんて、ぜってーやだし」

 確かに、一人だけでも逃げきって、なんてラギーさんは言っていたけれど、その一人だけが逃げきれる保証なんてどこにもない。それに、もしあの黒い影が人間でもモンスターでもなく得体の知れないものだとすれば、本当に生きていられるかわからないし、どっちにしろやられるとしたら、立ち向かうべきだろう。まあ、私ったら流されやすいというか単純というか。

「……仮に戦うとして、どうやって攻撃するんスか? あのスピード、尋常じゃないッスよ」

 ラギーさんがムッと、疑り深い目で私とフロイド先輩を交互に見るのだけれど、私もだし、フロイド先輩も案がなかった。うーん、と困って眉を下げている隣でフロイド先輩は「真正面からじゃね?」なんて言ったので、それはもちろん全員から却下されていた。

「……それなら、僕に一つ案がある」

 困り果てた末、この五人の中で一番策を練っていたらしいセベクがぽつり、彼にしては正常な声量でそう放ったので、四人一斉にそちらに目を向けた。セベクも、やっぱりこういうのには乗り気のようだ。

「森の中で沼を見つけたんだ。あそこに引きずり込めれば、やつの足がどれほど速くとも、動きを止められるんじゃないだろうか」
「相手の動きが止まったところで袋叩きか。ワニちゃん、いいこと言うじゃん!」
「ワニ……僕のことか!?」

 沼というのは、私が木の枝を突っ込んで結構な深さがあった、なのにセベクはものともせずにずんずんと進んでいたあの沼のことだ。確かに、セベクのように特殊な訓練を受けでもしていない限り、大体の生物は沈んでしまうだろう。うん、突き落とせばほぼ確実に私たちの勝ちだ。褒められたセベクはワニというあだ名には納得していないようで、ただフロイド先輩はノリノリだった。私も結構ノリノリで、それに対して脳筋派が多そうなサバナクロー寮生は。

「ちょっと待って! 沼に落とすとして、どうやってそこまで連れて行くんスか? 何度も言うけど、あのスピードッスよ? 沼に行き着く前に追いつかれるに決まってるッス。それに、あの速さだなんて突き落とせるかどうかも……」
「くっ……俺のユニーク魔法で狼に変身さえできれば、ぶっちぎれる自信はあるんですけど……」

 そう言われてみれば、マジカルペンなし、いわば大きな魔法は使えない状態で向かうなんて無謀だ。こんなときまで己の身体だけを頼りにしなければいけないなんて、タイミングが悪いったら。そもそも、黒い影の目的って、なんだろう。なぜ私たちをほぼピンポイントで姿を見せずに襲うことができたのだろう。もやもや、きっとこの場で唯一違うことを考えていると、フロイド先輩は魔法を使うことを躊躇っているサバナクローの二人に笑いかけた。

「えー。バーンって派手にやっちゃだめ?」
「ダメに決まってるでしょ! ただでさえ大変な状況なのに、これ以上厄介事が増えるのは勘弁ッス!」
「魔法石なしじゃ魔法使うの我慢するとか、みんな良い子ちゃんばっかだねぇ」
「ブロットが直接溜まって危な――」
「魔法石……?」

 私が呑気なフロイド先輩にブロットが直接溜まる危険性について注意しようとしたところ、ラギーさんが何かに引っかかったようで、ぴたりと動きを止めて呟いた。魔法石? 魔法石…………あ!

「ラギーさん!」
「そうッスよナマエちゃん! 魔法石だ! オレたち持ってるじゃないッスか!」
「え?」

 私とラギーさんだけが意思疎通できたみたいな様子に、他の身長約一九○センチトリオの、気の抜けた声が重なった。つん、と肘でラギーさんをつついて、言ってやってくださいよ、というふうに口角を上げた。ラギーさんも一瞬こちらに同じような笑みを向けると、咳払いをしてから三人に向けて声を張る。

