裏腹サファイア

「…善逸、」


席に着いたはいいものの目の前のテーブルに広がるお皿…正確には、お皿の上の料理を見て眉間に皺が寄る。
一度手にした箸を箸置きに戻して執事の名を呼ぶと思いのほか低い声が出て、彼は一瞬びくりと肩を震わせた。

「っはい、何でございましょう」
「何でございましょう、じゃないわよ、なによこれ」
「は、本日のご夕食でございます」
「…あなた何年あたしの執事やってるのよ」
「この春でちょうど5年になりますね」

悪びれもせずそう答える彼には本当に悪気がない事くらいあたしだって分かっている。
むしろあたしのことを考えての事だと思える程には彼を信頼している、けれど。


「納豆、干物、豆腐、にんじん、酢の物…!あたしの嫌いなものばっかりじゃない!」
「そうでございますねえ」


はい前言撤回。
ひょい、とわざとらしく眉を上げてあくまでしらばっくれる様子の彼を睨みつける。
特に和食は大の苦手。嫌いな食べ物が多すぎるって自覚はあるけど、3日前から朝・昼・夕とずっとこんな献立でさすがにもう限界。
口がコンソメやデミグラスソースを欲してる。猛烈にハンバーグが食べたい。


「善逸、あいつを呼びなさい」
「あ、あいつとは、」
「この料理を作った人間よ、どうせあいつでしょ」
「うっ…で、ですが、」

皆まで言わずにはいるものの、勘弁してくれとでかでかと顔に書かれている。
善逸が面倒事を避けたい性格なのは重々承知しているけど、あたしにとってそんな事はいま重要ではない。あいつに一言文句でも言ってやらないと腹の虫が収まらないのよ。
腕組みをしてつん、と前を見据えていると善逸が動いた。

「はぁ…かしこまりました…」

彼はあたしがこうなると、てこでも動かなくなる事を知っているのだ。
扉の方へつかつかと歩む背中を見送っていると、その扉から突如ノックの音。

どうやらわざわざ出向く手間が省けたようね。
驚いた顔でこちらを振り向く善逸に、開けて差し上げなさい、と告げる。

かちゃ、と音を立てて開いた扉の向こうには白い調理服に淡いブルーのスカーフを纏った小柄な男。
お父様が街で一番格式の高いレストランから引き抜いてきた一流のコック。
その女性かと見紛うほど美しい顔立ちで大きなフライパンを大胆に振るうギャップに、最初はかなり衝撃を受けた。確かに腕もなかなかのもの。

だけど、少々、いやかなり生意気なのが癪にさわる。


「何か御用かしら?嘴平料理長」
「そろそろお呼びになる頃かと」
「あら、よくわかったわねえ」

貼り付けたような笑みでそう返すと、向こうもわざとらしく口角を上げて微笑み返してきた。
そんな様子を見てひどくばつの悪そうな善逸に気づき、せめてもの慈悲で退室を促す。

「善逸、少し席を外してもらえる?」
「は、では、失礼いたします」

ぱたん、と閉まったドアの音を合図に闘いのゴングが鳴った。


「なんっなのよこれ!嫌がらせのつもり!?」
「別に?栄養のバランス考えて作ってるだけだ」
「にしても酷すぎでしょ!食事の度に憂鬱になるんだけど!」
「うるせぇ、大体お前好き嫌い多すぎんだよ」
「それを考慮して主人を喜ばせるのがコックの仕事じゃないの!?」
「好きなもんばっか作ったらお前体型が保てねぇだろ」
「な、なによ、今は別に太ってないからいいでしょ!」
「ゆくゆくは、って言ってんだ、腰元の派手野郎が厨房まで乗り込んできて面倒くせぇんだよ」
「逆にストレス太りしたらどうしてくれるの!せめておやつにケーキの一つでも出しなさいよ!」
「それじゃ食事制限してる意味がねぇだろうが」
「第一、そんな格好しといてなに干物とか酢の物とか作ってんのよ!」
「あ?格好は関係ねぇだろお前馬鹿か」
「ばっ…!?あんた誰に向かって口きいてんの!」
「はいはい、大変失礼いたしました名前お嬢様なんとお詫び申し上げて良いやら〜」


