紫色の毒々しい泡が立ち、本来白いはずの煙もまた紫で、回復薬を作っているのにまるで毒薬生成をしているような錯覚にすら陥りそうになる。『灯火の花』は希少だから、授業でも取り扱いはしないとクルーウェル先生は言っていたので、この回復薬を作るにあたっては教科書に載っていた作り方の知識のみが頼りだ。
「なんかドキドキしますね」
「ああ。薬作りに失敗したら、また材料集めからやり直しになってしまう」
ごぽごぽ、音を立てて沸騰するそれを、グリムも一緒に覗き込む。落ちて溶けても知らないよ、なんて言えば、あからさまに焦って大釜から離れた。生成の手順は私たち一年生はまだ詳しく習っていないけれど……。不安になっていると、リドル先輩は胸を張って堂々とした態度を見せた。
「心配しなくていい。ボクを誰だとお思いだい? せっかくセベクが手に入れてくれた『灯火の花』、絶対に無駄にはしないよら。それにナマエの手の傷も早く治さなければいけないからね」
「ありがとうございます」
血は止まったけれど、もちろんズキズキと痛みは感じる。手を包んでもらったリドル先輩の白いハンカチは、あっという間に紅になってしまっていて、本気で漂白をしなければならない。けれど私は以前服にできた染みに困っていたとき、アズール寮長に万能すぎる洗剤のサンプル品をいただいたので、それでらくらくだ。といっても、あれはうちの慈悲深〜い寮長による、洗剤と題した強力すぎる漂白剤なのだけれど。リドル先輩のハンカチが白じゃなかったら、色を丸ごと落としてしまうほどの威力だけれど、今回は運が良かった。
リドル先輩が『灯火の花』をベースに、棒で釜の中をかき混ぜていると、温度が基準に達したのだろう。ボンッ! と音を立て、さらには先程まで上がっていたより大きく煙が上がった。まるで失敗したようなモーションではあるけれど、クルーウェル先生が成功したときの動きだ、と言っていた気がする。実際そうだ。
「よし、完成だ」
「ゴースト!!」
リドル先輩がその場にいた部員に完成を告げるとほぼ同時に、セベクが持ち前のよく通る、というか大きな声でゴーストを呼んだ。すると気の抜けた返事をしながら、ぽうっ、と何もない空間からマシュマロフォルムのゴーストが現れるものだから、ほんの少しだけ肩を揺らす。外見は怖くないのだけれど、やっぱり何もないところから出てくるところが怖いのだろう。ゴーストを焼いたら焼きマシュマロみたいにならないかなあ。
「はい。課題の魔法薬を作ったよ」
「うん……うん! 見事に調合できているね」
ゴーストから腕を褒められたリドル先輩はしたり顔でバルガスバッジを受け取った。相変わらずロゴは可愛いのに名前と生産者の顔を思い浮かべるとなんとも暑苦しいものだ。まだ午前中であろうことが幸いで、このペースならあとの二つも余裕だろう。それに、坑道と湖畔にはそれぞれ数人ずつ部員を送ってもいるのだし。
「よし! 四個目のバルガスバッジだ!」
「やったな、セベク。いつの間にか服が乾いている。染みもない」
「本当だ、気づかなかった。綺麗になってる〜」
「シルバーにナマエ……まずはバッジのことを褒めてあげたらどうだい?」
私も正直、シルバー先輩の「やったな」はバッジを無事に獲得できたことに対してだと思ったのだけれど、ここでつっこんでしまうのは負けな気がしたので乗っかってみた。実際あれだけ泥まみれになった服が綺麗になっているのがすごいのは事実だし。
「フン。シルバーからの称賛など期待していない。しかし……リドル先輩! 貴殿の薬作りの腕前も人間にしてはなかなかのもの。……感謝してやろう!」
「なんて言い草だい!」
「セベク、『ありがとうございます』だよ」
貴殿と呼ぶのに上から目線だったり、セベクはお育ちは良さそうな言葉遣いをするうえ素直なのに、その偉そうな態度がマイナスだよねえ。
「……と言いたいところだが」
「おおっ」
「素直なのか生意気なのか、キミはどうも判断に困るね」
「はーっはっは! 我ら馬術部に敵う者なし!!」
