幻想ばかり抱いてしまう

 話したいことが、たくさんあった。

「それでねえ、彼氏がめちゃくちゃ尽くしてくれて!」

 エペルあたりを誘おうかなあ。仕事の愚痴を職場で言うような度胸はないし、下手に同僚に零して漏らされるのもごめんだ。やっぱりエペルだな。それかセベクか、ああ、アズール先輩が経営しているリストランテにお邪魔してひたすら話を聞いてもらうのもいい。本当は、クルーウェル先生にも会いたい。生憎私は、人脈が広い。言ってしまえばアジーム家ご子息から、夕焼けの草原の第二王子、ヴィル・シェーンハイトなんかと関わりがある。これをナイトレイブンカレッジ時代の知り合い以外に言う勇気はないけれど、もし言ったらかなりの大物扱いだろうなあ。

「聞いてます?」
「あ、ああ。ごめんなさい。彼氏、ね」

 彼氏、かあ。ミドルスクールのときの経験から、普通に人を好きになって、いつの間にかできるものだと思っていた。私を好きな人だって、ナイトレイブンカレッジ生時代は何人か見てきたから、告白されたら付き合って、そういう単純なものだと思っていた。しかし、高校の待遇が特殊だったのもあり、すっかり恋愛の方法や、恋をするというのがどういうものか忘れてしまっているようだった。恋愛って、どんなものだったっけ。

「ていうか、ナマエさんは彼氏いないんですか?」
「いや、うーん……今はいいかなって思って」
「え! いつもかわいくしてるからいると思ってた!」
「私が楽しいから、かわいくしてるんです」

 恋をしていないのに自分磨きをするのは、自己満が八割だ。
 就職してから、かなり食が細くなった。ナイトレイブンカレッジにいた頃は生活もあって食べることが多かったし、何より寮で出るのも食堂で出るのも美味しかったから、卒業の頃には入学したてのときの一・五倍くらいは食べるようになっていたのではないだろうか。
 それが、一人暮らしを始めて、自炊も始めて、かわいいお弁当箱は思ったよりも小さくて、けれどそれは他の女の子と同じくらいの大きさだった。ラウンジでの経験が、生きている。フロイド先輩にも毎日お弁当の写真を送っては、『上手になったね』と褒められているくらいだ。フロイド先輩も、ありだな。

「でも……ちょっと」
「ん?」

 同僚が手招きするので、隣で惣菜パンを頬張っていた同僚と一緒に顔を近づけると、口の横に手を添えてこっそりと言った。

「実際ナマエさんって人気だし、彼氏ができるのも時間の問題ですね」
「そ、そうですか?」
「あー、私も思ってた」

 確かに割と好かれる方ではある。女の先輩もよくご飯に連れて行ってくれるし、男の先輩にやたら話を振られることもある。まだ、そういう意味の好意に気がついたことはないけれど、もしそうなれば、私も久しぶりに恋愛ができるのだろうか、なんて思いながら唐揚げを摘んだ。

「もしその気になったら言ってくださいね! 紹介しますよ!」
「ふふ、ありがとうございます。そのときは頼りにしてます」

 この女の子特有のテンションも、やっぱり楽しいな。もうここ二年はこの空間にいるのに、男子校での思い出が根強くて、いつだってこう考えてしまう。ああ、でもまた、くだらない会話だけしていたあの頃に戻りたいなんて思う私は、ずっと大人になりきれない。

 ◈◈◈

「いたっ」

 耳に服のほつれた糸が引っかかって、からん、ころん、と音が鳴った。少しだけ重いけれど、錬金術で作るダイヤよりは空洞っぽい音がする。服を脱いでから、少しの痛みが走った耳朶に触れると、あるはずのものがなかった。お気に入りだった、揺れる、パールっぽいピアス。やだ、さっきつけたばかりなのに。それも、時短だと朝起きて、顔を洗った流れでお風呂に入る前に洗面所に置いておいたピアスをつけたせいだろう。いつも通りメイクもヘアセットも終えてからつけるべきだった。仕事用の服に着替えて、辺りを見回してみるけれど、いくら1LDKのこじんまりした部屋だとしても、あの豆みたいな小さいピアスを見つけるのはひと苦労だ。

