心に綻ぶ花


炭治郎が刀鍛冶の里から帰還したと聞いたのは、任務終わりに寝泊まりしていた藤の家紋の家を発つという時だった。
遊郭の時の事があるから、また目も当てられないような重症を負っているんじゃないかと心配になる。帰還したのはもう数日前の事だろうし、アオイさん達もいるから大丈夫だとは思うけれど。
蝶屋敷へ急ぎ戻ると、ちょうど次の任務先へ向かうであろう隊士達とすれ違う。

『それにしても竈門の妹、ありゃ一体どうなっちまったんだ?』
『わからん…でももし鬼化が進んでるんだとしたら、さすがにおっかねえよ』

声を潜めてなされた会話に、少し嫌な感じがして足を止めた。禰豆子ちゃんに何かあったのだろうか。
今まで決して人を喰らう事なく、炭治郎と戦いを共にする事で築き上げてきた信頼が、彼女が鬼だというだけで崩れてしまうのならこれほど虚しい事はない。
隊士達の妙な話し振りに加え、いつもの淡く揺れる鬼の気配を裏手の庭から感じて思わず眉を寄せた。
大抵日中は自室に置かれた箱の中で休んでいるのに、やっぱり何かがおかしい。
冷や汗が流れるのを感じながら急ぎ足で裏手へと回る。

屋敷の角からそっと庭の様子を伺うと、そこにいたのは縁側に腰掛ける少女。
麻の葉模様の裾から覗く足を退屈そうにぷらぷらと揺らすその姿は、間違いなく禰豆子ちゃんだった。

「ね、禰豆子ちゃん…?」

戸惑いながら呼び掛けると、禰豆子ちゃんがはたとこちらに気付く。
その瞬間、ぱぁあっと音が聞こえてきそうな程の笑顔に変わり、ぱたぱたと駆け寄って来た。

「駄目、日光が…!!」
「お、おかえり!」
「え…!禰豆子ちゃん、喋れるの?」
「お、おはなし、」

情報が多すぎて色々と頭が追いつかない。
目の前の禰豆子ちゃんは降り注ぐ日光の下を平気で歩いていて、言葉を覚えたての幼子のように拙いものの会話もできている。
けれど口枷の取れた口元からは変わらず牙が覗いているし、その瞳も爪も、もちろん気配も鬼のままで、さっき隠の人達が怪訝そうに話していたのはこの事だったのだと合点がいった。

「あ、あそぼ」
「え?私と…?」

一瞬躊躇してしまう。私となんかより、それこそ善逸やなほちゃん達と遊んだ方が楽しいだろうに。けれど辺りを見回しても、なほちゃん達はおろか他の隊士も見当たらない。
空模様を見ると雨も落ちてきそうで、どうしたものかと思案してふと思い立つ。

「じゃあ中で遊ぼっか、ついておいで」


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禰豆子ちゃんを連れてやって来た、私の部屋。
届いた手紙や便箋の仕舞われた箱を開けて、その中を探る。確かまだいくつかあったはず。

「あったあった…!はい、どうぞ」
「うん…?」
「千代紙っていうんだよ、これで一緒に遊ぼう」

研究に使っていた大量の書物の分だけ栞が必要で、わざわざ買うよりも安くつくと自作していたその名残り。
綺麗だしなんとなく勿体なくて取っておいたけれど、まさかこんなところで使い所があるとは思わなかった。

「ちよ、がみ、」
「それで色んな形を作るの、折り紙っていう遊びだよ」

例えば…、と一枚手に取る。折り紙なんて久しぶり過ぎて上手くできないかもしれない、なんて思ったけれど、手が折り方を覚えてくれていたようだ。
私が一つ一つ折り目を付けていくのを、禰豆子ちゃんは興味津々で見つめていた。

「できた、鶴!可愛いでしょ」
「つ、つる…!」
「一緒に折ってみよっか、私教えるから」
「い、いいの?」
「もちろん!どの柄にする?禰豆子ちゃんの好きなの選んでいいよ」
「ねずこの、すきなの…これ!」

禰豆子ちゃんが迷わず手に取ったのは、翠と黒の市松模様。
それを見て私も、と麻の葉模様の千代紙に手を伸ばした。

「じゃあ私はこれにしようかな…見て、禰豆子ちゃんの着物とお揃い」
「お、おそろい、ねぇ」

そう言って禰豆子ちゃんは嬉しそうな顔で自分の着物と見比べていた。
じゃあまずは、と対角線に折るところから、まさに手取り足取り教えながら折り進める。

「折り鶴ってね、とっても縁起のいいものなんだよ」
「えんぎ?」
「うん、何かいい事が起こるかもしれないって事」
「いいこと、うれしいねぇ」
「でしょ?だから病気や怪我で辛い思いをしてる人に贈って、早く元気になりますようにってお祈りするの」
「げんき、お、おいのり…」
「完成したら、一緒にお兄ちゃんのところにお見舞いに行こうね」