「坑道の課題で手に入れた魔法石の欠片! 皆持ってないんスか!?」
「あ……あります!」
「そういえば僕も、一日目に見つけた魔法石を持っているぞ!」
「オレも、余った魔法石を部員から回収してたんス。ナマエちゃんとフロイドくんは?」
「私も余分に持って帰ってきた分が!」

 そうして、一人だと危ないから一緒に馬術部のテリトリーまで来てもらい、本当に数個だけ魔法石が入った袋を手に取ると、ラギーさんの前に広げた。コロコロとほんの小さな欠片の魔法石がぶつかり合い、ラギーさんがそれに手を伸ばしたのを、私は袋の口をすぼめて、それからハウルがラギーさんの手を掴むことでまだ私の手のうちだった。

「ナマエちゃんもコバンザメちゃんくらいがめついじゃん」
「念のため、大事でしょ?」
「大事ッス」

 私の言葉に大きく頷くラギーさんは若干引かれつつあったけれど、実際にがめつい私たちがこうやっていざというときに力を発揮しているので、素晴らしいことだと思う。
 フロイド先輩は自身のウェアのポケットをごそごそして、「あ」と洩らしたかと思えば、小さな魔法石の欠片が手のひらの上に転がった。

「そういや坑道に行ったとき見つけたんだった。でもめちゃくちゃ小さいよ? オレの小指の半分もない」
「大丈夫! 五人が持ってた欠片を集めれば……」

 そうしてラギーさんが手のひらを広げたので、結局は一旦でもラギーさんに魔法石を預けることになったのだけれど、三人の持っていた、課題のうちの大きめの魔法石と、私とフロイド先輩の小さな欠片たちを合わせることで、マジカルペンについている魔法石一個半分くらいの大きさにはなった。

「これなら、ユニーク魔法でも……一回、もしかしたら二回ぐらいなら使っても大丈夫だと思うッス!」

 その言葉にほっと胸を撫で下ろす。私がユニーク魔法を使うときは、マジカルペン一つなら一気に五人まで、でギリギリ収まったくらいだから、確かにハウルの常時発動させて魔力消費量が多いものなら、ギリギリ間に合うだろう。

「――やつを沼に落とす方法っすけど……」
「オレとジャックくんで黒い影を引きつけて、なるべく遠回りして沼へ向かう。その間にフロイドくんとセベクくんとナマエちゃんは沼に先回りしてほしいッス」
「僕たちはいったい何を?」

 魔法石のおかげでハウルは十分にあの黒い影を引きつける役を担ってくれるそうで、サバナクローの二人と残った三人、でグループ分けをされる。それにセベクが疑問を投げかけると、ラギーさんはそれはもう、悪い笑顔でシシシッと息の音を鳴らして笑った。

「――奇襲を仕掛けるってこと! 説明するから、皆耳貸して」

 そうして四人がラギーさんのもとに歩み寄り、ラギーさんが考えてくれた作戦を把握する。
 大きく言えば、こうだ。サバナクロー組が遠回りして沼まで引きつける間に、私たちは先に沼で待ち伏せをしておく。

『ナマエちゃんのユニーク魔法は使えるッスか?』
『黒い影が人間だったら確実にかかります。……でもグリムにもかかったから、モンスターでも』

 黒い影が沼まで到達したところで、私がその黒い影にユニーク魔法をかける。ただでさえとてつもなく速くてパワーがある黒い影を、何もなしで沼に引きずり込むのはまあまあ厳しいから、ということだ。それから人魚のフロイド先輩と、沼で沈まなかったセベクがその影を引きずり込み、身動きが取れなくなったところを捕捉……という作戦だった。

「他に考えつく手もない。その作戦でいこう」
「おう! 俺も異論はねえ」
「私も、頑張ります」
「よっし。こうなったら腹くくって、皆で総攻撃ッス!」

 同意を得たところでいざ出陣! ……とはならなかった。

「え、オレ嫌なんだけど」
「ここにきて!!??」

 フロイド先輩の駄々に四人の声が重なる。大声を出せばあの影が再び襲ってくるかもしれないというのに、大声を出さずにはいられなかったのだ。

「急になんなんッスか! フロイドくんかあの影を倒すって言い始めたんでしょ!」
「え〜。でもその案ダッセーし……それなら一人で戦った方が楽しそー」
「な、なんと身勝手な人魚だ!」
「フロイド先輩がいないと、この作戦うまくいかないですよ!」

