* * *
『もしもし、…苗字さん?』
『幸村くん!?どうしたの!?』
『夜遅くに急に…ごめん。今、平気かな?』
『うん、大丈夫だよ。……明日だよね、決勝戦。』
『うん、そうなんだ。……。』
『……緊張、してる?』
『……そう、なのかな。……自分でもよくわからないんだ』
『わからない?』
『うん…なんて言ったらいいんだろう…少しだけ、実感が無い感じが…して』
『……』
『……なんて、可笑しいよね。俺たちはここまで来るべくして来たって、ずっと自分で言ってたんだけど、ね』
『おかしくないよ』
『え?』
『あ…、……なんて言ったらいいか分かんないけど、…絶対、おかしいことじゃないと思う』
『そっか…。ふふ、ありがとう』
『え?私何も…』
『よかった、苗字さんに電話して。』
『そう?…それで、私に何か用事があったんじゃ…』
『ううん、もう済んじゃった。…あと、…明日苗字さんは暇、かな…?』
『決勝だよね?午前中に用事があるから、それ終わらせたら、すぐ見に行くから!』
『誘うまでもなかったみたいだ。嬉しいな。明日、絶対見に来てね。待ってる』
『うん、応援してるね』
『ありがとう。…じゃ、また明日』
『うん、おやすみなさい』
* * *
「はあ、…はあ…やっと着いた…」
絶対見に来てと誘われ、私自身も見に行きたかったこの全国大会決勝。実は、一人で東京まで来たことがなかった私は、電車の乗り換えで迷いつつなんとか会場に到着した。公園の敷地に足を踏み入れた瞬間に、会場から大歓声が沸き起こったのが聞こえた。残念ながら一試合目はもう始まってしまっているようだ。私は駅から走り続けて重くなった足に喝をいれて、会場までの道のりを再び駆け出した。
入り口からさらに走って、ようやく会場の中に入れた。運動部でもなく、体育に自信があるわけでもない私は、ここまで走ってきたことで疲れ果て、観客席階への階段の手前で一息ついた。ふと、私の足元に影が差す。
上から、てすりを伝いながら階段を下りてくる人がいた。
「…あ、真田くん!?」
「む、…苗字か?来ていたのか」
「も、もしかして一試合目終わっちゃった…!?」
「ああ、今しがた……俺の勝ちで、な。」
真田くんとは二年生の頃に同じクラスだった。何回か席割りの班が同じだったこともあり、それなりに仲はいいほうだと思う。
「おめでとう。……見れなくて、ごめんね」
「いや、……見ていて気持ち良いものでも無かったからな…」
「どういうこと?」
「いや、気にするな。……っ」
階段の最後の一段を降り、私と同じ階に下り立った彼は、その瞬間急に顔をゆがめ、膝に手をやる。彼の手の先をみて、私は思わず大声を出してしまった。
「どうしたの、これ!?腫れてる…!」
「気にするな。」
「そ、そんなこと出来るわけ…!お水とかで冷やさないと…!ど、どこかに冷えたお水…!」
「構わん、自分で出来る。……それより苗字、お前は幸村に呼ばれて来たのだろう?早く行ってやれ。」
「駄目、こんな状態でもっと歩いたら良くないよ…!待ってて、今冷やすもの持ってくるから!真田くんはあそこのベンチにでも座って待ってて!」
「お、おい、苗字…!」
会場内をきょろきょろしながら走り回り、たまたま見つけた警備室で冷凍庫から氷を分けてもらい、ビニール袋に入れた。来た道を急いで戻ると、真田くんは私の言った通りにベンチに座っていた。
「氷!分けてもらったよ!」
「……手間をかけさせ、すまんな。ありがとう。」
彼は赤くなった膝に氷袋をあてて、顔を少しだけゆがめた。
「……これ、どうしたの?転んでできるようなものじゃないよね?ぶつけたの?」
「違う。……足に負担をかけ過ぎたのだ。手塚……俺と試合をした奴も、腕がこうなっていた。」
「私、テニスに詳しくないから難しいことはよくわからないけど、……たくさん走りすぎたってことかな?なんか、すごく真田くんっぽいね。」
「俺っぽい…とは?」
「真田くん、いつも一生懸命でずるいことしなくて、真っ直ぐな感じだから。」
「……。……お前の中の俺の印象がそれであるならば、今日以降、その俺は書き換えられるべきだ」
急に声のトーンを落とした彼はそういってから目を伏せた。
「どういうこと?」
「真っ向勝負――俺の信条だった。お前の言ったような生き方をしてきた。それを今日、自ら違えた。」
「……」
「立海三連覇、そのために俺は――俺たちはここまで来た。幸村の言葉は適切だった。俺も後悔はしていない。」
「幸村くん……?」
「あいつの、真っ向勝負を捨てろという助言が無ければ、これ以上に足を痛めて再起不能になっていた。勝負の行方も分からなくなっていただろう」
「幸村くんが――」
テニス部の試合をまともに観戦したことなんて、今まで数えるほどしかないが、真田くんの言葉と行動とテニススタイルは一貫して同じ信条に従っているということくらいは一目見ればわかる。それを今、変えろとは――
「真田くん、……すごく失礼かもしれないんだけど、一つ聞いて良いかな…?」
「何だ?」
「……真田くん、テニスしてて、楽しい?」
彼は唐突な私の質問に、目をしばたいた。全くの想定外とでもいうような反応だった。
「楽しい、か……」
ぽつりと呟いて、彼は私から視線を外して正面を向いた。
「テニスとは真剣勝負。常勝が掟。負けてはならぬ。……これが俺たちの絶対定義。そこに、楽しむという概念は存在しない。」
「……そう」
「勿論、テニスをするということが好きで、楽しさを感じていなければここまで続けることはできない。お前の質問に是か非で答えるならば、答えは是だ。」
「でも、」
「だが、俺たちはそれよりも重要なこととして、先ほどの定義を位置づけた。結果、楽しむということの重みが、減った。」
「……勝つことって、そんなに大切なの?」
「ああ」
「違和感しか得られない勝ちでも、大切なの…?」
「……ああ」
私はそれきり何も言えず、彼も黙ったままだった。
どれ程そうしていただろうか、会場からひときわ大きな声援が聞こえて、私は我に返った。
「あ…、二試合目も終わっちゃった…?」
「いや、それには早すぎる。……苗字、見に行け。幸村が待っている。」
「……うん。真田くんは?」
「俺はまだ、ここにいる」
「……そう。じゃあ、またね。」
それだけを言い残して、私はそこを後にした。真田くんの目がかすかに潤んでいたのには、気づかないふりをした。
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