それを聞いて禰豆子ちゃんは一段と真剣な顔つきになった。
たとえどんなに小さな事でも相手の為に全力で取り組む、そんな姿勢が炭治郎とそっくりで、やっぱり兄妹だなぁとしみじみ思う。

「最後にゆっくり羽を開いて…できた!すごいね禰豆子ちゃん、とっても上手」
「で、できた、じょうず?」
「うん、お兄ちゃんもきっと喜んでくれるよ」

ところどころよれたりずれたりしているけれど、正真正銘、禰豆子ちゃん作の折り鶴だ。
炭治郎が回復したら、最後まで諦めずに一生懸命やり切った彼女の勇姿を伝えよう。

そして禰豆子ちゃんにもまた、きちんと伝えないと。
ようやく踏ん切りがついたんだ、自分の気持ちに素直にならなくちゃ。


「…私ね、禰豆子ちゃんに謝らなくちゃいけない事があって」
「あやまる、ごめん?」
「うん…ごめんなさい」

そう告げて深々と頭を下げる。
しばらくして顔を上げると、あたふたする禰豆子ちゃんと目が合った。

「ずっとやきもち焼いてたの、可愛くて優しくて女の子らしくて…そんな素敵な禰豆子ちゃんが、きっと羨ましかったんだと思う」

恥を忍んで正直に打ち明けた。
懺悔したところで、彼女がその思いを汲み取れる事はない。そう分かっていても、真っ直ぐに向けられた純朴な眼差しに良心が痛んで堪らなかった。
嫉妬だとかやきもちだとかいう子どもじみた感情を、自分よりも歳下の、ましてこんな理不尽な悲運を強いられている少女に抱いていたなんて。

「勝手に比べてイライラして落ち込んで、あの時の私すごく嫌な奴だった…本当にごめんね」
「だい…だいじょうぶ、」

自己嫌悪に項垂れながら謝り続ける私に、禰豆子ちゃんは眉を下げながら慰めるような言葉を掛ける。
するとおもむろに手を伸ばし、よしよし、とそのまま頭を撫でられた。人間だった頃はこんな風に下の弟妹を宥めていたりしたんだろうか、と思うと少し切なくなった。

「ありがとう…本当、こんなにいい子なのにね」
「ねずこ、いいこ?」
「ふふ、うん、とっても」

そう言って頭を撫で返すと、禰豆子ちゃんは嬉しそうに目を細めて擦り寄ってきた。
可愛いなぁ、とお世辞抜きにそう思った。何というか、女の子らしさと小動物のような愛らしさを兼ね備えている感じだ。
善逸に限らず、男女問わず惹きつけるような魅力があって、もっと早くお話ししておけばよかったなぁなんて現金な事を思った。

「それから…お願いがあるんだけど」
「お、おねがい?」
「そう、禰豆子ちゃんにしか頼めないの、聞いてくれる?」

そう伝えると、禰豆子ちゃんはぐっと眉を上げて力強く何度も頷く。
幼い子どもが頼られて張り切っているような可愛らしさに、思わず笑みが溢れた。

「私と、お友達になってほしいの」
「お、ともだち…なる、いいの?」
「うん、仲良しさんになってほしいな」
「なかよし…!なる!おともだち!」
「ほんと?よかった…嬉しい」

ほっとした瞬間、自然と思うままに気持ちが言葉になった。
そんな私の様子を見ていた禰豆子ちゃんが、屈託のない笑顔で口を開く。

「うれしいねぇ、なまえ」
「え、」

名前、覚えててくれたんだ。
私が抱えていた後ろめたい気持ちも罪悪感も自己嫌悪も、当然禰豆子ちゃんの知るところではない。
それでも、大丈夫だよと包み込んでくれているような、励まされているような、そんな気がしてならなくて。
言葉ではどうにも伝えられず、堪らずぎゅっと抱きしめた。

「うふふ、ぎゅー、あったかいねぇ」
「そうだね…あったかい」

ぽかぽかと、心が温まっていくのが分かる。
善逸に対するそれとはまた違う、ふわふわと穏やかにたゆたうような温もり。一人っ子だった上に友達もいなかった私には、初めての感覚だった。