 フロイド先輩の気分屋には困ったものだけれど、今のセベクの人魚呼び、結構好きだ。人間という一括りじゃないの面白いなあ。フロイド先輩の心底面倒くさそうに肩に手を押さえる様に、皆はうんざりというか、まあ、焦る。皆の必死な様を見て、フロイド先輩は眉を下げると、「対価なしじゃあやる気にならない」と言ったので、ここは私が、と口を開いた。

「……じゃあ私が、フロイド先輩の言うことを何でも――むぐっ」
「こら! 女の子が迂闊に、しかもフロイドくんにそんなこと言うんじゃありません!」

 私がフロイド先輩の言うことを聞く、となれば、まあ、それなりに変なお願いはしてくるだろうな〜なんて思いながらオクタヴィネル寮生らしく取引をしようとするのだけれど、私のものより大きな手が後ろから伸びてきて、私の口を覆った。それにより、呆気なく取引を持ちかける前にそれは終わった。ゆっくり後ろを向くと、ジト目で私を見てくるラギーさんは、ムッとしてから溜息をついた。

「はぁ……アンタはもうちょっと一つ一つの言動を考えて!」
「……ママ?」
「ママ…………オレがッスか!? ったくもう……」

 私だって危機感ゼロで取引を持ちかけるわけではない。ただフロイド先輩だし、ちょっと変なお願いはされるかもしれないけれど、決して私が傷つくようなものはしないってなんとなくわかるからだ。それに、私にもできる範囲のお願いしか聞かないつもりである。私だって人くらい選ぶのだけれど、こういうところはラギーさんはナイトレイブンカレッジの数少ない常識人というか、少しがめつくてケチなだけのいい人だ。

「……あーあ、オクタヴィネルのヤツらとこんな話本当はしたくないんスけど……。……命には変えられないか」

 私から手を離したラギーさんはまた溜息をついて、オクタヴィネル寮に微妙な喧嘩を売りつつもフロイド先輩に向き直る。

「わかった。ナマエちゃんの代わりに一つだけ、お願いごとを聞いてやるッスすよ」
「お願いごとを? コバンザメちゃんが?」
「ラギー先輩……! 男らしいぜ!」

 ただ、お願いごととか取引っていうと、私たちオクタヴィネル寮は、抽象的なものだと規定されていない細かいところを突く。これは三人の先輩からの教えだ。だからラギーさんも、下手なことを言えば良いように、隙を突かれる。フロイド先輩なら間違いなくそうするだろう。けれどラギーさんは、そういうのを経験済みなのか、やたらとケチで用心深いのか、こう言った。

「オレの命に関わること、オレのお金に関わること、オレの将来に関わること、以外の……『一回限り』……いやこれじゃ曖昧だな。『三十分以内に済む』願いごとなら聞くッス!」

 その見事な予防線の張り方に、思わずひゅー、と口笛を鳴らす。実はラギーさん、オクタヴィネル適性があるかもしれない。

「その条件を満たすことのできる要望はかなり限られる気がするぞ」
「でも正しいよ。セベクも取引とかするときは、細かいとこまで設定しなきゃ駄目」
「そんなものする気はない!!」

 いやあ、実際セベクはかなり強力な漂白剤ごときに普通の洗剤の三倍もの値段を出してしまうくらいちょろいのだから、気をつけていたとしても、特にマレウス・ドラコニアが関わってしまえば駄目だと思うけどなあ。
 フロイド先輩はラギーさんの提案に唸ってから、ゴールドとオリーブをそれぞれ細めた。

「ま、いっか。稚魚ちゃんたち連れて行くのもそれはそれでハンデになって楽しそうだし」
「ムッ……! 貴様こそ、僕の足を引っ張ることのないようせいぜい努力することだ!」
「ははっ。言うじゃん。泣いても助けてやんねぇからな? ナマエちゃんも、ここにいたら危ねーから連れてくだけだし」
「……お荷物ってこと?」
「んー、まあそれもあるけど……ナマエちゃんまでやられたらたまったもんじゃねぇし」

