木下闇1
「さんのすけー客だぞー」授業が終わったばかりの室内に、作兵衛の声が響く。
入り口を見やると、黄緑の忍装束。
「金吾」
今日は委員会はなかったはずだがと首を傾げる三之助に、戻ってきた作兵衛がささやいた。
「お前何やらかしたんだ」
「なんで」
「俺、皆本のあんな恐え顔、初めて見た」
「恐い?」
もう一度金吾を見ると、彼は軽く会釈してみせる。たしかにいつもより眼光は鋭いかもしれないが、恐いと言うほどのものだろうか。
首を捻っていると、「いいからさっさと行けよ」と作兵衛に小突かれた。
出向いた三之助に、金吾は「話があります」と言って歩き出した。どこへ行くのかという問いには「倉庫」との端的な返事。理由を尋ねると、金吾は初めて振り返って答えた。
「もし、僕と次屋先輩が戦うことになっても、周囲を巻き込まなくて済みますから」
たしかに、倉庫の周囲には十分な広さの敷地がある。その上、長屋や教室とは距離があって、人がいる可能性は低い。さらに、夏休み直前、委員会もないとあれば、まず、誰もいないだろう。
庭に出て、強烈な陽光を浴びながら、三之助は理由の判然としない苛立ちにさいなまれた。
しゃきしゃきと前を歩く金吾が怒っているのは分かる。理由もなく、あんな物騒なことをいう人間ではない。
しかし、その理由を言わないのが不可解だ。
三之助に文句があるのなら、どこでだって言えばいい。周囲を巻き込まないように、というのがただの言い訳であることくらい気付いている。下級生だっていざこざを避ける知恵くらい持っているし、上級生にもなれば高みの見物に徹するだろう。
簡単に言えばじれったい。しかも、こまめに金吾が振り返って三之助の存在を確認するものだから、見失うこともできやしないのだ。
三之助は、周囲をさっと見回して、人影が絶えたことを確認した。倉庫はもうすぐそこだが、その距離をがまんできそうにない。
「話ってなに」
金吾が足を止めた。
ゆっくりと振り返った彼の眼は、鋭くつり上がり、深い怒りをたたえている。
「しろ先輩のことです」
金吾が巻き込みたくないといったのは彼のことだったか。三之助は思わず「ああ」とうなずき、頭をかいた。
「それで?」
三之助としては挑発したつもりだったが、金吾は冷静にもそれには乗ってこなかった。
「最近のしろ先輩への態度は何なんですか」
「そんなこと、どうしてお前に言われなくちゃいけないわけ?」
「目に余るものがあるからです」
「目に余る」
三之助は繰り返して、鼻で笑った。
「滝夜叉丸が何も言わないのに?」
「滝夜叉丸先輩は次屋先輩を信じていらっしゃるようですね。でも、僕としては、あんな顔のしろ先輩を見てられない」
金吾の言う「あんな顔」がどんなものか、三之助は知らない。
なるべく四郎兵衛を見ないようにしている。見てしまったら、決心が簡単にくずれてしまうことは分かっている。
「しろ先輩にだけ冷たくして、なにをやっているんですか」
金吾はそう言ったが、それは正確でない。
正しく言うならば、四郎兵衛にだけ与えられていた特別な態度がなくなったのだ。その選択をした理由も知らないくせに。
四郎兵衛は滝夜叉丸に憧れていると言ったのだ。
それも、三之助には内緒だと。夢うつつで、はにかみながら、絶対に内緒だと。ひどく、大切なことのように。
その四郎兵衛を腕の中に閉じ込めてしまったら。泣くのは四郎兵衛自身ではないか。
三之助は、本気で四郎兵衛をつかまえておこうとしたら、どんなひどいことでもできる自分を知っていた。一度とらえたら、絶対に手放すことはできない。そうなる前に、離れなければ。
四郎兵衛の泣き顔はかわいいけれど。本当に傷つく姿は見たくない。
違う。
自分のせいで傷つけられるなら、傷つけたいとすら思ってしまう。だから、それこそ取り返しのつくうちに。手を放したほうが良いに決まっている。
「委員会の支障になるようなことはしないよ」
「本気で言ってるんですか!」
金吾がこらえきれなくなったように、怒鳴った。
「委員会のことなんてどうでもいいじゃないですか。しろ先輩が、どれほど傷ついていると思っているんですか。どれだけ、つらそうな顔をしているか。背を向けている先輩は知らないでしょう!」
「なに? しろのことばかりそんなに気になる?」
三之助はあざ笑うように、口角を上げる。
しかし、金吾は怒りに身を任せることも、ひるむこともしないで、まっすぐに三之助を見た。
「あたりまえです」
きっぱりとはなたれたその言葉は、三之助の神経を逆なでする。のどの奥にひそんでいた苛立ちが、とうとう飛び出した。
「それなら、お前がなぐさめれば?」
知らずうちに笑みは消え、本気で金吾をにらみつける。ところが、逆に金吾の顔からは怒りが消えた。代わりに現れたのは、幻滅。
冷ややかな視線が、三之助を貫く。
「それほどまでにおろかな方だったとは知りませんでした」
緊張がぴんと張り詰めた。
三之助はひそませた苦内を握り締め。金吾は手裏剣に手をかける。
凍てついた空気を壊したのは、一つの足音だった。
金吾が息を吐いたのと同時に、三之助も武器から手を放す。
現れたのは、紫の頭巾。
息を切らして、川西左近が走ってくる。彼は二人に頭を下げて、そのまま横を通り過ぎた。
それを見送って、金吾が首をかしげた。
「川西先輩が何で……」
先にあるのは倉庫だけだ。四年い組の保健委員、彼が倉庫に用があるとは考えにくい。
ふっと、横の気配が動いた。金吾が我に返ると、三之助の姿が消えている。
逃げたのか、それとも……。
金吾は倉庫の屋根を見つめて、うーんと唸った。
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