「でもどうして覚えててくれたの?一緒に遊んだ事もなかったのに」
「いのす…ぜ、ぜん…?ぜんいつ、おはなし!」
「あはは、そっか善逸から聞いてたんだね」

一瞬伊之助と言い間違えそうになりながら、何とか正しく言い直した禰豆子ちゃん。大方善逸が血眼になって自分の名前を刷り込んだのだろう。
度々禰豆子ちゃんの遊び相手を買って出ていた善逸が、私の事も話してくれていたのは嬉しくも照れ臭くもあった。
私の事、どんな風に伝えたんだろう。同門の相弟子?鬼殺隊同期の仲間?それとも…

「なまえ、ぜんいつ、すき?」
「はぇ!?」

唐突に繰り出された質問に、思わず変な声が出てしまった。なんだか心の内を見透かされたような気がしてならない。
禰豆子ちゃんの言う好き、というのはきっと友達として仲間として…という事だと思うけれど。

「うーん…じゃあ、こっそり教えてあげる」

そんな私の言葉を聞いた途端、禰豆子ちゃんはきらきらと目を輝かせる。
そんな彼女が面白くて、わざと深刻そうな口調で大袈裟に釘を刺す。

「いい?禰豆子ちゃん、こういう女の子同士のお話は誰にも喋っちゃ駄目だよ」
「な、ないしょ…!しーっ、だねぇ」
「そう、しーっ、だよ…よく知ってるね」

きっちり説明する間もなく、禰豆子ちゃんが意外にも内緒話の概念を持っていて驚いた。
炭治郎は隠し事ができない性格だし、妹さんか弟さんの誰かにこそこそ話が好きな子がいたのかもしれないな。

ちょいちょい、と手招きをすれば、禰豆子ちゃんはワクワクした様子で顔を寄せた。
耳元に手を添えて、ひそひそと話し出す。

「私ね、実は善逸の事…、す」
「うわぁあああ!!!待って待ってなまえちゃん言っちゃうのぉおおお!?」
「…っごく信頼してるの、って言おうとしたんですけど」
「へぇ…?」

私が気配に敏感なのを忘れたのかこの男は。
禰豆子ちゃんと晴れてお友達になった辺りから、ずっと襖の裏で息を潜めていた事くらいお見通しだ。

「盗み聞きとは大層なご趣味ですね」
「や、ちが、これは、その…!」
「また大声で叫んでほしいの?助平、って」
「ごごごごめんなさいそれだけは勘弁してぇえ!たっ、助けて禰豆子ちゃん!!」

追いつめられた善逸が泣きつくも、禰豆子ちゃんは私の傍から離れようとしない。
ぐぐ、と眉間に力を込めて頬を膨らませ、ぷりぷりと怒った様子で言い放つ。

「ないしょ、なのに…!めっ!!」
「えぇええ!?禰豆子ちゃんまで!?…でも案外悪くないかも、」
「なにちょっと喜んでるの、変態!」
「へんたい…?」
「そうだよ、善逸は変態、女の敵」
「ヤダ禰豆子ちゃんに変な事吹き込むのやめて!?」
「ぜんいつ、へんたい、おんなのてき」
「嘘でしょこんなことある!?イヤァアアアアーーーーッ!!!」

絶望した善逸がそう叫んだ直後、スパーンッ!と音を立てて勢いよく襖が開いた。
そこにいた全員がビクッと肩を震わせ顔を向けると、まさに鬼の形相で仁王立ちするアオイさんの姿があった。

「お静かになさってください!!今日という今日はお尻を叩きますからね!!」

その言葉を聞いて脱兎の如く逃げ出した善逸に、ちょっと可哀想な事をしたかなとも思った。
けれど、楽しそうな禰豆子ちゃんの様子にまぁいっかと思い直し、アオイさんの背中を苦笑いで見送った。


後日。
「いもすけ、てんさい、おれはむてき」
と自信満々で口にする禰豆子ちゃんと、そんな彼女を従えてすこぶる上機嫌な伊之助を見てしまい、ようやく私は自分の軽率な発言を反省したのだった。

(なまえちゃんはね、とっても素敵な女の子で…俺の大事な人なんだ)
(だいじ…ぜんいつ、なまえ、すき?)
(…うん、好きだよ)
(じゃあ、なまえ、うれしいねぇ)
(内緒だよ禰豆子ちゃん、しーっ、だからね)