ひさめ1
日が暮れる頃になって、にわかに風が強くなった。荒れる風は、どこからか黒雲を呼ぶ。馬借の清八が駆けつけたのは、ちょうどそのころだった。
学園長宛の一通の文。差出人は兵庫水軍の頭、兵庫第三協栄丸。
学園長は全教職員を集め、宣言した。
「嵐が来る!」
まだ少し風が強いだけだが、すぐに大きな嵐がやってくるとは海の男たちからの信用ある忠告だ。
外出は厳禁、戸締りは厳重に。
用具委員は戸締りや、戸板の補強対策に借り出されたり、生物委員は馬小屋などの見回りへと出かけたりと、学友の何人かは忙しそうに働いていたが、四郎兵衛はいつもと変わらぬ夜を迎えた。食堂で食事をし、部屋に帰って荷造りの準備をはじめる。つづらを開けて単を取り出し、きれいに畳みなおす。
嵐で帰省は遅れるかもしれないが、他にやることもないし。
四郎兵衛は単を膝にのせたまま、小さく息をはいた。本当は、ちがう。
何かをしていなければ、昼のことを思い出してしまって、いたたまれなくなるのだ。
(ぼく、むりだよ)
左近はさっそく三郎次に会いに行ったようだが、四郎兵衛は五年長屋を訪ねることもできそうにない。三之助に話しかけることもできないような状況で、どうやったら頼めるだろう。それでも、他の誰かに頼もうと思えない自分が恨めしい。
四郎兵衛は頭を振って、いやな考えを頭から追い出した。今はどうにもならなくても、きっと解決のきっかけが現れる。それを逃さないようにすればいい。
だから、いまは、とりあえず。
(考えないようにしよう)と、四郎兵衛はつづらのふたを閉めた。
部屋の戸が叩かれたのは、そのときだった。
「時友四郎兵衛はいるか?」
聞こえた声に、四郎兵衛は驚いて「はいっ」と返事をした。
滝夜叉丸だ。
慌てて戸を開けると、自慢の髪をぼさぼさにして、まるで委員会後のような格好の委員長が立っていた。四郎兵衛はその様子に目を丸くした。
いったい、なにがあったというのか。
「四郎兵衛、三之助を見ていないか?」
その一言で、疑問は氷解した。
三之助がいないのだ。この嵐が来るというときに。迷子になったのだ。
「見、てません」
「そうか」
滝夜叉丸は、夜分にすまなかったと言って踵を返す。その袖を、四郎兵衛は慌ててつかんだ。
「待ってください。今、どんな……」
「先生方と、六年生で捜索をしている。五年では富松と浦風と伊賀崎が手伝ってくれている」
ぼくも、さがしたいです、と喉までせりあがってきた言葉を飲み込んで、四郎兵衛は手を放した。
許可が下りないことは分かっている。初めから、捜索に加えられていないのが何よりの証だ。
「ありがとう、ござい、ます」
滝夜叉丸がぽんと、四郎兵衛の頭をなでる。
「下級生たちのことは、頼んだぞ」
「はい」
四郎兵衛がうなずくと、委員長はさっと身を翻して行ってしまった。
最後の言葉は、四郎兵衛が無茶をしないようにと釘を差したに違いない。先生と上級生が三之助にかかりきりになっているのだから。
下級生のためにしっかりしなくてはならないのは、四年生だと。
しかし。
四郎兵衛は雲に覆われた夜空を見上げた。ごうごうと、風が唸っている。
この闇の中、いつまで捜索が続けられるだろう。
四郎兵衛はあわせをぎゅっと握り締めた。
(ぼくに、できることを、しよう)
四郎兵衛は保健室を目指して、駆け出した。
「次屋先輩が帰ってきたときに、すぐにお休みになれるように、お部屋を整えさせてください」
その突然の申し出に、数馬はいやな顔をしなかった。やわらかく「そうだね」と笑う。
「気付かなかったよ。僕も、藤内たちの分をやっておこうかな」
「ありがとう、ございます」
「気にしないで。左門のことも気になるし」
背を押されて、四郎兵衛は廊下に出た。
一歩踏み出すと、床板がぎしりと、奇妙な音を上げた。
主のいない部屋は暗い。
作兵衛はよほど慌てて出て行ったのだろう。床に物が散らかり放題だ。四郎兵衛はまず、足元から片付けはじめた。
どちらのものか分からない汚れた足袋。
手ぬぐい。
帯。
汚れ物はひとまとめにして、隅に積み上げる。忍たまの友はそれぞれの文机に戻し。ほこりは外に掃き出した。
ある程度きれいになったところで、布団を敷く。衝立も出して。出しっぱなしだった寝巻きを畳んで。枕元に整えた。
ぱたたっ
四郎兵衛ははっと顔を上げた。
ぱたっ
ぱたたっ
しずくが屋根に当たる音。
衝立の影に包みを隠して、廊下に出ると、数馬も顔を出したところだった。
「とうとう、降りだしちゃったね」
「はい」
「みんな、帰って来るね」
捜索が中断することは口にしなくても分かっていた。
学園の生徒が自分の庭のようにしている裏山や、裏々山といっても、夜のこと、しかも嵐の中。危険はいくらでもある。
「保健室に戻らなきゃ。たぶん、濡れて帰って来るから」
数馬は空を見上げたまま、ひどく不安そうに眉尻を下げた。戻ってくるその中に、三之助はいるだろうか。いてほしい、そう思っているのだと四郎兵衛も分かる。しかし、いないかもしれないという不安が、それ以上に大きい。
四郎兵衛は「手伝います」と申し出た。
「手ぬぐいとか、準備した方が、いい、ですよね」
「時友くん」
「あの、邪魔だったら、言ってください」
「そんなことないよ、ありがとう」
数馬が笑った。その優しい笑顔を、まっすぐに見られなくて、思わず目をそらす。保健委員のためでも、六年生、五年生のためでもない。ただ、状況をいち早く知れる場所にいたいだけなのだ。
「そうしたら、時友くんは左近と一緒に長屋の入り口で待機していて」
「はい」
四郎兵衛は頭を下げて、身を翻した。
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