「やだもー、どうしよう」

 こうして独り言をぼやいても、助けてくれる人なんていない。床に膝をついて、ベッドの下まで探してみるけれど、床に散らばったクッションやティッシュ、溜まった洗濯物なんかのおかげでそうそう見つかることはなく、気がつけばあと十分足らずで家を出なくてはいけない時間になっていた。
 いつも、気がつけば耳に触れる癖ができていた。ピアスを開けたあの日から、開いている事実が嬉しくて、何度も触れているうちに癖として定着してしまっていたのだ。

「……」

 やっぱりピアスがないと違和感だよね。そう思って、アクセサリーケースを開いて、華やかなシルバーなものが多い中で、異色だったのはネイビーのシンプルなものだった。そういえば、トラッポラに開けてもらったんだった、これ。
 たまにはファーストピアスに戻した方がいい、なんて言われていたけれど、結局最初以外つけたことがない。だって、せっかくならかわいいのがつけたいから。私は、ネイビーの丸いファーストピアス、の隣にあったひし形のピアスを手に取ると、一度机に置いてから、溜まった洗濯物から一昨日と同じ服を取り出した。良い洗剤に柔軟剤だから、皺にならないのがありがたい。

『ピアス、変えないの?』
『いいじゃん。たまに戻さないと、穴塞がってくるかもよ』
『念入りだね』

 彼の言う通り、確かにおしゃれなピアスばかりしていたら、少しずつ通すのが大変になって、皮膚を突き破るような思いでつけたことも一度か二度はあった。トラッポラは、ああは言ったけれど、結局卒業まで、一番つけていたのはファーストピアスだったと思う。リングのやつとか、好きそうだと思ったけれど、一度も見たことがなかったなあ。
 急ぎで髪を結んで、魔法でメイクを済ませてしまって、その流れでピアスをつける。魔法を持って生まれて良かったと思うのは、一番は着替えやメイクだった。ヴィルさんは、魔法は万能じゃないと言っていたし、在学中は八割は自力メイクだったけれど、慣れに寄って時間ギリギリを攻めるようになったからか、職場という環境がどこか違うからか、多くは魔法で済ませるようになった。
 ひし形の白いピアスが、反射でオパールのように光った。少しだけ、重い。あれ、そういえば。

 いつもネイビーのピアスを耳元で控えめに主張させていたトラッポラはこの間、どんなピアスをつけていたっけ。

 ◈◈◈

 いつも通りの日常だった。エペルとも、また近々飲みに行けるみたいで嬉しい。クルーウェル先生に会いたい。あれだけお世話になったのだ。連絡先くらい、交換しておけば良かった。わざわざ賢者の島に行くような棋力も、今はない。
 誰かに話したいことは、今はほとんどなかった。あれだけ、頭に溜め込んでいたことがなくなったのは、トラッポラに彼女ができたからだろうか。それとも、ただ私の中で消化できて、どうでもいい、になってしまったからだろうか。

「うん、かわいい」

 小さく呟いたのは、週末、日曜日の朝に決まって来るカフェでの朝食がいい感じに撮れたから。この時間帯のこのカフェは、実は穴場だ。いつも優しい店員のお姉さんが待っていましたというように、私のオーダーを聞いて、それでもいつも同じものを頼んだりスコーン、紅茶、サンドイッチ。枝豆や砂肝を食べていたのが嘘みたいに、優雅な朝食だ。スコーンとジャムがセットだと、いつかお邪魔したハーツラビュル寮のお茶会みたいだと、それからリドル先輩や、トラッポラのことを連想してしまった。
 いくら友達でも、彼女持ちの男のことをこんなに考えるなんて、彼女さんにも、トラッポラにも失礼だ。いけない、と首を横に振ってから、ベランダで日当たりも相まって綺麗に撮れた朝食の写真の色味を加工しては、マジカメにアップした。週に一度、日課だ。お弁当の写真は毎日フロイド先輩に送っているけれど、それ以外の人たちへの生存報告も兼ねている。リドル先輩やシルバー先輩からも、いつもいいねが来るからありがたい。

