狼は手をこまねく


わたしには、大好きな彼がいる。

かっこよくて、優しくて、落ち着きがあって、声も素敵で、品もあって、まさに理想の彼氏像だ。
もうそこらじゅうに連れて回って、このひとわたしの彼氏なんですよー!と叫びたいぐらい自慢の彼氏。

そんな完璧すぎる彼だけど、一つだけ、不満がある。


「炭治郎ー!」
「んー?」
「すき、だいすき!」

「ありがとう、なまえ」



そう、それは愛情表現だ。

彼と付き合いはじめて2ヶ月。
何度繰り返したであろう、このやりとり。
いくらわたしが彼に愛の言葉をぶつけても、返ってくるのは「ありがとう」もしくは「嬉しいよ」。はい、この2パターン。
いやまぁ、毎度毎度王子様のような完璧スマイルで返してくれるし、感謝してくれたり喜んでくれるのはこちらとしても嬉しい限りなんですけどね?

思えば、彼の口から「好きだ」という言葉を聞いたことがない。
告白をしたのもわたしから。その時の返事は「俺もだよ」だった。胸のドキドキと混ざり合って鼓膜の裏に響いたあの言葉、はっきり覚えてる。
炭治郎はちょっと、いやかなり、天然なところがある。
ハッキリ言わなきゃ伝わらない事なんて分かってるけど、お願いして言ってもらうのは何というか、ちょっと違う気がするし。
でもやっぱり「好き」とか「可愛い」とか、たまにはちゃんと言葉にしてほしい。
女子というのは不安になる生き物なのですよ。わかってますか、炭治郎さん!


「たーんじろー」
「んー?」

もう一度呼びかけてみるけれど、彼はこちらに耳だけ傾け新作パンのレシピ作りに没頭している様子。

ただ、今日という今日は絶対に好きと言わせてみせる!
色々と作戦も考えてあるのだ。覚悟したまえ。

早速、実行に移す。


「今日ね、プリン作ってみたんだ!食べるー?」

その名も、プリンフィッシング大作戦!
彼に手作りスイーツをご馳走してお褒めの言葉をいただこうという寸法だ。

「へぇ、なまえは何でも作れてすごいな!俺がいただいていいのか?」
「もちろんっ」

ずっと睨めっこしていたレシピ帳からやっと目を離した彼。
よっし、食いついた!
心の中でガッツポーズを決めつつ、冷蔵庫からプリンを取り出してテーブルに置いた。

「いただきます」
「はい、どーぞ!」

スプーンを手に取る前に、きちんとお行儀良く手を合わせる。こういう律儀なところも好きなんだなこれが。

彼の向かいに腰かけて様子を観察する。
これを、これを食べ終わったらきっと、彼の口からそのプリンのように甘い言葉が、

「そうだ!プリンパンっていうのはどうだろう!」
「…え?」
「クリームパンの要領で中にプリン味のクリームを入れれば…いけるかもしれないぞ!」

きっと一筋縄ではいかないと思っていたけど、これほどとは。
まさか私の渾身の作戦が新作パンのネタと化してしまうなんて、少なくともカラメルを焦がしてる時には考えてもなかったですよ。


「すごく美味しかった、ありがとうなまえ」
「ど、どういたしまして…」
「よし!早速レシピを練るぞ!」

お役に立てたようで何よりです。
お褒めの言葉はいただいたけども、肝心の甘い言葉はどこへ?
くぅう、負けるなわたし!!
気を取り直して次の作戦だ。


「なんか暑くなってきちゃったなー、」

そう一言大きめに呟いておもむろにTシャツを脱ぐ。

名付けて、お色気どっきゅん大作戦!!
紳士と名高い彼だって、男である。
露出を高くしてわたしの存在をアピール、甘い空気に持って行ってしまおうという作戦だ。
ついでにその、付き合ってからまだ、そういうことを致していない…ので、そういった意味でもこの作戦は大きな進歩になり得ることも期待して。

上はキャミソール、下はハーフパンツという格好でひとまず彼の視界に入るソファまで移動する。

キャミソールの裾を掴んで少し浮かせ、パタパタと動かして風を送り込んだ後、右手首に嵌めたシュシュで髪を耳より高い位置に束ねる。
髪を結うのに上がった両腕に吊られて少し短めのキャミソールが持ち上がり、おへそがちらりと隙間から覗く。
極め付けに足を組んでハーフパンツから伸びる白い太ももをアピール。

このチラ見せラッシュを受けてみよ!
さあ彼はどう出る、と横目でこっそり確認すると、なんとこちらを見ているじゃありませんか。
椅子を引いて立ち上がり、彼がそのままこちらへ歩み寄る。
つ、遂に、この時が…!


