属性:サバイバル

「深そうだね……」
「絶対深いですよ」

 辿り着いた沼を覗き込み、リドル先輩と揃ってそう言う。沼って実際、あまり遭遇したことがないけれど、底が見えずどろどろとしたこの感じが不安を煽る。落ちてしまったら抜け出すのも、ひとたまりもないだろうな。
 セベクやシルバー先輩も辺りをうろつき、『灯火の花』を探す中、私も記憶の中にある教科書に載ったあの花の姿をぼやーっと思い浮かべながら白っぽい、百合とは少し違うそれを探すと、沼を越えた浮島にそれらしき花が見えたので、それを指さしてみせた。

「リドル先輩、あれは?」
「ん? ……確かに『灯火の花』のように見えるね。条件も合っている」
「でもあそこまで取りに行くのは……」
「ああ、リスクが高い」

 沼を越えた、のその浮島までの距離はざっと見た感じ三十メートルほどだろうか。魔法が使えるならばひょい、と浮島に到達することは容易なのだけれど、この底がどこかも見当もつかない沼を渡ることは難しい。みるみる沈んで、身動きをとるのも困難になるだろう。しかしあれが『灯火の花』だとすれば、枯れる前に採取しなければ再び見つけるのは困難になる。
 うーん。考えるより動いた方が良いのだろうけれど、無駄な体力の浪費は避けたいし。頭を悩ませていると、呑気な声が背後から聞こえてきた。

「お! 馬術部がいるんだゾ。『灯火の花』は見つけたか?」
「ああ。この沼にある浮島……大体二、三十メートル先だ。あそこに花のようなものが見えるだろう? もしかしたら『灯火の花』かもしれない」

 リドル先輩が記録係の監督生とグリムに見えるように浮島に咲いている花を指さす。本当に咲いているのがギリギリ見える距離だけれど、おそらく知識が足りていないグリムには判別が難しいようだった。

「確証はないんですけどね……」
「違えばまた探せばいい。問題は浮島までどう行くかだな。この沼、かなり深そうだ」
「時間が惜しい。僕が確認してくる」

 優しいリドル先輩の声がけを聞きながら、近くに落ちていた太めの木の枝を拾うと、沼にそれを突っ込んでみた。足先をつけてみても良いかと思ったけれど、流石に選んでもらった新品のスニーカーを犠牲にするわけにはいかない。アウトドア用なので汚れることが大前提ではあるけれど。そう思って枝を深くまで入れてみるけれど、底につく気配はないらしい。
 やはり直接取りに行くのは危険極まりないな、と思いながら枝を抜き始めたとき、セベクの躊躇ないひと言を聞くと、木の枝と入れ替わりかのようにずぶずぶと何かが沈む音が聞こえた。えっ、流石に危なすぎる。セベク、偏見だけど、どんどん沈んではワーワー騒ぎそうなのに。これには私だけでなく、リドル先輩もぎょっとして目を大きく見開いた。

「セベク! 不用意に沼に入るのは危険だよ!」
「そうだよ、戻っておいで〜!」
「底までどのぐらいかわからないし、さっきナマエが枝を入れていたのを見る限りかなり深い。それに、水と違って泥に入ると身動きが取りづらい。もしも足が埋まったら、抜け出せなくなる。そのまま沈んでしまうかもしれない!」

 私たちが止めるのも聞かず、セベクは泥に足を取られながらも浮島を目指す。沈んでしまうのもそうだし、せっかくのアウトドアウェアが汚れちゃう、なんていう方がどちらかといえば心配かもしれない。かわいいアウトドアウェアなのに。

「人間と一緒にしないでもらおう。この程度の沼に入って、抜け出せなくなるほどヤワじゃない」
「なんて人の話を聞かない奴だ!」

 セベクはフン、と鼻を鳴らしながら浮島へと向かっていく。これにはリドル先輩も呆れているというか。それはそう。リドル先輩があれだけ沼に足を入れる危険性を並べてくれたのに、そんなものは関係ないと引き返すことをしなかった。確かに沈んでいかないけれど、これは妖精と人間の違い、ではない気がするけれど。

「セベクはああ言っているが、本当に大丈夫なのかい? シルバー」
「あ、でも水の中と変わりないくらい進んでますよ……」
「……本当だ」
「俺とセベクは悪条件下でも支障なく活動できるよう、リリア先輩から指導を受けている。心配には及ばない」