「ふう……」

 ここの紅茶はストレートが美味しい。けれど内心では、ジェイド先輩が淹れてくれた紅茶の方が美味しい、とも思う。
 トラッポラ始め、ナイトレイブンカレッジでの同級生たちのことを思い出さないなんて、あまりにも無理な話だ。皆が私に良くしてくれて、近い存在だった。友達なら、いいよね。皆、大切な友達だから、ずっと私の記憶に存在しておいてほしかった。彼女持ちの男でも、友達には、変わりないから。

 ピコン。新鮮なレタスとトマトが美味しいサンドイッチに口をつけて半分に到達しようとしたとき、マジカメの通知音が鳴った。誰がいいねを押してくれたのだろう。予想ではケイトさんか、それとも私が卒業するまで追っかけてくれたイグニハイド寮生か。電源ボタンに手を添えて、画面を明るくすると、そこにあったのは予想外の名前だった。

「え」

『エースさんがいいねしました』。誰よりも先にいいねしたのが、この男だとは思わなかった。まあ、偶然マジカメを開いたタイミングだったのだろう。それでもここ数週間、彼の名前を見ることはなかったから、胸が躍るような感覚に陥った。
 サンドイッチを口に突っ込んだまま固まってしまって、いや、何をトラッポラごときで、と冷静になれば、追い討ちをかけるように、ピコン、ピコン、と二回の通知音が鳴った。

『しばらくって言ってたけどやっといけそう』
『もし空いてたら今日飲めない?』

 思わず、顔を顰めた。嬉しさとかより、なんというか、嫌だった。なんだか、セフレのような扱いを受けているような、そういう嫌悪感だ。彼女がいるのに他の女を飲みに誘うなんて。
 しかし、相手がトラッポラだったから、その考えが消えるまではすぐだった。それに、嫌悪感の中に嬉しさがあったのも事実だ。何かおかしい、と既読をつけてから、トラッポラのアイコンをタップすると、ホーム画面に設定されていた女の子はいなくなっていて、いつか見たようなやたら小洒落た映え写真に戻っていた。

 ああ、なるほどね。

 トラッポラは、ああ見えても誠実、なんだと思う。付き合ってから私と飲みに行かないどころか連絡を取らなかったり、いいねすらも押さなかったり、彼女第一優先の男だったはずだ。それがこうなったのだから、簡単に彼の目的を汲み取ることはできた。慰めてほしいんだろう、と。久しぶりに恋愛したであろうトラッポラが、一ヶ月そこらでこうなるなんて、不憫だと思う。
 しかし、性格が悪いのか、トラッポラと飲めるとわかった瞬間、消えたはずの聞いてほしい話がたくさん頭の中に湧き出てきた。けれど、今日はトラッポラを慰める方が優先だ。本当に、性格が悪い。久しぶりに話せることに、つい口角が上がってしまうのを押さえきれずに、『いいよ』と返事をした。

 ◈◈◈

 待ち合わせは、私が前に提示した居酒屋。今日はどうしてだか、いつもよりも綺麗に髪を巻いて、アイシャドウの色も変えた。そういう気分、だったんだと思う。居酒屋に向かう最中、ただただトラッポラのことを考えた。彼女と別れて落ち込んでいるだろう、どう声をかければいいか、逆に、もしかするとトラッポラが振った側なら、どれだけの愚痴を聞けばいいのか。何にせよ、今日は前みたいに素面で会話なんてできやしない。
 狭いけれど明るい路地の曲がり角、そこを曲がれば、大通りに出て、そこには既にトラッポラがいた。スマホを触るその横顔を見て、久しぶりだからか、少しドキドキした。

「……あの、トラッポラ」
「ん」

 普通に声をかけて良いものか、迷った末、カニさん歩きでトラッポラの目の前に現れて声をかけるという奇行に走った。私の声と姿を認識したトラッポラは、液晶から目を離して私をちらっと見て、スマホをしまいながらまたもう一度私を見て、その後ポケットにしまわれていくスマホを見てから、また私を見た。

