数年ぶりに関東を直撃した台風の激しい風が戸や窓を揺らした。次第に激しさをますその音に、俺はペンを置き携帯に手を伸ばした。着信もメールもない。海に比較的近い場所にある立海にいることは危険だとの判断で学校側から部活中止の連絡が来た。そのため、今日は一日中暇になってしまったのだ。それを聞いた俺は、すぐさま何の考えもなしに名前さんにそれを報告してしまった。俺のそのメールにすぐさま『じゃあ、予定早めて今ならお邪魔しても平気?』と返して来た彼女に、俺は柄にもなく嬉嬉として「ああ」とだけ返信したのが数時間前。そのときの自分自身に、俺はひどく後悔した。
テレビの情報によると、主要電車の多くがストップし、道路はひどい渋滞であるらしい。ここは彼女の安全を第一に考え、『今日は外出するな』と言ってやるのが俺の立場というものではなかったのか。己の浅ましさに罪悪感すら覚えながら、普段ならばとうについているはずの彼女に思いを馳せた。
ピンポン、と待ちわびた音が鳴ったのはその時だった。玄関前に座り込んでいた俺は即座に戸を開く。
「うわ、びっくりした!」
そこには待ちわびた姿が、想像を絶する様子で立っていた。片手には原型をとどめていない傘らしきものを持ち、髪がべったりと頭と顔に張り付いた彼女は、驚いた顔をすぐに笑みに塗り替えて戸をくぐった。
「ごめんね、遅くなって。電車が二駅前で止まっちゃってね、タクシー拾ったんだけど混んでて……」
「すまない」
傘壊れちゃった、と苦笑する彼女にさらに申し訳なくなる。
「え、なんで弦一郎くんが謝るの?」
「俺は……今日は名前さんの安全を考慮して外出を止めるべきだったのだ。俺が浅ましい故にこのような目に合わせてしまった。」
「そんなの気にしないで。弦一郎くんが止めても、たぶん私は来るから」
こんなに長い時間一緒にいられる機会なんて中々ないからね、と笑みを深くする彼女に大き目のタオルを手渡しながら、俺もつられて笑みをこぼしてしまった。
「……そうか、ありがとう」
「ううん、……あれ、お母さんたちは?」
名前さんは俺の背後を覗きながら言った。俺の母は名前さんをえらく気に入っているため、彼女が来るといつも出迎えているのに、今日はそれがないから気にしているのだろうか。
「今日は関西の方でご友人の結婚式があるらしく、昨晩から出かけてしまった。おじい様は今日の早朝からご友人と温泉旅行だと出かけて行かれた。明後日まで泊まるそうだ。」
「そっか…こんな天気で残念だね。…お母さんたちは今日帰ってくるの?」
「ああ、予定ではそのはずだが…」
早く天気よくなるといいね、と名前さんは窓から雨風吹き荒れる外を見る。木々が枝を激しく揺らしている。俺もその様子をぼんやりと見つめていると、目の前の名前さんが急に身じろいだ。
「名前さん、早く水気を拭かぬと冷えるぞ」
「うん……濡れたから冷えちゃったな。急いで拭くね」
でないと上がれないし、と呟いた名前さんは既にかすかに震えているように見えた。
「いや、ここでは寒い。早く上がれ。」
「でも…おうち濡れちゃうし。少しくらい大丈夫だよ」
「名前さんが冷える方がよくない」
でも、と余程家を濡らしたくないらしい彼女は、髪からしずくをぽたぽたとたらしながら渋る。おなごの体を冷やすべきでないと母から口酸っぱく聞いていた俺は、タオルでせっせと髪と体をぬぐう彼女に近づき、彼女の背とひざ裏に手を回し、思い切って持ち上げた。
「う、わ!な、何!?げ、弦一郎くん!」
「上がるぞ。冷えは万病のもとだ。」
「あり、がとう。でもお姫様抱っこはちょっと…」
「(おひめさまだっこ…?)つべこべ言うな。こうでもしないと名前さんはきちんと拭くまで玄関にいるだろう。それでは風邪をひいてしまう。」
「うん…、重くない?」
「いや、全く。……ここまで冷えてしまっては着替えるしかあるまいな。俺のを貸すから、着替えるといい。」
俺の持っている中で一番小さいTシャツとハーフパンツを彼女に貸す。しかし、俺よりも数回りも小さい名前さんには大きかった。俺の服に包まれたような彼女を見ていると、不思議な感情が湧いてきて、俺は思わず口元をゆるませた。部屋に入って俺の顔をみるなり「どうしたの?」と声をかけてくれた彼女に「いや、」と言葉を返して、俺は上機嫌に勉強を再開した。
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