ひさめ3
四郎兵衛はつづらの中から、乾飯と、風呂敷を一枚、油紙を二枚、乾いた手ぬぐいを三枚出して、それをもう一枚の風呂敷で包んだ。「どうしたの」と問う同室者には、こう言った。
「次屋先輩が帰って来るかもしれないから、五年長屋で待つことにする」
急いで戻った五年長屋には、幸いなことにまだ誰一人帰ってきていなかった。
五年ろ組の部屋にたどり着くと、四郎兵衛はぎゅっと風呂敷包みを抱きしめた。
息が乱れている。気配を消すのは得意ではないのだ。しかし、へたりこんでいる時間はなかった。
四郎兵衛は持ってきた風呂敷を広げてから、三之助のつづらを開けた。衣を一揃えと、ついでに下帯を引っ張り出す。できるだけ小さくなるようにたたみ直して、手早く風呂敷で包んだ。
それから、と四郎兵衛は脇によけておいた油紙を広げた。
忍務で密書など、絶対に濡れては困るものを包むために手に入れたものだが、四郎兵衛は使うのをためらわなかった。ここまですれば、中身が濡れることはないだろう。
最後にもう一枚の風呂敷で包んで、背負ったところで、四郎兵衛ははっと顔を上げた。
何か、聞こえた。
「――――」
足音、と話し声。遠くても分かるほど、聞き覚えがある。
作兵衛と、数馬だ。
(ど、どうしよう!?)
四郎兵衛はぐるりと部屋を見回した。長屋はどれも同じつくりだ。隠れ場所がないことは、四郎兵衛もよく知っている。しかし、ここで見つかるわけにはいかない。
ぱっと目についたのは、さっき自分が出した、衝立だった。
がらっと戸が開く音がした。
「あれ? 布団、用意してくれたのか?」
「違うよ」
やわらかい、数馬の声が静かな部屋に響く。
「時友くんがやってくれたんだ」
「時友? 三之助め。後輩にどれだけ心配かけてんだ、あいつ」
呆れたような作兵衛の声は、四郎兵衛の真下から聞こえた。
一寸先も見えぬ闇の中で、四郎兵衛は必死に息を整えていた。少しでも気息が乱れれば、たちまち下の二人に気付かれてしまうだろう。
四郎兵衛と五年生二人を隔てているものは、薄い天井板一枚だけだ。
「裏山に行ったって聞いて、本当に心配だったんだよ」
「心配って、裏山だぞ?」
「だって、こんな雨と風で、山なんて何があるかわかんないのに」
数馬の声がくぐもった。
「三之助はどうして、裏山なんかに行ったんだろう」
「わかんねえ。でも、滝夜叉丸先輩が言うんだから間違いねえだろ」
「三之助が裏山に行ったって?」
「金吾が」
作兵衛はそこで言葉を切った。
「皆本くん?」
「ああ。放課後、倉庫の前で三之助とけんかしたんだって」
どきり、と心臓が跳ねた。
(倉庫?)
そこには四郎兵衛もいた。
左近と一緒に。
「そのあと、三之助が裏山の方に行ったのを見たんだってさ」
「けんかって」
「お前のところの川西左近も、三之助が金吾と一緒にいたのを見たって言ってたぞ」
「左近が?」
「倉庫の裏に用があったんだって」
「……左近が?」
数馬の不審そうな声が四郎兵衛の胸を刺した。
呼吸を保つのが精一杯だ。金吾が三之助とけんかしたという事実にも驚いたが、倉庫のそばにいただなんて。
「俺も不思議に思ったんだけど、時友と約束があったらしいぞ」
「…………時友くんと?」
「皆本も、川西も、理由は言わねえんだよな。川西なんか顔を真っ赤にして、絶対に言いませんなんて言うし」
数馬が「僕、何も聞いてない」と沈んだ声で嘆いた。四郎兵衛は心の中で(言えないです)と左近をかばう。あんなこと、誰にだって言えたものではない。
「でも、たぶんあれなんだよな」
作兵衛がもごもごと口の中でつぶやく。
「この時期の四年生って、授業であれがあるだろ」
「……あれ?」
「俺たちもやっただろ。色の授業だよ」
「あ」
「毎年、何かしら問題が起きるんだよな。今回もそれじゃねえのかなあって」
なんという、推測。
四郎兵衛は真っ赤になった頬を手で押さえた。
どうして分かったのだろう。
「で、こっからはただのあてずっぽうなんだけどな。川西と時友の間で、何かあったとする」
「まさか!」
「言い切れるか?」
「う……」
「倉庫の裏なんて、それ以外に近付く場所じゃねえだろ。そんで、もし、三之助がそれを見たとしたら……」
息が、止まるかと思った。いや、呼吸を乱すくらいだったら、いっそとめてしまえ。
四郎兵衛はぐっと息を詰めた。
作兵衛はまだ話を続けていたが、とても聞ける状態じゃない。
三之助に見られた?
左近とのやり取りを?
聞かれてしまった?
「先輩に、頼んでみる」
あの言葉を?
「数馬!」
すぱーん! と戸が開けられた。
その音で、四郎兵衛は我を取り戻す。
「え、なに、藤内」
「大変だ! 左門がいない!」
「ええっ!?」
「なんでまたこんなときに!!」
どたばたと、慌しく足音が遠ざかっていく。
四郎兵衛は息を解放して、梁の上にぐったりと横たわった。
信じられない……信じたくないことを耳にした。すべては作兵衛の推量にすぎないが。可能性は十分にある。
もし、聞かれていたとしたら。
どんな顔をして、三之助の前に立ったらいいのか分からない。恥ずかしくて、死んでしまいそうだ。
でも。
ひときわ強い風が、長屋を揺らす。
戸は派手な音を立てて、今にも破られそうだ。
なにがあろうと、三之助を探しに行かないという選択肢は存在しないのだ。
四郎兵衛は静かに上体を起こした。
部屋に下りて、廊下の様子をうかがう。左門のおかげかしんとしていて、誰かの気配はない。
四郎兵衛は意を決して、外へと飛び出した。
迎えるのは吹き荒ぶ風と雨。木々の影も沈むつつ闇。
その先に失えない人を見出す。
ただ、そのためだけに。
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