 私たちの心配をよそに、シルバー先輩も余裕そうな表情でセベクが浮島に辿り着くのを眺めていたけれど、リリアさんからの指導という言葉にはまあ、溜息というか、間抜けな声が洩れてしまうだけだった。たまにこうやって、地味にすごいところを見せつけられたかと思いきや、大体ディアソムニア寮の副寮長さんの入れ知恵だったりする。あんなにかわいらしい顔をしているのにスパルタだことで。
 ある意味で格の違いやらに呆然としていると、セベクがまた、沼の中での動きづらさなんてないみたいにこちら側へと戻ってきたようだった。

「浮島に生えていたのは、『灯火の花』ではなかったようだ」
「そうか……残念だな」
「二人だけ異次元? ……って、セベクどろどろだよ」

 当然のように沼から上がって、当然のように報告をするディアソムニアの二人はなんだか、当たり前でないことを当たり前にしていて次元が違うような感じがして、思わず声になってしまった。そんなセベクは膝のあたりまで沈めてしまったせいで泥がついており、うーん、汚れることはわかっていたけれどこうもダイナミックだとやっぱりどこか勿体ないような。

「セベク、キミの膂力がすごいのはわかった。だが、泥まみれになることへの躊躇はないのかい?」
「今日は天気も良い。タオルで泥を拭き取れば、そのうち乾くだろう。諦めてレオナ先輩に負けることと比べれば……服を濡らす程度、どうってことはない!」
「レオナ先輩……? どういうことだ?」

 服を犠牲にしながらも冷静にこの後のことを考えて効率を重視するセベク、尊敬するところしかないなあ、と思いながら何やらレオナさんと因縁か何かがあるのかを聞き流しつつもセベクが出てきた沼に目を遣る。セベクの足の大きさに空いた穴は、徐々に埋まっていっているようだ。レオナさんとセベクって、珍しい取り合わせな気がするな〜と思いながら、その穴が完全に元の状態に戻るのを見ていると、遠くからバタバタと誰かが走ってくるような音が聞こえた。草を掻き分けて、汗をかいているあの人は……

「おーい! 大変だ!」

 同じ寮出身である馬術部員が私たちのもとへ、息を切らしながら助けを求める声を上げた。何故焦っているか、なんて大体の予想はついた。

「キミは確か……キャンプ場で焚火を守る役割じゃなかったか?」
「ああ、大変なんだ! すごい数の妖精が現れてさ。応援に来てくれ!」

 そう、やっぱりキャンプ場に再び現れた妖精が厄介らしく、それも焚火を見張っていた二人やあの周辺で待機していた部員たちが手に負えないほどの数ときた。出された三つの課題だけでもかなり大変だというのに、さらには焚火を消さないように、なんて条件付き。これにはリドル先輩、シルバー先輩、セベクも妖精に対しての溜息を軽くつけば、その部員を通り過ぎてキャンプ場に向かいながら言う。

「また来たのか……懲りない奴らだ。僕が追い払ってやる!」

 セベクが一番に妖精の出現した場所へ向かおうとするのをシルバー先輩が追って、リドル先輩はその場で私と見張りだった部員に身体を向けた。

「わかった、今行くよ。ナマエ、その間キミは『灯火の花』を探してくれるかい?」
「わかりました」
「うん。なるべく早くに戻るからね」

 そう言い放つと、リドル先輩もセベクたちに少し遅れてキャンプ場に向かい、見張りをしていたうちの寮の先輩には「人手を減らして悪いな」と言われた。悪いのは妖精なので大丈夫です、と言うと、もう一度「悪い」と言ってその場から去った。まあ、根本的に悪いのはきっと私たちなんだろうけれど。
 さあ、皆が頑張っているんだから、私もサボっているわけにはいかない。せめて『灯火の花』を見つけて、少しでも助けになろう。

 ◈◈◈

 沼地、それに先程探していた森林の中と探してみるも、どうやら『灯火の花』の気配はなかった。本当にこのあたりに自生しているのだろうか、とバルガスを不審がりつつも、反対側の森の中も探してみようと、崖の近くを通ったときだった。

「あれ、……あれ?」

 崖の、それはそれはもう上の方。ぽつり、小さくて蓄光した花が咲いていた。十メートルといった高さにあるけれど、それでも先程の浮島に咲いていた花よりは姿を確認しやすい。目を細めて焦点を合わせる。周りに他の花は咲いていないし、日当たりもいい。あれが作り物でなくて本当に自生しているものだとすれば、間違いなく『灯火の花』だ。
 それがわかると、嬉しいからなのか興奮で口端がつり上がり、どうにかして崖の上まで様子を見に行けないかと、やや刺々しい岩に手を置いて、足を引っかけてみたときだった。