 お荷物は否定されないので、いつものことだなあと思いながらも私もムッとする。確かにこのキャンプでは足を引っ張ってばかりだけれど、面と向かって言われればショックというより腹が立った。フロイド先輩の真意は私への過保護というのはなんとなく、わからなくもないけれど。
 思いきり眉間に皺を寄せていると、突如ガサガサ、森の方で音が聞こえたので、一斉に身構える。

「グルル……ラギー先輩、ヤツが来ます!」

 仄暗い中で、その黒い影を捉えるように目を細めると、角のあるようなシルエットだった。ただその角はマレウス・ドラコニアのものとは違う、野生みのあるもので、あの感じは、きっと人だ。少なくともオーバーブロットの際に、後ろにいる得体の知れない化け物ではないことは確か。

「!? アイツが……レオナさんたちを襲ったヤツ……? よし……皆! 作戦の通りに行くッスよ!」
「おう!!」

 皆がラギーさんの呼びかけに意気込んで、元気よく返事をすると、ハウルがあらかじめ握らされていた魔法石の欠片をぎゅっと握っては息を大きく吸った。

「『月夜を吠える遠吠えアンリイッシュ・ビースト』!」

 生で見るのは初めてだ。ハウルがユニーク魔法を唱えると、パッと光が散って、一度瞬きをしてしまえば白くて大きな狼の姿になっていた。もふもふだ。グリムよりも毛がふかふかで触り心地が良さそうな尻尾をぶん、と振ると、イエローゴールドの瞳がギラ、と光った。
 それからラギーさんを背中に乗せれば、狼の速さに流されるままにラギーさんが私たちに「また後で」の呼びかけをして、例の黒い影もまんまとその後を追う。それはもう、馬とかマジカルホイールくらいには速い。

「すさまじい速さだ……。影はラギー先輩たちの後を追ったぞ。僕たちも行こう」
「おっけー。二人に負けるわけにはいかねーもんな」
「音を上げても待たないからな、ナマエ」
「……私だって足を引っ張ってばかりはごめんだから」
「ん。頑張ろーね」

 腕を組んでふん、と私に向けるセベクに対して、このキャンプで私は何度もセベクや同じ部活の人たちに助けてもらったことのお返しをしたい。ぎゅっとウェアの裾を握って唇を結んでそう言うと、セベクは鼻を鳴らして、フロイド先輩は私の頭に大きな手を乗っけて、ほんの少し湿り気を帯びた髪をかき混ぜた。

 ◈◈◈

 沼まではそれなりの距離がある。時間稼ぎをしてくれているラギーさんたちだけれど、あれなら追いつけるのも時間の問題。はあはあ、息を切らして、けれどナイトレイブンカレッジに入学してから嫌でもバルガスの課題をクリアしなきゃいけないので、体力は女子にしては多い方だろう。唾を飲んで、股下の長い二人に頑張って着いていくと、セベクはちら、とこっちを見るけれど、頷いて気にしないでと伝えた。

「沼はもうそこだ!」
「うんっ、」

 くっ、とまた唾を飲んで、ポケットに手を入れれば魔法石の欠片が手のひらに食い込んだ。魔法を使うには体力が必要。体力量と魔力量は比例だってする。リドル先輩のように魔力量が元から多かったり、遺伝の場合もある。けれど魔力を使いきってでも止められるなら本望。眼前に底なし沼が広がって、足を止めればまた一気に喉元が苦しくなって、それを見たフロイド先輩が私のポケットの中の魔法石をひと欠片手に持った。

