ひさめ2

 長屋の入り口で、左近と一緒に乾いた手ぬぐいを準備していた四郎兵衛は。緑色の忍服を見るやいなや、駆け寄っていた。


「滝夜叉丸せんぱいっ」
 ずぶぬれで帰ってきた委員長は、四郎兵衛を見て目を丸くする。
「四郎兵衛……」
「おかえり、なさい。あの、手ぬぐいを」
 差し出した手ぬぐいを、受け取ったのは横から出てきた別の手だった。
「ありがと」
 びっくりして振り向くと、綾部喜八郎が立っていた。
 滝夜叉丸とは同室だ。行動を共にしていたのだろうか。
「喜八郎! 四郎兵衛がせっかく私に持ってきてくれたものを!」
「たきがぼーっとしてるのがいけないんでしょ」
「あ、あの、まだありますからっ」
 突然はじまった口げんかに、四郎兵衛は慌てて手ぬぐいをもう一枚持ってくる。
 滝夜叉丸は「すまないな」と手にとって、しずくが滴るほどに濡れていた髪を拭いた。その間にも、田村三木ヱ門と斉藤タカ丸が帰って来る。手持ち無沙汰になった四郎兵衛だったが、頭の中から左近を手伝わなければという意識は消えていた。
 滝夜叉丸の手が止まったら、聞きたいことがあった。
「次屋くんは見つけられなかったよ」
 横から飛んできた言葉に、四郎兵衛は「え?」と喜八郎を振り返る。
「それを聞きにきたんでしょ」
「は、はい」
「だから、それをどうしてお前が言うんだ喜八郎」
「だって、たきが言いにくそうにしてるから」
「そんなことは……!」
「だったらいつまで髪ふいてるの」
 喜八郎の視線に貫かれ、滝夜叉丸は反論しようと開いていた口をつぐんだ。
「先にお風呂行ってるからね」
 ひらひらと手を振って歩き出す喜八郎を、四郎兵衛はぽかんと見送った。委員長がこんな風に取り乱すところを見たのは久しぶりだった。それこそ、七松小平太がいなくなってからは、めったに見なくなった姿だ。
「喜八郎め」
 滝夜叉丸が軽く息を吐いた。
「すまない、四郎兵衛」
「はい」
「裏々々山まで探しに行ったが、三之助は見つけられなかった」
「……はい」
 気落ちはしなかった。
 もし、三之助が見つかっていたなら、滝夜叉丸はためらわずに四郎兵衛にそのことを言っただろう。四郎兵衛の顔を見て、驚いた時点で、そんな予感はしていたのだ。
「崖下や、沢の辺り、他にも危険な場所は、重点的に先生方が探してくださった。どこにもいなかったから、けがをして動けなくなっているわけではないだろう」
 滝夜叉丸が安心させるように付け加えた。
「三之助も忍術学園の五年生だ。五体満足なら、嵐を切り抜けることぐらいはできる」
 四郎兵衛はぱっと顔を伏せた。
 五体満足なら、けがをしていなければ。先生方がけがをしそうな危険な場所は探してくださって、そこにはいなかったというのなら。
 しかし、それはどれも四郎兵衛の不安を取り除いてはくれない。
「明朝、もう一度捜索を行う」
 ぽんと、滝夜叉丸が四郎兵衛の頭に手を置いた。
「天気がよくなっていたら、四郎兵衛も加えてもらえるよう頼んでみる」
「ありがとうございます」
 それでも、顔が上げられない。

 外ではごうごうと風が唸っている。壁にはばちばちと雨粒が打ち付けられる。
 この闇の中で、三之助は一人きりだ。
 どういう思いでいるだろう。朝まで、無事でいるだろうか。

 肩を叩かれ、四郎兵衛はゆっくりと顔を上げた。
「大丈夫か、四郎兵衛」
「すいま、せん。だい、じょぶ……」
 大丈夫です、と言いたかったのに言葉が詰まった。
 目頭が熱くなって、視界が滲む。
「もうここはいいから、戻って休みなよ」
 いつの間にか近寄ってきていた左近が、四郎兵衛の肩に手を回した。滝夜叉丸も「その方がいい」とうなずく。
「すいません」
 四郎兵衛は素直に従った。虚勢を張ることもできない。
 暗い廊下を目の前に、一歩ずつ足を踏み出す。まるで、闇の中へともぐっていっているような気分だ。そのまま、引きずりこまれて二度と戻ってこられないような。

「さくちゃん!」
 突然の大声に、四郎兵衛はびっくりして後ろを振り返った。帰ってきた作兵衛に、数馬がすがり付いて泣いている。作兵衛と同じようにずぶぬれの藤内は、数馬を支えるように肩を抱いて。孫兵も三人に寄りそっている。
(三反田先輩……)
 四郎兵衛は暗い気持ちのまま、その光景を眺めた。
 数馬が一番、不安な気持ちを抱えていたのかもしれない。
 いなくなったのは同学年の三之助で、それを探しに行ったのも、彼の大切な学友たちだ。この風と雨の中、三之助の二の舞にならないとは言い切れなかっただろうし。けがの可能性も十分にあった。
 無事に帰ってきた三人の姿を見て、ほっとしたのだろう。
 踵を返せば、変わらずにたたずむ闇。
 四郎兵衛の耳には風と雨の音だけが響く。

「なあ、しろ」
 いたずらっぽく笑って、四郎兵衛の顔をのぞきこんだ三之助。
「しろは、なんて答えたの?」
 ちゃんと、返事をすればよかった。布団にもぐったりしないで。
 あれが、三之助が話しかけてくれた最後だった。もしかしたら、本当に最後になるかもしれない。そんなのはいやだけど。絶対にいやだけど。

 四郎兵衛は胸を押さえて、嗚咽をこらえた。
 ここで四郎兵衛が泣いているのを見つかれば、左近も数馬も、きっと四郎兵衛を慰めようとするだろう。左近はともかく。数馬は慰めてもらわなければいけない人なのに。
 四郎兵衛は、ふと思いついて涙をぬぐった。こっそりと入り口をうかがえば、まだみんなそこにいる。

 今、五年長屋は無人だ。
 滝夜叉丸の信頼を裏切ることになる。
 金吾にも心配をかけることになる。
 最悪、捜索に加わるすべての人に更なる負担をかけることに、なる。
 それでも。

(朝、まで、だったら)

 三之助を失うことは、耐え切れない。もう二度と会えないかもしれないなんて。
 それくらいだったら、誰の信頼も、心配も。何を裏切ることになっても。かまわない。

 四郎兵衛はぱっと駆け出した。
 
 この闇が四郎兵衛をどこへいざなおうとしていても。
 三之助を引き離そうとするなら。
 なんだって受け入れられる。

(絶対に、次屋先輩を見つける……!)


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