大きな手
三之助の手は大きかった。四郎兵衛よりは一学年上であるし、三年生の中でも背は高い方であるからそれがどうということではない。ただ、すっぽりと包まれてしまうほど大きな手だとは思っていなかった。そういうイメージはどちらかというと小平太のもので。
あの日、委員長に向けるのとはまた別な憧れを抱いたことは確かだった。
四郎兵衛はこの日も裏々山を走っていた。
四月、入学したばかりの一年生を連れて、初めての長距離。この緊張感は独特だ。先頭に滝夜叉丸、次に金吾、後輩たちを挟んで、三之助としんがりはやっぱり四郎兵衛だった。小平太とは別な方向でのいけどんへと成長した滝夜叉丸の下、体育委員会が裏々山を好きなことに変わりはない。走ることは基礎体力をつけるのにもってこいの運動で、誰もがこの活動に文句はない。もちろん、かの人が委員長だった頃よりはまともな距離になっているから、というのは必須だったが。
四郎兵衛は前を行く五年生の背を見つめた。三之助はとうに滝夜叉丸を追い越して、体育委員会の中では一番に背が高い。ぼんやりといた雰囲気は変わらないものの、あの日からは頼りになる先輩だ。
それに比べて四郎兵衛の成長はかんばしくなかった。三年の金吾に背を追い抜かれたばかりだ。手だって一向に大きくならない。それは二年生に比べれば大きいけれど、あの日、憧れた手と比べると、どうにも小さい気がしてならないのだ。
「しろ」
風が木々の葉を揺らす。新緑はまだ濃くならず、春の日差しを山道にまで届けてくれる。
(どうして次屋先輩のように大きくなれないのだろう)と思うと、悲しくなる。四年生になっても四郎兵衛は自分が役に立っているとは思えなかった。あれから三之助が迷子になることがなかったわけではない。学園まで無事に帰ってきたのに、長屋へ帰る途中で迷子になったこともあった。
「しろ」
どんなときも三之助を見つけ出すのは滝夜叉丸だった。金吾が一年生のうちは四郎兵衛にも後輩を無事に学園に届けるという使命があったから、三之助捜索に積極的に参加したことはなかった。だが、一年経って、金吾が自分の後輩の面倒を見るようになると、四郎兵衛には三之助を迷わせないようにするという使命が降ってきた。
それなのに、その使命をまっとうできたことはない。なぜかいつも気が付くと三之助の姿が見えない。四郎兵衛はそのたびに(役に立っていない)と思い知らされる。背が高くなっても、それが果たせるわけではない。そんなことは分かっている。
だからこそ、せめてあの頼りになる大きな手だけでも、同じようになりたかった。
「四郎兵衛!」
腕を引かれて、四郎兵衛は現実へと引き戻された。振り返ると、前を走っていたはずの三之助が、腕をつかんで立っていた。
「次屋、先輩」
「どこへ行くつもりだ、しろ」
「どこって……」
四郎兵衛はそのときになって、周囲の風景が妙なことに気が付いた、木々がいやに近い。足元を見ると、草が生えていて道の形跡がない。
はっとして見回すと、どう考えても山道から外れた森の中だった。四郎兵衛の顔から血の気が引いた。役に立つどころか、自分まで三之助と一緒に迷子になってしまったのは明らかだ。
(どうしよう)
じわり、と世界が滲んだ。
今日は一年生が一緒だ。滝夜叉丸と金吾、どちらが欠けても道慣れない後輩たちを無事に学園に届けることはできないだろう。三之助が迷子になっても、四郎兵衛がいれば高学年のうち二人は後輩たちの面倒を見ることができる。それなのに、肝心の四郎兵衛が一緒に迷子では役立たずどころか足を引っ張っているようなものだ。
「俺が立ち止まっても走り続けるから、びっくりした」
三之助が四郎兵衛の頭をぽんと叩く。四郎兵衛は返事をしなかった。
できなかった。
声を発すれば、本格的に泣き出してしまうそうな予感があった。それも心細くて泣くのだったらまだ救いようがあるものの、自分が情けなくて泣き出すなんて、墓穴をさらに広げるようなものだと思った。
「しろ、大丈夫か?」
顔をのぞきこまれて、四郎兵衛はぱっとうつむいた。拳をぎゅっと握り締め、くちびるをかむ。こんな顔をさらすわけにはいかなかった。
頭上で三之助がため息をついた。
胸の痛みは先ほどの比ではなかった。青ざめる、という言葉がこれ以上なく似合うほど、四郎兵衛はうろたえた。三之助に、呆れられた。そう思うと、居たたまれなくなった。ぱっと身を翻す。事態を悪化させるだけだと、頭の隅で冷静な自分がささやく。しかし、四郎兵衛はその声を無視した。足に力をこめて地を蹴る。
「しろ!!」
三之助が叫んだが、戻ることはできなかった。
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