セベクの笑い声がまたしてもキャンプ場に響き渡り、その場にいた馬術部一同は呆れた顔をしつつも、セベクが楽しそうだからいいか、とシルバー先輩と顔を見合わせる。セベクの保護者にでもなった気分だ。ゴーストにその魔法薬を入れる瓶を数個受け取ると、八分目まで入れていく。冷めきる前に、というクルーウェル先生の教えに則って、花一つでも量にすると割と多く、しかし入手までの苦労を考えれば少ないくらいだった。
「さあ、まずはナマエだよ」
「えっ」
「『えっ』って……誰よりも深い傷をつくっておいて何を困惑しているんだい」
「セベクは……」
「僕は擦り傷だ。血も出ていない」
どうだ、と確かに表皮だけ切れた様子を見せつけてくるセベクと、早速作った魔法薬を入れた瓶をこちらに渡すリドル先輩。いや、魔法薬って数回だけ経験があるけれど、相当不味い。本当に。材料を見るにそれは推測できることなのだけれど、そうやって覚悟を持ったうえで飲んでも不味いの頂点みたいな味がするのだ。
シルバー先輩が「時間が惜しい」なんて慈悲の欠片もないことを言って私を急かしてくるので、謎にその場の馬術部員全員の視線を集めたまま、息を止めてさらさらとどろどろの間の液体を喉に流し込んだ。感想? そんなのもちろん、
「おえっ……まっ、げほっ」
「……こればかりは仕方ない。キミの怪我を一刻も早く治すためなんだ」
リドル先輩は私にほんの少しの同情の目を向ける。まっず、すらも言えないくらい不味い。生ゴミでも食べたのか? 地味に感じるジンジャーの風味が不味さを助長している。傷の治りを早くするなら直接患部に塗り込むようなタイプならいいのに、この世界での魔法薬は大半が飲むタイプだ。ならば味の改良をしてほしいところだけれど、これを作ったのはプロの調剤師ではなく学生に過ぎないので、そこまで高望みはしない。口に入れた瞬間に広がるとんでもない不味さに臭さだったけれど、我慢しながら全部飲み込んで良かった。分けてしまえばとんでもなかっただろうに。
「うっ……吐きそ……」
「やめろ!! こんなところで吐くんじゃない!!!」
「冗談、あの、水……」
「ああ。すぐに汲んでやる」
おそらく私の本気でやばそうな、青いであろう顔を見て、部員たちは慌てふためいた。気の利くシルバー先輩が、川から汲んで貯めていた水をマグカップに移して私に手渡してくれる。それを何度かに分けて、水では流石に味を誤魔化すことなんて難しいから、冷たさに意識を移して、喉を鳴らす。最後の一滴まで勢いを止めることなく飲みきれば、あの口内地獄が収まったような気がした。
「ありがとう、ございます……」
「ふん、人間はこの程度の不味さも耐えられないのか」
「いや、ほんとに、ほんとにほんとに不味いのこれ」
「ああ。だからボクもなるべく授業以外での魔法薬の使用はしないように気をつけているよ」
いやあ、本当に不味かった。けれどトラッポラみたいに飲んだ瞬間の表情を馬鹿にしてくる輩がいなくて良かった。
ひと息ついて、役に立っていないにもかかわらず誰よりも重症を負っている自身の手のひらに目を向けると、クルーウェル先生の言った通り。即効性に優れていて、血は元より止まっていたけれど、痛みはほとんどなく、羽に撫でられるほどのむず痒さを感じる程度だった。しゅる、と包んであったハンカチを解くと、まるで再生したみたいに綺麗に治っていて、まあ、目を凝らせば傷はあるのだけれど、魔法薬恐るべし。
「私に貴重なひと瓶を使っても良かったんですか?」
「今日のところは魔法石の採掘と釣り……どちらもそう大怪我をするような危険な場所じゃないからね。それに、手が使えないのは不便だろう?」
「ありがとう、ございます。ハンカチ洗って返すので待っててくださいね」
「いいのかい? この程度の汚れなら帰ってから洗浄魔法ですぐなのに」
確かに、どこに生えているのかもわからない『灯火の花』を探すことに比べれば、入手できる場所が限定されているオオナマズに魔法石。昨日よりは手強いけれど、崖の上に登ったりというリスクはなさそうだ。
洗浄魔法については、私たち一年生で習う内容ではないので、残念ながら手動ということになる。リドル先輩が「ボクがしておくから」とハンカチを取ろうとしたので、ぎゅっと握りしめて洗うという意志を示した。
「いえ、うちの寮で開発した洗剤の洗浄力がすごくて」