「……?」
「倒れたら許さねーし」

 そして私の喉仏を軽く二本指で押さえると、ぽうっと小さく白く光って、わずかな魔力が与えられた。小さく息を吸えば、呼吸はさっきまでより苦しくない。フロイド先輩にお礼を言おうと、背の高い金色を見上げたところで、森の奥からざっざっ、と木々や草をかき分ける音が聞こえた。そちらを見る前に、反射的に私はスっと陰に隠れて、二人は沼に入って待機をする。セベクに今度は私が、気をつけてね、と目線を送れば、フロイド先輩よりくすんだ金色が揺らめいた。
 陰から様子を見ていると、その黒い影はやっぱり暗闇で姿をはっきりと捉えるのは難しく、けれど道がわかる程度には明るいので、よく目を凝らしてそちらを見ると、やっぱり人間だ。人間でなくても、人型。これなら――

「ナマエちゃん!!!」

 沼にはまるギリギリまでラギーさんと苦しそうに眉根を寄せたハウルが影を引きつければ、私の名前を呼んでパッと左右に分かれる。それをすかさず追いかけようとする黒い影に、一秒も遅れを取らないように準備をしていた私は、目の前に飛び出すや否や指標を定めて指先を影に向けた。

「『夢の散亡バースト・ユアバブル』」

 十秒でも、効いてくれればいい。私の指先からパッと光が散ると、私の方に寄ってこようとしていた黒い影の動きがピタッと止まる。構えていた手もぶらんと下に垂れ下がって、よし、成功した! それと同時にふらふらして、もっと鍛えないと、私。

「ナイスナマエちゃん! 二人とも、今ッス!!」

 魔法がとける前に、私はラギーさんの方に避けると、どろどろした沼からブクブクと泡が立ち、大きな飛沫とともに、ウツボのフロイド先輩と完全に人型のセベクが飛び出した。うわあ、どろどろ。頭まで被って、フロイド先輩はともかくセベクは目の中に入ったりすれば危ない。あとでしっかり洗わないと。
 そんな呑気なことを思っていたのは、わずかコンマ数秒の話で、人間の思考は意外と回る。それも、呑気な方に。沼から出てきたフロイド先輩とセベクの手がそれぞれ影の足を掴むと、ぐっと力を込める。

「このまま沈んでもらうぞ!」
「あはは、一名様ごあんな〜い!」
「よしっ! 二人とも足を掴んだ! そのまま沼に沈めるッス!!」
「落ち……やがれ!!」

 もうほとんど勝ちを確信した私たち陸組はそれを見守って、沼組は両手で足を引っ張る。しかし、その影はびくともせず、私の魔法がかろうじて緩和しているのか、それとももう効果が切れたのか、影の足元の地面はえぐれていた。

「なっ……コイツ……!? 地面がえぐれるほどに踏ん張っている!」
「すっげぇ力……!! ナマエちゃんの魔法使ってもこれかよ!」

 そのとんでもない体幹の影は、やっぱりかろうじて私の魔法で大人しくなっていたようで、数秒経てばその場で暴れ始めたので、フロイド先輩たちが振りほどかれそうな勢いにもなった。やっぱり、相手が格上だと私の魔法が持つのは短時間だ。暴れ始めたおかげで一気に近寄れなくなり、身体を押そうにも私たちが代わりに吹っ飛ばされてしまう。何か、方法は。

「……っ、『夢のバースト……』」
「! ダメッスナマエちゃん!」

 もう一度ユニーク魔法を打てば、私たちが後ろから三人で突き落として、というのができるはず。そう思ってまた指先を向けるのだけれど、ラギーさんにまたしても後ろから口を塞がれて、指先も伸ばされた腕により制された。何するの、と睨めば、反対に私が、タレ目ながらも鋭いブルーグレーの目を向けられた。

「ナマエちゃんがこれ以上使ったら倒れるしブロットも蓄積される! それにあの二人だって……!」
「!」

 確かに、そうだ。私はまだ魔法のコントロールができないから、下手をすればフロイド先輩やセベクも巻き込んでしまって、その人数に比例して魔力量の消費もブロットの蓄積量も大きくなる。早く、早く使いこなせるようにならないと。
 でも今は私にはどうもできない。ラギーさんと目を合わせて頷くと、ただでさえふらついた私はハウルの方に預けられて、その間も黒い影は沼の二人を反対に引きずり出しそうな勢いだ。ラギーさんは小さく舌打ちをすると、「ああもう!」と声を上げた。

