いたいけな忘れもの


夏の昼下がり。
このうだるような暑さでは外へ遊びに行く気にもなれず、お昼ごはんも家で済ませた。
いつものように各々が好きな事をして、ごろごろと二人で時間を過ごす。
特別な出来事こそないけれど、お互いに楽をしたい性格なのも相まって案外この空間が心地よい。


胡坐をかいて本を読みふける彼の背中に持たれ、適当な雑誌に目を通す。
ページを彩るのはほとんどが茶系や落ち着いた色合いのもので、もう秋物にシフトする時季なのかと思うのと同時に、夏物セールに繰り出さなくては、とも思う。
どっちみち日差しに負けて家から出ないんだろうけど。


ページをめくっていくうちに、“初恋のお相手は?”そんな色めき立った特集が目に留まる。

初恋かあ。いつだったかな。
ふと背中に感じる体温を思い出す。



「ねえ善逸」

「んー」


背中はくっつけたまま少し首を捻って彼に呼びかけてみると、目を本から離さずくぐもった声だけ返ってきた。


「善逸ってさ、初恋いつ?」
「んー、」
「わたし思い出せないんだよねー」


まあ彼のことだからおそらく同じような感じだろう。今でも忘れられない、なんてこと言い始めたらそれはそれで新発見だ。



「覚えてるよ」
「へえ、」
「たぶん小学校のとき」


「ふーん、」

何でもない風を装って相槌を打つが、内心かなりびっくりしている。

善逸とは幼稚園の頃からの付き合いで、所謂幼なじみ。
付き合ったのは高校の時からだけど、そんな彼が経験した初恋を知りたいような、知りたくないような。



「結構まじで好きだった」
「なんか、珍しいね」
「出会った時、『あ、たぶん俺この子と結婚するわ』って思ったぐらい」
「…へー」


そんなこと言うかい普通、同棲中の彼女の前でさ。
まあそんな正直で素直なところがこの人のいいとこなんだけど。


「じゃあ初恋、叶わなかったんだね」


複雑な気分になりながらもそう返してみる。
善逸にも、誰かに夢中になってた時代があったってことか。彼と付き合うに至るまでの自分の青春時代に重ね合わせて、少しだけ胸がちくりと痛んだ。



「いや、」

ぱたん、と本を閉じる音と、否定を意味する言葉。
思わず背中を離して身体ごと振り返る。


「叶ったよ」
「え、」


彼の言葉の意味が理解できずにいると、くるりと彼がこちらを向いた。



「…覚えてて、って言ったでしょ」



そんな事を言う彼の顔にデジャブのようなものを感じる。

『覚えててね』

少し照れたような、でも確信を持ったようなそんな顔で。

そう確かに言った、いつかの、彼は。









「あ」


「ちょっと酷すぎない?」



苦笑いで悪態をついたかと思うと、そのままふわりと唇を攫われた。
触れるだけの優しいキスに閉じる暇もなかったわたしの瞳は、善逸のそれをぼんやり見つめる。
昔からずっと変わらない、優しさを携えた琥珀色。



「忘れるとかさ」
「ふふ、ごめん」


なに笑ってんの、と眉間に皺を寄せる善逸。
やっと思い出せた懐かしい記憶に嬉しくなって、頬が緩む。




「なまえ、」
「ん?」


わたしの名前を呼ぶ彼の瞳は、さっきよりもうんと優しく穏やかで、甘くて。


「結婚しよっか」

「…はい」

15年越しのプロポーズを断れるほど意地っ張りじゃないわたしは、心も身体も未来も彼に預けることにした。

(ねえ、けっこんしようよー!)
(そーゆーのはおとなになってからだもん)
(…じゃあおとなになるまで、おぼえててね)