「な、なんだ? まるでセールスみたいに……。それにアズールが作ったとなるとどうも胡散臭いね」
「失礼な!」
「そうだぞリドル先輩! 僕もオクタヴィネル寮から同じものを買ったことがあるが、あの洗剤は素晴らしい!!」
「ああ……アレのことか」
ひと瓶で十回分も使えるのだから、本当に素晴らしい商品だと思う。染みのできたところを完全に落としてまっさらにするくらいなのだから。うちの寮長を胡散臭いだなんて、まあ、確かに胡散臭いけれど、あの効果は本物だ。ふん、と小さく憤ると、セベクが私より強い熱量でリドル先輩に洗剤のプレゼンをしてくれた。勢いだけでリドル先輩が圧倒されている。シルバー先輩の様子から見るに、どうやらディアソムニア寮のお役に立てたみたいだ。
「お買い上げありがとうございました」
「こちらこそあの節はオクタヴィネルの寮長に世話になったな」
「今後ともご贔屓に」
「いや、次からは己の実力で解決する!」
「若様がオクタヴィネルの手を借りたがっても?」
「なっ!! いや、……うーん……」
まさか、マレウス・ドラコニアがうちの寮なんか頼りにするわけないのに、こういうところで悩むのはセベクのちょろいところだよねえ。あの漂白剤を洗剤だと思い込んでいるし。セベクは腕を組んで俯いて、目を閉じて悩んでいる。若様、マレウス様、マレウス・ドラコニアのワードはセベクの頭を悪くするらしい。するとシルバー先輩は相変わらずの端正なお顔を歪めることなく、薄い唇を開いた。
「セベク」
「なんだ!」
「マレウス様はオクタヴィネルの力を借りるほど弱くはないだろう」
「そんなことわかっている!!!!」
シルバー先輩の冷静かつ普通に考えれば当たり前にわかることを指摘されたセベクは、そうともなれば敵になるオクタヴィネル寮の私と親切なシルバー先輩どちらもをキッと睨む。うーん、残念だ。といっても、素直で若様思いの優しいセベクならそのときがくれば乗ってくれるだろう。リドル先輩はそんな私を見て、「やっぱりキミもオクタヴィネル寮生なんだね……」と物言いたげな目を向けた。
それから数秒後、私を含めた一同がハッと目を見開いて、リドル先輩が真っ先に薔薇色の唇を開いた。
「そんなことより残りの課題だ!」
◈◈◈
リドル先輩と、一緒に盛り上がっていたセベクに急かされて、まあそれは当然のことなのだけれと、私は昨日の例があったので坑道へと駆り出された。昨日より大きな魔法石が標的なのだけれど、小さな魔法石の欠片ばかりが見つかって、でも何科に使えるかもしれないから、と念のために袋に詰めておいた。その様子を見ていたサバナクロー寮の先輩には「ラギーみたいだな」なんて言われたけれど。
女子ゆえの繊細さか、私は微量の魔力を感じて辿るのが得意らしい。ほぼ日暮れ近くなったときにようやくギリギリ指定された大きさに達する魔法石を見つけて、もうくたくた。馬術部一同息を切らして泥汚れを顔や服につけてキャンプ場へと戻った。
「ナマエ、おかえり。その様子だと無事に魔法石は手に入れたようだね。……ん? その手に持っているのは?」
「小さい魔法石です。せっかく出てきたからそのまま捨てるのも勿体なくて」
どさっ、と音が鳴るほど大量ではなく、地面に置けば軽くカラン、と音を立てる程度だけれど、貧乏性だし、アズール寮長風に言えば「商売になる」。まあ、どうせ使わなくてここのゴーストさんやバルガス先生に渡すことになるのだろうけれど。
そんなリドル先輩たちがあたっていたオオナマズ釣りもなんとか一匹だけ手に入れたようで、今はその大ナマズを唐揚げにしているところらしい。料理に関してはうちの学校ではマスターシェフがあるし、腕にはあまり心配もない。昨日より忙しなく、またしても昼食をとる時間がなかったので、ひどくお腹が空いている。川で軽く汚れた手を洗って、冷たさに疲れた気分がリセットされるかと思いきや、落ちてきた日を前にするとそうでもなかった。
唐揚げを頬張り、ナマズも案外食べられるものなんだなあ、と思っていると、キャンプ場の中央の方でフライパンを叩き鳴らす音とバルガス先生らしき声が聞こえたので、召集の時間だとそちらへと向かった。