「久しぶり」
「うん、えっと、元気?」

 絶対に、ミスった。失恋したばかりで、元気なわけがないのに。もし元気だというなら、空元気だ。また下手な笑顔を貼りつけて、元気に決まってんじゃん、なんて言うだろう。私が元気じゃなかったときの、周りの人たちが私にかけてくれた声を思い返して、いかに今の私が未熟だかを思い知らされた。
 気まずい。ごめんね、と心の中で謝りながら、ふい、と目を逸らすと、頭上から息が洩れる音が聞こえて、どこか安心した。

「なにそんなビビってんの。めっちゃ元気だけど」
「え、あ、そう」
「そうそう。ていうか、香水つけてる?」
「いつもつけてるけど、最近変えたの」

 予想外ではないけれど、本当になんとも思っていないようにそういうものだから、私の方がトラッポラにとって予想外の反応をしてしまっただろう。様子がおかしい私を、あの頃よりどこか大人びたように笑うけれど、あの頃と同じ若干の胡散臭さと、無邪気な感じは残ったままだ。
 香水は、変えた。今までは柔軟剤に近い、ほのかに香る程度のものをつけていたけれど、最近デパートに立ち寄ったときに新たに購入したのだ。癖はなくて、ボディミストや石鹸に近い香り。レオナさんがつけていたものよりは清涼感はなくて、少しだけ重い。女ウケも男ウケも良いですよ、と店員さんに推されるがままに購入したけれど、結構気に入っているのだ。
 実際、どうなのだろうか。いい匂い、するのかな。巻いた毛先を弄りながら、答え合わせをするようにトラッポラの方を見る。

「へー。立ち話もだし、中入ろうぜ」
「ああ、そうだね」

 何も、言ってくれなかった。変に期待した方も期待した方だけれど、何かと匂いに敏感だった人魚や獣人が近くにいて事あるごとに触れてくれたせいなのか、それが当たり前になっていた。けれど、匂いに気がついてそこからもう一歩が言えないのは、どうなんだ。なんというか、トラッポラらしくない。
 トラッポラの言葉を合図に、居酒屋なのにクラシカルな扉を開けて、中へと入った。

 とりあえず生で、なんて今日も言わずに、レモンサワーとハイボール。それから、トラッポラのために奮発だ、とカマンベールチーズを生ハムで包んだめちゃくちゃ美味しそうなおつまみも頼んだ。

「最近どう?」
「……いやいやいや」

 また、いつも通り、特に失恋も何もなくてただ一ヶ月ぶりに会っただけかのように話を振ってくるものだから、流石に突っ込まざるを得なくなった。ハイボールをぐぐっと流し込んでは、遠慮なく生ハムチーズを手で摘むトラッポラに、ちょっと待て、と手を突き立てた。

「なに」
「いや……んー、単刀直入に言うけど」
「? ん?」
「慰められたくて呼んだんじゃ、ないの?」

 いつもと同じ、最初に頼んだレモンサワーにはまだ口をつけない。シュワシュワと泡立つのを見ながら、その薄色とは対象的なトラッポラの瞳をじっと見る。シルバー先輩の目の色の綺麗さには誰もが勝てないけれど、それでも、綺麗な目だと思う。
 トラッポラはなんのことだかわからない、というように首を傾げた。それも不思議なことに、本当になんのことだかわからなそうに。

「……別れたんでしょ、彼女」
「……は? なに、誰かに聞いた? てか付き合ってたこと言ったっけ。……デュース?」
「いや。ホーム画、変えてたじゃん」
「あー……」

 確かに、マジカメではホーム画面以外に彼女さんの姿を見ることはなかった。けれど、隠そうとしたっていきなりの態度と、ホーム画面でのアピールを見れば誰だって気がつく。何を、そんなに困惑することがあったのだろう。
 トラッポラは、たった今届いたアボカドのチーズ和えに箸を伸ばすと、カチカチと先端を鳴らしてから、机に肘をついてから頬杖をついて、目を細めてこちらを見た。

「なに、慰めてくれんの?」
「慰める……って、そういう意味ではないから」
「そういう意味? へえ? なに、どういう意味」
「あ〜、うるさいうるさい」

 余裕そうにそう言うから、慰める立場のはずだったけれど、当然腹が立って、トラッポラが摘もうとしていたアボカドに先に箸を伸ばした。冗談だって、と笑いながら店員さんにだし巻き玉子と刺身を頼んでくれて、今度は水に手を伸ばした。
 どうもトラッポラからは話す気がないらしい。それならそれで良いけれど、話くらい、聞く権利はあるでしょ。

