出水4

 四郎兵衛の持ってきてくれた乾飯を、三之助はそのままかじった。粥にしたくても、それだけの水がない。あるのは四郎兵衛の携えていた竹筒一本分だけだ。
 三之助としては本当に、腹に入れば何でもよかった。乾飯だって、じっくり噛めば味が出る。
 しかし、四郎兵衛は向かいで申し訳なさそうにうつむいている。膝を抱えているのは、すぐに着崩れるためだ。分かっていたことだが、三之助の単は大きかった。単が大きすぎて手が出ないうえ、裾も引きずってしまう。

「気にすんなよ」
「……はい」
 答える声は小さかった。
 兵糧丸とはいかなくても、せめて乾菓子とか、味のあるものを持ってくればよかった。
(とかなんとか、考えてんだろーな)
 もう一つまみ、乾飯を口に放り込んで、三之助は巾着の口を締めた。そのあと、荷物をひとまとめにして、四郎兵衛を呼ぶ。
「そろそろ寝た方がいいな。こっち来い」
 四郎兵衛はのそりと立ち上がって、奥の壁に寄りかかって座った。
 入り口付近を避けるのは、忍者の習性だろうか。こんな状況で、誰かがこの小屋に来ることなんて、ないとは分かっていてもだ。
 三之助は灰をかぶせて火を消した。一瞬にして、濃い闇が生まれる。明かりがなくなっただけで、風の音がやたら耳につくようになった。
「消すんですか?」
 四郎兵衛の声がひびく。
「もう薪がないし。しろが恥ずかしがるから」
「え?」
 三之助は闇に慣れた目で、四郎兵衛が首をかしげるのを見た。
「なんでですか?」
 それには答えず、静かに近付く。
 突然間近に迫った気配に、四郎兵衛が「次屋先輩?」と慌てたように手を出した。三之助はそれをつかまえて、「あばれんなよー」と忠告する。
「え、え?」
 脇の下に手を入れて、持ち上げると、四郎兵衛の体は簡単に宙に浮いた。
「あああああのっ!?」
「寒いからくっついて寝よーな」
 三之助は座ってから、膝の間にしろを下ろした。
 四郎兵衛は固まってしまってぴくりともしない。それをいいことに、腕を回して力をこめると、やっと「ふえぇ」と奇妙な声を漏らした。
「なつ、ですよ」
「でも、しろの体冷たい」
 三之助は四郎兵衛の肩口に頭をのせて、息を吸った。
(しろのにおいだ)
 ほっとするのと同時に、腹の底によどんでいたものも、ゆっくりと溶かされていく。代わりに首をもたげる獣の気配には、気が付かないふりをした。飼いならせるだけましかもしれないが、十分に性質が悪いことは自覚している。
「次屋先輩、あの、ちょっと」
 もぞり、と四郎兵衛が動いた。
 しかし、三之助に手を放す気などさらさらない。「んー?」と気のない返事をすると、泣きそうな声が返ってきた。
「離してください。着物が」
「着物?」
「くずれちゃって」
 顔を上げて、三之助はぎょっとした。反対側の肩が見えている。
 その手がゆるんだ隙に、四郎兵衛はぱっと背を向けた。ごそごそと、前を合わせようとしている気配が伝わる。
 暗くてよかったと、三之助は心底から安堵した。
 獣が虎視眈々と狙っているのを、彼は知らない。だからこそ、三之助も手を伸ばすことができるのだ。

 少し待つと、四郎兵衛の動きが止まった。頭が左を向いたり、右を向いたりしている。どうしようか迷っているのか。
 逃がす気のない三之助は、背を向けたままの四郎兵衛に手を伸ばそうと腰を浮かす。しかし、それよりも前に、ずりっと四郎兵衛が後ろに下がった。二回、三回、後退すると、おずおずと三之助の胸に背を預ける。

 手が、震えた。
 信じられない思いで、受け止めたが。
 それでもやっぱり、簡単には飲み下せない衝撃だった。

 三之助が手を伸ばせば、素直に腕の中におさまってくれたけれど。四郎兵衛から身を預けるなんていうことは。これまでに一回も経験のないことだった。
(やばい)
 香りが、鼓動が、頬に触れる髪が。三之助を誘う。
(抱きしめるだけだ。それだけ)
 言い聞かせるように三回唱えて、三之助は腕を回した。力をこめると少しだけ四郎兵衛の体がこわばったが。ゆっくりと、まるで背後の気配をうかがうように肩から力が抜けていく。四郎兵衛は膝を抱いていた手を離し、三之助のむき出しの腕に、ぺたりと触った。
「あったかい、ですね」
「しろが冷たいからな」
 三之助は、四郎兵衛の肩口に顔を埋めた。さすがに首筋はあたたかい。
 夏なのに。四郎兵衛の体温はひどく心地よかった。
 ずっと気になっている、胸奥のよどみの核になった痛み。触ると自分で傷をえぐることになりそうで、距離を置いたもの。
 今なら、聞けるかもしれない。
「しろ」
「はい」
「何で、滝夜叉丸なの?」
「なにがですか?」
「あこがれの人」

 がんっ。ひどい音がして、小屋がきしんだ。風に飛ばされてきた枝か何かがぶつかったのか。
「なんで、知ってるんですか」
 四郎兵衛が消え入りそうな声で言った。
「しろから聞いた」
 ぱっと頭が動いた気配。顔を上げたのだろうか。
「しろが半分眠りながら」
 滝夜叉丸先輩です。
 次屋先輩には、絶対ないしょなんです。
「って。なあ、なんで俺には内緒?」
 あうあうあうあうと唸りながら、四郎兵衛は顔を伏せた。
 予想していたことだけど、自分が口にしているとはまったく気付いていなかったようだ。
「しろ、どうして?」
 三之助は四郎兵衛の背中にもう一度尋ねる。
 答えてほしい。内緒だなんて言わないで。せめて、内緒の理由だけでも。
「……はずかしいんですっ」
 だいぶ長い沈黙の後、四郎兵衛がしぼり出すような声で答えた。
 三之助は顔を上げた。
「恥ずかしいって、なんで」
「うー」と泣きそうな声を前置きにして、四郎兵衛は「だって」と続ける。
「滝夜叉丸先輩は、次屋先輩を見つけられるから」
 三之助の思考が止まる。

 それは、どういうこと?
 心臓が暴れだす。期待なのか、不安なのか、どちらに偏ればいい?
「ぼくも、次屋先輩を見つけられるようになりたいなって」
 よどみも傷みも、一瞬にして霧散した。
 最初から聞けばよかった? 四郎兵衛は一つも三之助を傷つけるようなことはしてないのだから。
 残ったのは少しの後悔と、ただの欲求。
「でも、恥ずかしいので、次屋先輩にはないしょだったんですっ」
 暗くて見えないけれど。顔を伏せたままの四郎兵衛は、きっと耳まで赤くなっている。

 顔が見たい。
 顔が見たい。
 顔が見たい。

 しろ、こっち向いて?


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