先生が全部活のバッジが揃っていることを確認すると、この時間なのに、元気よく頷いていた。本当に暑苦しい。それにしても、どの部活も流石は運動部。骨があるなあ。
「……さて、いよいよ明日で『バルガスキャンプ』は最終日を迎える」
「はあ……やっとか」
「溜息をつくな! ……最終日には当然、残された最後の課題に挑戦してもらう。内容については、そのときが訪れれば自ずとわかる。常に緊張感を持って、全力で取り組むように!」
私の嘆息を聞き漏らさなかったバルガスにそれを指摘されて、全部活の注目を集めてしまい、恥ずかしくて私じゃありません、というように目を逸らすと、向かいのフロイド先輩もにこにこしていた。いやあ、それにしても明日はもっとハードな課題なのだろう。一刻も早く帰りたい。……あれ、明日になれば発表されるんじゃなくて、
「『自ずとわかる』?」
「確かに気になる言い回しだね。けれどおおよそ今日と同じような要領だろう」
うーん、それにしても常に緊張感を持って、だとか、引っかかるところはいくつかあるような気はする。けれどバルガス先生のことだし、そう深く考えていないだろう。常に持つ緊張感もきっと、夜間に焚火を狙う妖精のことだったりするだろう。昨晩はセベクに助けてもらったりだったし、少しでも役に立てたらいいな。
バルガス先生が他に質問を募集し、心が解散に向かっていたとき、反対側にいたジャミルさんが挙手をした。
「昨晩からエース・トラッポラが戻っていません」
「まだ戻ってなかったんだ」
「“まだ”……ということはキミ、エースがいないことを知っていたのかい?」
「ええ、人づてにですが」
早く言ってくれないか、とリドル先輩に軽く言われて、しかし日中にそれを言おうものならリドル先輩の機嫌がどうなったことか、と考えて言わなかっただけだ。まあ、部活というチームが最重要視されるこのキャンプでは、リドル先輩も馬術部の方を優先してくれるだろうけれど。それにしても昨晩からいないだなんて、サボりにしても長すぎる。
「はーはっはっは!」
ざわざわした空間に、セベクに匹敵する声量でわざとらしく笑ったのは真ん中にいるバルガス先生で、そのうるささに大体の生徒がぎょっとした。
「心配するなバイパー。大方、課題をサボったせいで、お前たちと合流するのが気まずくなったんだろう。腹が空いたら戻ってくるさ!」
そもそもトラッポラと交流がない生徒はあまり興味がなさそうに欠伸をして、最後にバルガス先生が放った「解散!!」という声とともにテントへと戻っていくようだった。もっとも、私と向かいのジャミルさん、数人の生徒は腑に落ちないようだったけれど。その腑に落ちない原因というのを、隣で険しい顔をしていたリドル先輩にやんわりと伝えることにした。
「トラッポラって気まずくなっても上手いこと取り繕うイメージなんですけど……」
「ああ、ボクもそう思う。しかし部活の先輩たちに迷惑をかけるなんて、どういうつもりだ」
「首をはねないと」
「まったく、本当だよ」
厳格をモットーとするリドル先輩は寮外で、かつ部活というチームでの活動にもかかわらずトラッポラの振る舞いには我慢ならないようで、「改めてしつけ直す必要があるようだね……」と怒りを通り越し呆れているようだった。あーあ、トラッポラったら、フロイド先輩には絞められるわリドル先輩には厳しいご指導を受けるわ、災難だなあ。
「リドル、真剣な顔をしているところすまない。今晩の焚火の番について相談したいんだが、いいか? 昨日はあまり役に立てなかった。だから今夜はセベクの分も働こうと思う」
「私もセベクにたくさんお世話になったし、頑張ります」
「ナマエはともかく、シルバーはやめておけ。貴様はどうせまた寝る。焚火の番は諦めるべきだ」
確かに、シルバー先輩が焚火の番をして眠ってしまった間に妖精にこっそり消されてしまっているものならば、セベクの意見には同感だ。と考えれば、私も昨夜の経験から妖精相手に何もできなかったし、焚火を守るとしても二人体制なんかでないと無謀だろう。トラッポラの所在が少し気になるところではあるけれど、他の部活よりまずは目の前のことを大切にすべきだ。リドル先輩の声かけにより、二人用とはいえ比較的大きなテントの中に一度集まって、話し合いをとることにした。