「……なんで別れたの?」
「めっちゃ聞いてくんじゃん。あんま言いたくないんだけど」
「じゃあいいよ」

 友達なら、教えてくれるかと思った。けれど、私もそこをしつこく聞くほどではないし、トラッポラだって触れられたくないなら、もうこれ以上踏み込まないのが吉だ。トラッポラの気が少しでも晴れればいいと思った、けれど。

「振られた」
「え、……ああ」

 言いたくない、と言ったのに、お決まりの枝豆を食べたその流れであっさりと言うものだから、また私の口からは困惑の声が出た。そんな、今日の昼飯はチーズオムレツだった、みたいなノリで言われるなんて思わなくて、きっとまだ口は半開きのままだと思う。それを見て、ふ、と笑っては、「変な顔」と言った。

「どうして?」
「さあ。なんかいきなり別れたいって言われたんだよね」
「いきなり」
「そ、いきなり」

 だから別れた。そう言いながら湯気が立つぷるぷるのだし巻き玉子を切り分けてくれる様子は、あまりにもあっさりとしすぎていた。
 その彼女、理由を聞いてほしかったんじゃないの。止めてほしかったんじゃないの。トラッポラはあまりにも呆気なさすぎるから、きっと、「別れよう」って言われて、すぐに「いいよ」だったのだろう。けれど、あくまで私の考えだ。トラッポラの、いつかの結婚式のときに聞いた恋愛観から察することができる、精一杯の妄想に過ぎない。

「原因とか、わかんないの?」
「はは、なに。オレばっかじゃなくてナマエちゃんの話してもいいよ」
「聞きたいから聞いてるの」

 今の私がトラッポラにとっておせっかいで、とてつもなくうざったいことはわかる。けれど、彼のことを知りたかった。気が晴れるなら、付き合ってあげたかった。ようやくレモンサワーに口をつけると、久しぶりの炭酸に喉が痛くなった。トラッポラは、へらへら笑っていたかと思いきや、私の言葉を聞いてはまたすっと真顔に戻って、淡々と話し始める。

「知らないって。オレは彼女のこと最優先で考えてたし」
「うん」
「尽くしてきたし」

 そういうところ、だと思う。今や恋愛経験がほぼないに等しくなっている私が何も言えたことではないけれど、そういう、自分の意思が弱いところというか、彼女がいかに喜ぶかだけを考えているのだとしたら、そういうところだ。
 これを言えば、トラッポラは私の言葉を参考にして、上手く付き合うようになるのだろうか。そう思うと、自然と開きかけていた口が閉じた。

「彼女がしたいって言ったことは聞いてきたし、色々してきたしさ」

 それでも、彼女のことを悪く言わないのは、良いと思う。そう思うと同時に、トラッポラの想像したくない姿が、一瞬だけ、脳裏に浮かんだ。皆でナイトレイブンカレッジで楽しく過ごしてきて、あれだけからかってきたトラッポラが、私の知らないところで彼女に尽くしてきていた。きっと、そういう恋人らしいことだって、“要領のいい”彼は当然のようにしてきただろう。それを考えると、途端に頭がぐるぐると回るような心地がした。まだひと口しか飲んでいないのに、けれどアルコールとは違う心地だ。

「ナマエちゃん?」
「……いや、ごめん。ちょっと酔ったかも」
「マジ? 珍しいね。水貰ってくる」
「ありがと」
「無理すんなよ。明日仕事だし、今日は早めに切り上げよ」

 そう言いながら、ウォーターピッチャーが置かれたところに、私のまだ水が入っていたグラスを持って行ってしまった。

 トラッポラって、めちゃくちゃよくできた人間だよ。あれだけチャラチャラしてるのに、付き合ったら尽くしてくれて、友達でも女との連絡は断ってくれて、そんなの、めちゃくちゃいい彼氏じゃん。トラッポラを振った女の子の気が知れないな、なんて思いながら、まだ酔いが回っていない身体にレモンサワーを注ぎ込んだ。