「いったぁ……」

 手のひらからじわ、と血が出てきて、どうやら岩の尖端で切ってしまったらしい。割と深く切ってしまったようだ。生憎ハンカチやタオルはテントの中に置いてきてしまったし、どうしようかとまた足をかけたところで、足を滑らせてしまった。それはもう、スローモーションで。
 わずか一メートルに満たない高さだけれど、背中やお尻を痛めそうだなあ、と思いながら後ろに落ちていると、ぼふっ、と地面とは違うものに背中が当たった。

「大丈夫か」
「あっ……大丈夫です」

 そのまま倒れることなく絶妙な斜めの体勢を保っているのは、白いけれど逞しい筋肉のついたシルバー先輩の腕に支えられているおかげのようだった。花の香りと、透き通った声。それと、手のひらの痛み。かっこいい、とか、いい匂いだとか、痛みだとかをいっぱいいっぱい感じて、頭の中までふわふわしてきたとき、痛みで熱くなった右手を、パシッ、とリドル先輩の体温の低い手に掴まれた。妖精を追い払ってここまで来てくれたのだろう。

「ナマエ、怪我してるじゃないか! いったいどうし――」
「おい、今度こそ『灯火の花』を見つけたぞ!!」
「!」

 リドル先輩が私を心配するように、少しだけ焦り気味でポケットからハンカチを取り出しながら、きっと「いったいどうしたんだ」と言いたかったのだろう。それを遮ったのは、セベクの半端でない大きさの声だ。語尾の部分が山に響き渡り、質の高いやまびこである。

「……本当だ。十メートルほど上に一輪だけ生えている。よく見つけたな、セベク」
「まあな。というのも、ナマエの足跡らしきものがその崖下の地面についているから、きっと先に見つけたのはナマエだ」
「キミ、それで無茶な真似を?」

 リドル先輩は白いハンカチを私の手に応急処置というように包むと、「しばらくはこうしているといい」と言った。応急処置が完璧かつ、女子力の敗北。無茶な真似、と言われたらそうだけれど、少しでも役に立てれば良いと思って。小さく頷くと、リドル先輩はまた、少しの嘆息をつく。

「しかしよく見つけたね。セベクの観察眼も大したものだよ」
「僕は若様の護衛。この程度はできて当然だ!」
「見つけたことと護衛は関係ないと思うけれど……」
「良かったあ、見つかって。けれどあれ、相当高いですよ。どうやって採りに行くか――」

 手は痛いし、もし花を採ることができてもあの高さから落ちたら大怪我どころではすまない。頭蓋骨を折ってしまったり……とにかく、危ないのは間違いない。
 すると、近くにいたシルバー先輩の人工的でないフローラルな香りとは違う、人工的な石鹸のような匂いが充満したような気がした。いやあ、私って鼻が利く。実は人間じゃないかも。というのは冗談。

「――リドルじゃねえか。ってことは、ここにいるのは馬術部の連中だな」

 セベクと違って大きくはないのによく響くド低音ボイスが背後から聞こえてきて、その予感は当たってしまったらしい。マジフト部の部員を数人引き連れて先頭に立つのは、マジフト部の部長のライオンさんだった。

「レオナ先輩。マジフト部員を引き連れて、どうしたんですか?」
「コイツらが『灯火の花』が見つからねぇってうるさいんでな。昼寝の邪魔だから、さっさと見つけて黙らせることにしたんだよ」

 相変わらず、面倒見の良い肉食動物さん。心底だるそうに欠伸をするレオナさんだけれど、そっか、ライオンだから睡眠時間が夜の分じゃとても足りていないんだ。やっと納得した、と一人で感動していると、ちっちゃなお耳を生やしたサバナクローのマジフト部員がいきなり声を上げた。

「あーーー!! レオナ先輩、『灯火の花』ありましたよ! 崖の上を見てください!」
「キミたち、待て! あの花はナマエにセベク、ボクたち馬術部が先に見つけたもので……」
「あ? 先に見つけたからなんだよ。こういうのは早く獲ったモン勝ちだろ?」
「さっさと崖登って、馬術部より先に採ってやりましょう!」

 流石の肉食動物たちはサバイバル精神をお持ちのようで、どちらが先に見つけたとか、そういう優先順位とかは関係なく、狩りの精神で花を目指そうとする。馬術部に比べれば体育会系すぎるマジフト部との勝負だなんて、負ける気がするけれど、セベクだって何か因縁がありそうだったし、受けて立つしかない。そう思っていたのに、

「やめとけ」
「えっ。なんでですか?」
「――あんな絶壁にわざわざ挑まなくても、他にも養分のある場所を探せばいいってことだ。腐葉土が豊富な森の中や、日光の反射が強い湖畔を探す方が、崖を登るより体力を温存できる」

 レオナさんは、『灯火の花』に関する知識をつらつらと並べてから、より良い解決策を部員たちに提示した。た、確かに。さらには最後には「目先の餌につられるなんざ馬鹿のすることだ」なんて、私たち優秀な馬術部を遠回しに見下すような発言をした。確かにレオナさんも優秀だとは思うけれど!