「『愚者の行進ラフ・ウィズ・ミー』!」

 ラギーさんがとった手段は、ユニーク魔法。でも、そんな。私とハウルに渡してもらった分の魔法石で全部だったのに、それを持っていないラギーさんが魔法を、しかもユニーク魔法を打つなんて、身体にとんでもない量のブロットが溜まるに違いない。私とハウルがガッとラギーさんの方を向いて、もしオーバーブロットしたらとか、色々な危険性を心配するように目を見開くのだけれど、当のラギーさんは平気そうな顔をしてその場に立っていた。

「……あれ? 全然平気そう……?」
「んなこと今どーでもいいだろ!!! さっさとコイツ沈めろや!」
「了解ッス!」

 やいやい文句を言うセベクと、ガチギレフロイド先輩だ。ヤクザだ。どうやらラギーさんは平気そうなので、私たちもブロットの方の心配は一旦保留。ハウルと沼の方に目を向けると、操り人形のようになっていた。最初からこっちの方が良かったかもしれない、なんて。走行しているうちにラギーさんは愉しそうに口元を歪めると、じりじりと前に歩いた。

「さあ、バケモノさん……そのまま真っ直ぐ……沼の中に進みましょうか!」

 ラギーさんが焦らすみたいに、一歩、二歩と足を進めれば、地面がなくなったそこにバシャン! と音を立ててダイブする。その影は少し外れたが私たちの思惑通りに、沼にはまってくれた。ナイス、とガッツポーズをしている間にも、フロイド先輩は嘆息した。フロイド先輩がダッセーと言っていたのは、どうやら沼に潜ることでどろどろになることだったらしい。

「この借りはしっかり返させてもらうからな? ぜってー逃がさねぇぞ!」

 沼に落ちたのは余程不本意だったらしく、表情を消したフロイド先輩は未だ暴れる黒い影を尾で拘束した。ナイスすぎる、フロイド先輩。

「さあ……お待ちかねの反撃ッス!」

 完全に沼に沈めて、フロイド先輩は人間姿に戻り、セベクも陸へと上がってくる。ラギーさんの言葉に頷いた私たちは、沼で暴れる黒い影をボコボコにする――予定だった。

 しかし、私とハウルと殴る方がお好みのフロイド先輩、それからユニーク魔法を使ってしまったラギーさんは物理攻撃。セベクだけが風魔法や水魔法を影にぶつけるも、怯む様子なんてなく、むしろ沼の中でも反撃をしてくる始末だった。

「は、吐きそうだ……。これ以上魔法を使うのは……くっ!」
「おいセベク! それ以上はやめとけ!」
「セベクは魔法石を持ってない。ブロットが溜まって危ないから、ね?」

 ハウルの声かけでも魔法を打とうとする、私よりもひと回り以上大きなセベクを背から支えれば、セベクは口元を押さえた。私の服がセベクのせいで泥だらけになるとかは今はどうでも良くて、宥める私を悔しそうに見ながら頷いたところで再び敵への攻撃を再開した。私の攻撃が効くかなんて、わからないけれど。私だけじゃない、フロイド先輩の馬鹿みたいな加減を知らない蹴りでも怯むことなく、相当強い。バカ強い。

「くそ……本当、なんなんスかコイツは……。こんなわけわかんないヤツのせいで、オレは…………」

 私たちだけじゃない。既にいなくなった人たちに、私とセベクを庇ってくれたリドル先輩の居場所を突き止めることもない。何もできない。
 ほぼ諦めかけていたとき、辺り一面に光が差し始めた。木漏れ日が、はっきりと沼に落とした影を照らす。これは、人型とかではなくて、確実に人間で、それもただの不審者でなくて……

「バルガス先生!?!?!?」

 不審者でないといえば嘘だ。鹿を思わせるダサファッションで、口元だけを出した背は高くないのにガタイのいいこの人は、間違いなくこのキャンプの主催者、アシュトン・バルガスだった。
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