二百十日2

 そのままの気持ちを伝えてごらん。夢の云々はともかく、恥ずかしくて顔が見られないって。
 だいじょうぶだよ。きみが三之助を嫌っていなかったって分かって。たぶん、一番嬉しく思うのは三之助だから。


 数馬の言葉に背を押され、四郎兵衛は五年長屋へやって来た。
 すでに、風呂を済ませ、寝巻きに着替えている。
「話が長くなると困るから、泊まるつもりで行くんだよ」
 とは、数馬からの親切だ。富松作兵衛に迷惑がかからないかと尋ねると、数馬は照れたように笑った。
「時友くんが来てくれるおかげで、さくちゃんが僕の部屋に泊まる理由ができてるんだよ。藤内には後輩をだしにするなって怒られるくらいだもの。迷惑にはなってないから安心して」
 作兵衛と数馬の関係に、それでやっと気付いた。組が違うわりには仲がいいと思っていたけれど。ぽかんとする四郎兵衛に、数馬は「内緒ね」と、今度はとてもかわいらしい笑顔を見せたのだ。

 しかし。
 四郎兵衛は長屋の入り口で、さっそくしり込みをしていた。そして、六月にも同じようなことをしていたと思い出す。
 あの時は、四郎兵衛が勝手に三之助の気持ちを早とちりしたのだった。ならば、今はどうだろう。三之助の思いは、三之助でなければ分からない。四郎兵衛がどれだけ考えたって、三之助の考えに至れるわけではなかった。
 あの時、三之助は言った。「しろに、嫌われたかと思った」と。
 四郎兵衛は三之助のいる部屋を目指して、一歩踏み出した。三之助がどう思っているかは気にしないことにする。
「しろに嫌われたら、泣く」と言ったこと。
 抱きしめてくれたこと。
 笑顔、まっすぐの視線、体温、ぜんぶ。
 四郎兵衛のできることは、三之助がくれたぜんぶを、ただ信じることだけだ。


 五年ろ組の部屋の戸は、おそろしいほどの重圧感をもって、四郎兵衛を迎えた。
 押しつぶされそうになる胸に、手を当てて、深呼吸を一度、二度。
 とん、とん。
 叩く手が震えた。
「つぎ、や、せんぱい」
 呼ぶ声も、震えている。
「四年の、時友四郎兵衛ですっ」
 一拍の間があって、ぱっと戸が引かれた。


 久しぶりに見る三之助の顔は、なぜだかひどく、険しかった。


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