大きな手4
迷惑になるから、泣かないようにしようと思っていた。それでなくても、前日に散々迷惑をかけてしまっているのだから。だけど、涙は止めようと思っても止まらない。三之助を前にして、やっぱり嫌われたくないと思うのに。どうして、嫌がられるようなことしかできないのだろうか。
「しろ」
「ご、めんな、さい」
「しろ」
「つ、ぎや、せんひっ……せんぱいっ」
「しろ」
「ごめう……ごめんな、さい」
「もういいから」
どばっと、涙があふれた。もういい、とはどういう意味だろうか。これは、本格的に、徹底的に、呆れられてしまったのか。言葉もなくしてしまった四郎兵衛に、ふわりと、布団がかけられた。前まできっちりまかれて、何事かと見上げると、三之助はあーと唸りながら視線を泳がせる。
「で、何の用?」
四郎兵衛は布団の中で、あわせを握った。三之助の声が冷たいように感じる。
心臓が痛い。胸が苦しい。
だけど、聞こうとしてくれているのに、逃げるわけにはいかないのだ。
「謝りに、来ました」
「謝るって、何を」
三之助がめずらしく目を見開いた。理由など、もうとっくに見抜かれていると思っていた四郎兵衛は、「えっと」と次の言葉を探して焦る。
「次屋先輩が、滝夜叉丸先輩に、叱られて」
「それは、昨日のことで?」
「はい。ぼく、のせいで、叱られたと聞いて」
三之助が眉をひそめた。
ただそれだけで、四郎兵衛は冷水を浴びせられたような気分になる。何か気に触ることを言っただろうか。叱られたことなんて、もう思い出したくもなかったとか。
「ごめんなさい」
消え入りそうな声だったが、三之助には届いたようだった。
「しろが謝ることなんかない」
眉間にしわを寄せたまま、三之助はきっぱりと言った。
思いもよらない言葉だった。それでは、三之助は怒っていないのだろうか。自分を、嫌いになってはいないのだろうか。
もしそうなら、それはどんなにすばらしいことだろう。
四郎兵衛は三之助の考えが分からず、こわごわと尋ねる。
「怒って、ないんですか」
「怒るわけないだろ」
さも当然のように言い返されて、四郎兵衛はやっと胸をなでおろした。同時に、一度は引っ込んだ涙が、再びにじみ出してくる。
「なんで、俺が怒ってるなんて思ったの」
「せ、んぱいが、ため息を」
「ため息……」
「ぼくを、見つけてくれたとき」
三之助は天井をにらみながら、ああ、と思い出したようにつぶやいた。
「あれはほっとしたんだよ。しろを見つけて」
「ぼく、迷惑をおかけしたのに」
「迷惑なんか、俺のほうが結局迷っていたわけだし」
四郎兵衛はびっくりして三之助を見た。この無自覚方向音痴が、自分が迷子になったと認めたことなどない。いつも、みんながいなくなったというその口が。
「滝夜叉丸に叱られたのも、当たり前かなあって思って」
目を丸くする四郎兵衛に、三之助が手を伸ばした。大きな手が、あの日よりももっと大きくなった手が、四郎兵衛の頭をそっとなでる。
「しろに、嫌われたかと思った」
「え」
「逃げた、から」
三之助の眉がまた、わずかにひそめられた。
しかし、それは不快からというわけではなく。
胸をつかれるような、切なげな表情。
自分が逃げて、三之助がそんなふうに思うなんて。四郎兵衛は天と地がひっくり返っても、これほどには驚かなかったかもしれない。
これほど役に立っていない自分が。
三之助を傷つけられるほどの存在だとは思っていなかった。滝夜叉丸にどんなに罵られても、右から左へ聞き流すこの先輩が。自分に「嫌われたかと」思って、悲しげにほほえむなんて。
「しろ」
「はい」
「逃げんなよ」
何で、と思う間もなく、布団ごと抱きしめられた。
力強い腕が背に回り、四郎兵衛の頭は真っ白になる。
肩口に、三之助が顔をうめて。
「しろに嫌われたら、泣く」
なんて、とんでもないことを言った。
四郎兵衛の知る限りでは一度も泣いたことのない三之助が。実際には泣いていないとしても、泣く、だなんて。
首筋に当たる息が、震えているような気がして、四郎兵衛は落ち着かなくなった。あわせを握り締めていた手をはなし、布団を押しのけて。そっと、三之助の頬に触れた。
「ぼくが、次屋先輩を、嫌いになるなんてこと、ありません」
自分では、思っていたよりもはっきりといえた気がした。直前まで泣いていたせいで声はかすれていたけれど。絶対に、これは伝えなければいけないことだった。
もぞり、と三之助が動いて、四郎兵衛の手を握った。
「しろ」
「はい」
「泊まっていく?」
「は……え、ええっ!?」
四郎兵衛は三之助に抱えられたまま、「えっと」と「でも」をくり返す。
同室の作兵衛には間違いなく迷惑だろうし、先輩の部屋に泊まりこむ後輩なんて聞いたことがない。そう言うと、三之助は「大丈夫」と請け合った。
「滝夜叉丸なんか、しょっちゅう七松先輩の部屋に行ってた」
初耳の事実に、四郎兵衛は黙り込む。正直を言えば、もう少し、三之助と話したかった。離れがたい、というと語弊があるような気もするけれど。三之助の腕の中はひどくあたたかかったから、あながち間違っていないかもしれない。
いつまでも顔を上げない四郎兵衛の耳に、三之助がそっと唇を寄せた。
「しろが、俺といるのが嫌ならあきらめる」
四郎兵衛はとんでもないと、首を振る。
三之助が、くくっと、笑った。
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