いつの間にかテーブルに両手を付いていて、一気に捲し立てたせいで息切れする。
悔しいことに、どれだけ噛み付いてもいつもこうなってしまうのだ。

「ま、ゆっくり味わって食えよ」
「…食べるわよ、食べればいいんでしょ」

結局なにも解決できなかったけど、ぶつけたことで多少すっきりした。これもいつものこと。
あたしだって、もう小さい子どもじゃないんだし、食事くらいきちんときれいに済ませてやるわよ。
椅子に座り直して、箸を手に取る。

「また何かございましたらなんなりと」
「じゃあハンバーグ作って」
「断る」
「…下がりなさい」
「はい失礼いたしました、良いご夕食を」

そう言って深々とお辞儀をして部屋を出て行く伊之助。
どこまでも憎たらしいやつ!

箸を握り締めそうになるのをぐっとこらえて、いただきます、と手を合わせた。


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「あっ」
「おや、どうなさいました名前様」
「…いえ、何でもございませんわ」


翌日の会食でようやくこの3日間の意味がわかり、店先に着くなり思わず声が出た。
立派な門構えや、奥まった中庭に見える枯山水。
それらはここでいただく食事がイタリアンやフレンチでないという事をはっきりと示していた。まあ、朝着物を着せられた時点で気づくべきだったけど。

案の定次々と運ばれてくるのは、だしの香りの漂う紛れもない和食。
一口運んでみると、確かに美味しい…けれど、なんていうか。
正直、うちで食べていたものの方が美味しい。

おそらく、あたしの口に合う味付けを熟知している伊之助の匙加減によるものだろう。
そう考えると、彼は本当に腕の立つ料理人なのだと改めて実感する。
ただ、ここ最近の食事のおかげで抵抗なく食べられる。自分でも驚く程自然に箸がすすんだ。


「名前様、いかがですかな?」

ここの料理はどれも絶品でして、と誇らしげにのたまうおじさま。

せいぜい60点ってとこかしら、これが絶品ならうちの料理長の料理は超絶品よ、なんて言えるはずもなく。

「大変、美味しゅうございますわ」

と、ここはお淑やかに微笑んでおいた。


お昼の会食後はおじさまのつまらない…もとい、非常にためになるありがたいお話をだらだらと聞かされ、空が暗くなり始めてようやく解放された。
着物の帯はきついわ肩は凝るわでへとへとになりながら帰宅し、さっさと着替えを済ませる。

「お帰りなさいませ、お嬢様」
「もー無理、つかれた」
「本当にお疲れ様でございました」

相変わらず着替え中のあたしに背を向ける善逸は、衣擦れの音だけで着替えが終わるタイミングを習得していて若干引く。

「もうご夕飯のご用意ができておりますよ」
「はあい」

善逸に言われるがままふらふらと食卓テーブルへと向かう。
と、目に飛び込んできた料理に、しばし立ち尽くす。


「ぜ、善逸っすぐ戻る!」
「行ってらっしゃいませ」

目を細める善逸を横目に、お行儀が悪いのを承知で厨房まで走る。
扉の丸窓の向こうに彼の姿を確認して、ばんっと勢いよく開いた。


「いのすけっ!」
「っなんだよ、びっくりさせんな」

洗い物をしていた彼が目を丸くしてこちらを見る。

「あの、会食、和食、食べれて、あと、ハンバーグっ」
「っはは、何言ってんのか分かんねぇよ」

伝えたいことが多すぎてしどろもどろになってしまった。
タオルで手を拭きながら笑う伊之助に、恥ずかしさと焦りで顔が熱くなる。


「ほら、早く食わねぇと冷めるぞ」
「…ありがとう、伊之助」

にっこりと笑ってお礼を言うと、彼は数回瞬きをしてすぐに微笑んだ。

「お安い御用です、お嬢様」
「ふふ、いただきます!」
「はい召し上がれ」


お父様が彼を街から連れてきた理由がなんとなくわかった気がする。
いつもとは違う優しくてあったかい笑みに、そんなことを思ったのだった。

(今日の会食、ぶっちゃけ微妙だった)
(あ?でもあそこ相当有名な料亭だぞ)
(いや、伊之助の料理の方が美味しいもん)
(…お前頭でも打ったんじゃねぇの、)
(あれ、もしかして照れてる?)
(うるせえさっさと食え!)