出梅1
滝夜叉丸先輩です。次屋先輩には、絶対ないしょなんです。
本人に言いながら、内緒も何もあったものではなかった。しかも、それを三之助から告げられて。それこそ、自分で穴を掘ってでも、隠れたくなるような恥ずかしさに襲われる。
呆れられるか、とか。笑われるか、とか。また、避けられるのだけはいやだなとか。
おびえていたのは、そんな可能性を考えていたから。
だから、天地がひっくり返ったとき。何が起きているか、分からなかった。
「……んむっ!?」
床に引き倒され、口をふさがれて。
忍の本能で腕を振り上げた。だが、なじみのある三之助のにおいに、拳の行き場は失われる。
(な、に)
口の中に侵入するものが、何か分からなかった。四郎兵衛の舌をからめとり、上あごをすべり、歯の裏をなぞっていく。
まさか、とその可能性に思い立った瞬間。ひどい近距離で目が合った。
「しろ」
低いささやきが聞こえた。返事をする間もなく、また、くちびるが触れる。
どうして。
なんで。
答えられることのない疑問が、頭の中をぐるぐると回る。のしかかるような重みが、三之助の体で。頬に触れる手も、髪をすく指も。全部、次屋三之助だと理解できるのに。
何故、彼がそうするのかだけが分からない。
昨日まで、顔も見てくれなかったのに。
だって四郎兵衛はただの後輩だ。口を吸われるような間柄ではないし。そも、三之助が四郎兵衛を相手に、なんでこんなことをするのか分からない。
堂々巡りをしていると分かっていながら。考える事をやめられない。そのうち息が苦しくなって、さらにまとまらなくなってきた思考のひずみに。
「川西と時友の間で、何かあったとする」
よみがえったのは、作兵衛の言葉。
「もし、三之助がそれを見たとしたら」
胸に差し込むような、冷たさを感じた。氷でできた剣を突き刺したら、こんな痛みを感じるのではないかと思うような。
翻弄されて、のぼせていた頭が、急速に現実を取り戻す。
「やっぱり、先輩見てたんですね」
くちびるが離れていった隙に。息を吸うよりも先に。四郎兵衛はそう言った。
三之助が体を浮かせた隙間に、無理やり腕をねじこむ。
これ以上、触られたくない。さっき引っ込んだものと意味が違う涙が、あふれ出る。見られたくなくて、横を向いた。
「倉庫裏で……」
三之助が小さく息をのむ気配がした。「ごめん」という言葉と共に、離れていく体温。
四郎兵衛は自由になった体をぎゅと小さくして、丸まった。床板が、かたくて痛い。
「川西と話しているのを見た」
頼んでみると言ったのは自分だから、それに応えてもらっておいて批難も何もない。
でも、ひどいと思ってしまった。あんな場面を見られたくなかった。左近と、あんな話をしているのを聞かれたくなかった。
「ごめん、四郎兵衛。嫌だったよな。もうしない、絶対にしないから」
おそるおそる、というように三之助の気配が近寄ってくる。
四郎兵衛が逃げないでいると、そっと髪を触られた。三之助らしくないふるまいに、四郎兵衛は申し訳なくなった。顔を上げると、すぐに三之助は手を引っ込める。
それを少しだけ残念に思う自分は変だろうか。さっきはあんなに嫌だったのに。
起き上がって、「すみませんでした」と言うと「なんで」と返された。
「頼んだのは、ぼくなのに」
「たの……え?」
三之助が首をかしげた。
四郎兵衛も疑問符を浮かべる。
「先輩、聞いてたんですよね」
「聞いてた」
「先輩に頼んでみるって言ったのも……」
「聞いてた」
一瞬の沈黙が降りた。
「…………え?」
それを破ったのは三之助の声。
「まさか先輩って俺?」
「はい」
四郎兵衛は首をかしげた。知っていたのではないのだろうか。聞いていたと、今うなずいたのは確かだし。それゆえの口吸いなのではないのだろうか。
三之助はしばらく何かを思案したあと、合点がいったように手を打った。
「しろが嫌がったのは、俺に話を聞かれていたこと?」
「はい」
「……ごめん」
四郎兵衛は再び伸びてきた腕につかまって、また床に押し倒された。
「ひゃうっ」
「よかったほんとごめんしろ」
「え、え、あの、次屋先輩?」
「嫌われたかと思った」
それはこちらの言葉のはずだと四郎兵衛は思ったが、口には出せなかった。
力いっぱい抱きしめられて、息が詰まる。
「ごめんしろ」
「な、にが、ですか」
「急に冷たくしてごめん、口吸ってごめん、抱きついてごめん」
本当にそう思っているのかと疑いたくなるくらいに軽い口調で、三之助は謝罪を口にする。
しかし、四郎兵衛はほっとした。この感じが「次屋先輩」だ。
ぐらりと世界が回る。
床に倒れているのだから回るはずがないが。
それでも、いきおいよく穴に落ちていく落下感。
「しろ?」
三之助の声が遠い。
はいと答えたくても、口が重い。手にも力が入らないし。まぶたが閉まるのをがまんできない。
学園に戻ったら、またお泊りにいっていいですか。
三之助が許してくれるなら、また一緒に眠りたかった。一緒にいると嬉しい。泊まりに行くのはひそかな楽しみなのだ。
いたずらされるのも。
おどかされるのもがまんします。
だから、また……
そこで、思考は途切れた。
三之助の返事は聞こえなかった。
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