「確かに危ないよな。俺たちもマジフト部の連中みたいに他の場所を探すか」

 うちの寮生はそう言って、リドル先輩もそれに賛同するかたちで頷くけれど、変なところで負けず嫌い故に引っかかってしまうところがあった。これでレオナさんたちに言われたのを真に受けて湖畔の方に行けば、どこか負けたような感じがする。それに……

「いや、僕はあの花を採るぞ! レオナ・キングスカラーが諦めた崖を登って、ヤツを見返してやる!」
「は? キミなにを言って……って、もう登り始めてる!?」
「ナイスだよセベク〜、そうこなくちゃ。危ないから手切らないようにね!」

 リドル先輩や他の部員が止めるのも聞かず、セベクはずんずんと崖を登っていく。私はリドル先輩たちには悪いけれど、セベク応援派だ。沼を易々と抜け出したセベクが、私を妖精からすぐに助けてくれるセベクが簡単に崖から落ちるとは思えまい。私が先程手を切ってしまった位置なんかも軽く通り過ぎてしまい、間もなく崖の真ん中であろう部分に到達しようとしていた。セベクはこちらを振り向かず、花だけを一点に狙って、窪みに足を引っかけながら登る。

「わかっている!! 何のための手袋だと思っているんだ!!」
「セベク、今すぐ下りないか! ナマエも応援している場合じゃない!!」
「だってセベクだし……。それに、ここを逃して他の場所でも見つからないなんてことがあれば、後悔することになるかもしれないでしょう?」
「ああ。リドル、大丈夫だ。セベクをよく見てみろ」

 シルバー先輩につられてリドル先輩が崖を登るセベクを見ると、目を見開いて、注意の声を止めた。だって、あまりにもセベクが安定感のある登りをするものだから。まるで普段から崖を登って登校しているみたいな。シルバー先輩は何も動じず、リドル先輩は呆気にとられて、私は応援して、他の部員はざわざわと。三者三様のリアクションを送っていると、セベクがあと二メートルほどで『灯火の花』に届いてしまうような距離になっていた。大きな背中が、あんなに遠くまで。もう少しで届くという喜びと、流石に危ないという焦りから、歓声と悲鳴の混じったようなものが響いた。

「危ないぞ、セベク! いい加減に下りてこい!」
「脆弱な人間どもと一緒にするな!」
「セベク、安心して! 落ちてきても私が下敷きになるから!」
「うるさいぞナマエ! 人間の女性に支えられるほど弱くない!」
「セベクの言う通りだ。それだとナマエがまた怪我をするだろう」

 人間の“女性”だって。セベク、やっぱり紳士〜。周りの緊迫感とは違い、ほんの少しの冗談は無事に冷静なシルバー先輩に拾ってもらえた。なんとなく、セベクだから大丈夫だろう、なんていう安心感というか、信頼がある。少しだけドキドキする気持ちはあるけれど。どちらかといえば怖いのは登りより、下りてくるときだと思うし。

「マレウス様の護衛として、この程度の困難、軽く乗り越えなければ……うおお!」

 残り一メートル。腕も足も疲れているだろう、そんなセベクが声を上げて力を込めたと思いきや、その指先が『灯火の花』の葉についているようだった。いけると思っていたけれど、本当に採れてしまうだなんて、やっぱりセベクってめちゃくちゃかっこいいよ。セベクの負けず嫌いと、マレウス・ドラコニアへの忠誠心が馬術部の心配の声とレオナ・キングスカラーに勝利したらしい。よし! とガッツポーズをすれば、つい今まで心配していた様子の馬術部員から歓声が上がった。

「セベク、下りるとき気をつけてね!」
「無論! 言われなくてもわかっている!」

 そうして、採取した花を指と指の間に挟んだ状態で、下を見ながら慎重に、けれども遅すぎないスピードで下りてくる。ダッ、と着地すると同時に、額の汗を手袋の甲で拭えば、堂々とした笑顔でこちらへ向かってきた。

