鳳仙花3

 初めてのときとは何もかもが違っていた。もちろん、夢の中とも。


 くちびるの熱さ。
 吐息。
 口の中を這い回る舌。

 あの時はただただ、それを認識するだけで精一杯だったのに。今は、その感触のおののくだけの余裕がある。
「……っ、んむ」
 わずかに離れた隙に息を吸い込む。
 苦しい。でも、再びふさがれたくちびるに、不快感はない。
 もっと。心の隅に生まれたのは、不思議な感情。苦しくて、早く放してほしいと思うのが当たり前なのに。生まれ出でるのは、「もっと」。
 これ以上にうろたえることはないという状況で、四郎兵衛はその感情を受け入れた。三之助に誤解されるほど悲しいことはない。信じてもらえないのなら、否定できないほどにまっすぐ伝えればいい。

 うれしい、と。

 四郎兵衛はすがるように着物をつかんでいた手を、離した。
 その瞬間。背に回された右手に力がこめられる。頭を支える左手にも。
 まるで、逃さないとでも言うように。
(逃げない、のに)
 そんな思いとは裏腹に、三之助の口吸いは激しさを増した。舌を吸われると、しびれるような感覚が背を這い上がっていく。それに逆らって、四郎兵衛は必死に手を伸ばした。
 のまれてはいけない。
 おぼれてはいけない。
 三之助がそそいでくれた感情に、四郎兵衛はまだ応えられていないのだから。
 右手の親指が、三之助の頬を掠めた。指先に髪が触れる。
 四郎兵衛はひじを曲げて、三之助の首に、腕を回した。
(ぼくの、きもち)
 大好きの想いが届くように。



 もう一度触れることができたなら、と願っていたくちびるは、想像をあっさり飛び越えて、やはりすばらしかった。
 一度目は力ずくで奪った。だから二度目は、許しがもらえるまでは、それが二度と来ない日だとしても、絶対に触れるつもりはなかった。
 なのに、いま自分は何をしている?
 自問したところで手放せない。それが、恋しいという想いの力だ。

 ほしい。
 慣れぬように息継ぎをする口を、再びふさぎながら、三之助の頭にはそれしかなかった。
 ほしい、ほしい、ほしい。もっと。ぜんぶ。
 その欲求に逆らうかのように、右手は四郎兵衛の背を、左手は頭を支えている。手を離してはいけない。肌に触れたい、暴きたいという獣は、もうその正体を隠そうとしていないのだ。
 これで、四郎兵衛も分かっただろう。もう二度と、不用意に近づいたりはしないにちがいない。ならば、最後ならばどうしたっていいのではないか。
 後輩からの信頼を裏切ったって。次、は絶対にやってこないのだ。
 誘惑に、三之助の心が傾く。
 ふ、と四郎兵衛が身じろいだ。それまで、三之助の着物を力いっぱい握り締めていた手が、離れる。
 三之助は反射的に、両手に力をこめた。どれだけ強く叩かれたって、今、放す気はさらさらない。そんな気を失せさせるように、四郎兵衛の舌を吸う。
「んんっ……!」
 四郎兵衛が苦しげに声を漏らした。何かに耐えるように、ぎゅっと眉根を寄せる。
 その表情に、胸がえぐられるような痛みが生まれた。

 なんという無体を強いているのか。これが、自分のしたかったことなのか。
 本当に、見たかった四郎兵衛の表情は。

 ただ、笑ってくれればいい。

 三之助は思わず力を緩めた。最後だけ、と未練で、もう一度舌を吸う。
 その頬を、四郎兵衛の指が掠めた。

 そして、首に腕が回され、

 ぎゅっと、力がこめられた。



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