「確かに少し暑いかもしれないな、」

そう言って私を抱きしめ…る事はなく、華麗にスルーした彼はそのまま窓ガラスを開けた。

「クーラーはやめておこう、なまえも冷え性が酷くなるといけないから」
「あ、うん…ありがと」

うん優しい。すごく優しくてそういうとこもほんと好きなんだけど、そうじゃないのよ。
またもや定位置に着いた彼の姿を見て、心の中でため息を吐く。
結いかけた髪を再びばさ、とおろし、最後の手段に出る決意をした。

もうこうなったら、



「ん?どうしたんだ?」
「………」
「なまえ?」
「………」

何も言葉を発さず、ただひたすら彼を凝視する。

そう、これが最終手段!名付けて、もうあなたしか見えないの大作戦!

下手に言葉を発したり行動でアピールするよりも、目で訴えかける方が効果がある…かも、しれない。
この作戦は根気の良さが大事だ。彼の興味が完全にこちらに向くまで、がんばれ、わたし!


彼は困ったような顔で首を傾げるけれど、やっぱりその目が見つめるのは大半が机の上。
そのあたたかい手に握られているのは鉛筆で、私の手ではない。

生真面目な性格の炭治郎が一生懸命に考えている姿も大好きだし、そんな彼の作ったパンもまた大好きだ。
だけど、私の言動がことごとく彼に響かないことを思い知らされて、もういい加減心が折れそう。

どれだけ魅力ないのよ、わたし。
というか、なんでこんな空回ってるのわたし。
よくまあこんなやつと付き合う気になれたもんだ、この人は。

彼をじっと見つめ続けているうちに、だんだん良くない思考が頭の中をぐるぐると巡り始める。
彼はわたしのどこが好きで付き合っているのだろうか。
もしかして優しい性格の彼は断るに断れずOKしてしまったとか?
いや有り得る、大いに有り得るぞ。
え、じゃあ結局未だにわたしの片思いってことか?
なんだ、ひとりで勘違いしちゃってバカみたいじゃんわたし。


ふいに彼がこちらを向いたと思ったら、その瞳が一瞬大きく見開かれる。
そんな彼の表情に何事かと視線を追って後ろを振り向いてみるが、別段変わった様子もない。
あんなに熱心に向き合っていたレシピ帳が勢いよく閉じられ、鉛筆は机を転がり床へと落ちていく。


「ごめん、泣かせるつもりじゃなかった」

焦った様子でこちらへ歩み寄ったと思うと、すぐさま彼の腕に包まれる。

「へ?」

思わず気の抜けたような声を上げてしまった。
彼の言葉とシャツについた染みを見て、ようやく自分が涙を流していることに気が付いた。


「た、んじろ、」
「何だか、気を引こうとしてるなまえが可愛くて」
「…っ!」

「つい意地悪してしまった」

炭治郎は眉を下げて、少し茶目っ気が滲んだような声でそう言った。
確かにいま、彼の口から可愛いと発された。ずっとずっと待ち望んでいた言葉。
もう一度聞きたい、何度だって聞きたいの。

いつものように、彼の目を見ていつもの言葉を口にしてみる。

「炭治郎、すき」
「…俺、なまえが思ってるのよりもっと良い言葉を知ってるんだ」
「え?」

彼の腕によって再び距離がゼロになる。


「あいしてる」


わたしの作ったプリンの比じゃないほど甘い言葉を耳元に落としていった。
その低くて熱を含んだ艶っぽい声色に、身も心もとろけそうになる。
これが、ほしかったのです。

耳の奥で何度もリフレインする彼の言葉と体温に微睡んでいると、急に身体が宙に浮いて思わず声が出る。

「っひゃ、」
「もっと良いことも、知りたくないか?」

ぎし、とベッドに横たえられて、視界には天井と彼の顔。
突然の事に騒がしくなる胸を押さえると、その手に一回り大きな彼の手が重ねられる。
私を捉える彼の赫灼とした瞳は、ギラギラと欲を孕んだ雄のそれになっていた。

「…俺だって、ずっと我慢してたんだ」
「え、ちょ、待って心の準備が、」
「誘ったのはなまえの方だろう」

あ、とさっきの作戦2つ目を思い出す。
全く相手にされてないと思ってたのに、実は効いてたなんて。

「正直、あの時はもうやばかったぞ」
「そんな素振り少しもなかった癖に!」
「窓を開けたのも、なまえの匂いに欲情しそうだったから」
「っやだ、窓…!閉めてっ、」
「暑いんじゃなかったのか?」
「…っばか、」
「もう我慢しない」

熱い熱い唇が降ってきて、さらに身体が熱を帯びる。
作戦は失敗に終わったけれど、結果オーライってことかな。
そんなことを考えながら、彼の体温に溺れていった。

(炭治郎ってほんと色々ずるい)
(知らないのか?男は狼なんだぞ)