「シルバー! リドル先輩! ナマエ!『灯火の花』を採ってきたぞ! これで課題の魔法薬を作れるだろう?」

 にこにこ、胸を張って誰よりも嬉しそうにするセベクがリドル先輩に採ってきた花を差し出すと、リドル先輩のひとまわり以上小さな手がそれを受け取った。

「ああ。ありがとう、セベク。それにしても、本当に崖の上から採ってくるなんてね。キミには驚かされたよ」
「この程度、若様の護衛として出来て当たり前だ!」
「かっこよかったよ、流石マレウスさんの護衛」
「フン、そうだろう!!!」

 わ〜、セベク嬉しそう。今度から煽てるときには『マレウスさんの護衛』ワードを使うことにしよう。リドル先輩はそんな私とセベクの会話のラリーを見て呆れながらも、セベクの慣れたような崖登りの動きについて言及した。「今までにも登った経験が?」という問いに対しての答えは、半分は予想できたようなものだった。

「昔、鍛錬の一環でリリア様から指導を受けたことがある」
「ひえ、またリリアさんのスパルタな……」
「断崖絶壁を一日十回登り下りすること、三ヶ月……スパルタなんてとんでもない! 今日の結果を得られたのは、リリア様の厳しい鍛錬のおかげだ!」

 突如声を張り上げたいつものセベクに、耳を塞ぐ。近くに来ていたマジフト部の獣人たちも、かわいいお耳を塞いでいた。リドル先輩はその声量と熱量と、それからリリアさんの愛のご指導に呆れたような目をしていた。
 それから、この様子を途中から見ていたらしい、さっし噛み付いてきたマジフト部のちっちゃなお耳のサバナクロー寮生が、セベクの前に立ったかと思うと、驚きの声を上げていた。

「お前……あんなに高いところにあった花を肉体だけで採ってくるなんて……!」
「む? 貴様らはさっきのマジフト部。ということは……おい、レオナ・キングスカラー!」
「あ?」

 マジフト部の存在を認知したセベクが、それによって一番にレオナさんへと意識を移す。突然名前を呼ばれたレオナさんは、いつも通り欠伸をしていたかと思えば、片目だけを開いて欠伸をしたままの口で返事をした。こらこら、レオナ先輩って言いなさい。
 セベクはレオナさんからの反応があったのをいいことに、胸を張った。

「僕はマレウス様の護衛、セベク・ジグボルト! 貴様が諦めた花を採った男だ。覚えておけ!」

 何これ、少年漫画の主人公? 熱い男だ、セベク。この二人の間にどういう経緯があったのかはまったくわからないけれど、それによってこんな王道少年漫画展開をリアルで見ることができるなんて。それを後ろ目に、レオナさんはやや馬鹿にした様子で湖畔の方へと歩き出した。

「ハッ。わざわざ疲れる方法を選ぶとはなァ。物好きな馬鹿には驚きだぜ。おい、マジフト部。行くぞ。」
「あ、待て貴様! まだ話は終わってな……」
「じゃあな、セベク」

 レオナさんを止める声をさらに止めたのはレオナさんで、キュートなお耳の彼はセベクの名前を呼び、別れの挨拶を放った。

「あ、あいつ今……僕の名前を呼んだのか!?」
「目上の人に対してあいつなんて言わないの」

 セベクは今起こったことを信じられないというように目を見開いたかと思うと、突然ふ、と瞼を下ろした。あ、無礼者。サバナクロー寮の寮長さんにそんな口の効き方するだなんて。セベクって、寮長クラスの人相手だともう少し敬っていたイメージがあったけれど、余程の因縁があったのだろうか。まあ、私には関係のない話だ。
 名前を呼ばれたことに驚いていた様子のセベクは口角を少しだけ上げて、それを見たリドル先輩はもちろん不審がっているようだった。

「ああ、去り際に呼んでいたけれど……それがどうかしたのかい?」
「……ふっ。あの無礼者も、ようやく僕の存在を認めたか! これでもう二度と『誰だ』などとは言わせないぞ! この調子で……自分は妖精族には敵わないのだといずれ思い知らせてやる! はーっはっはっはっは!」

 えっ、本当に少年漫画の王道展開だ。すごーい! 内心はテンションが上がりつつ、そんな私よりもあからさまにハイテンションなセベクに若干引いてしまう。あまりに大音量の高笑いがドワーフ鉱山全体に響き渡って、何やら嬉しそうで、屈託のない笑顔を浮かべた。何があったのかを知っているのはシルバー先輩だけらしいけれど、そんなシルバー先輩ですらも呆れたような表情をしていた。

「……無礼者はどちらかというとセベクだよ」
「……キミはマレウス先輩とリリア先輩以外への礼儀をきちんとした方がいい」

 私たちの言葉なんて届いていないようで、セベクは未だに高笑いをしていた。
top