クリスタルの魔法

ここ数日、屋敷内はどこか忙しない。
メイドたちはいつも以上に掃除や洗濯に走り回っているし、宅配業者の出入りも激しい。
というのも、近々屋敷内で大きな立食パーティーがあるからで。
うちに戻ってきてやっと落ち着こうかという炭治郎が庭の手入れで一日中外に放り出されているのも、あのものぐさな伊之助が食器の下見で街へ出かけているのもそのためだ。

あたしはというと、当日に来訪した参加者の元へご挨拶に回るくらい。そういう場は慣れているし特に気を張るようなこともない。
お気に入りの音楽でも聞きながらベッドで微睡んでいたいけれど、今日はそういうわけにもいかないのだった。


とんとん、と軽やかに扉が鳴った。
一度ぐっと上に伸びをしてから息を吐いて、意味もなく身体をひねってほぐす。

「はい、どうぞ!」
「よう名前お嬢様、調子はどうだ?」
「元気元気、そちらも変わりなさそうね」
「俺はいつでも派手に元気だからな」

そう言ってビシッとポーズを決めるこの大柄な男性、宇髄さんは、使用人の中で唯一あたしの体重とスリーサイズを把握していたりする。
それはもちろん男女の関係だとかそういう事ではなくて、ただ単に彼の務めが衣装係、いわゆる腰元であるからだ。
こうして定期的に屋敷へ訪れてあたしの体の採寸をしたり、街で仕入れてきた新作やオーダーメイドのドレスを試着している。
そんなわけで、ちょっとでもたるんだ生活をしていると即バレてしまうのだ。

「今日はいつもより入念にチェックしろとのお達しだ」
「う、お手柔らかに…」
「それと着数もある、後続がじきに届くと思うんだが」
「え?どうしてそんなにたくさん」
「今度の食事会に合わせて新たに仕立て直したんだよ、なんでも著名人やら大手財閥の人間が参加するんだと」
「ふーん」

それでここまで用意周到なわけね。苗字家の顔として恥じない佇まいを、といつも口酸っぱく言うお父様の顔がよぎる。
思わずため息を漏らしていると、再び扉を叩く音が数回鳴った。

「お、来たか」
「どうぞー」
「失礼いたしますー!」

ぞろぞろと部屋へ入ってきたのは、以前も大規模な会食の時に一度顔を合わせた事のある女性陣だった。

「あ、ええと…須磨さんに、まきをさん、それと雛鶴さん」
「ええーっ!?お嬢様、わたしたちの名前覚えててくださったんですか!?」
「ちょっと須磨!あんた声がデカいんだよ無礼だろ!」
「あなたもでしょまきを…名前お嬢様、ご無沙汰しておりました」
「ふふ、皆さんお元気そうで何より」

相変わらずのやり取りについ笑みが溢れる。
元々記憶力は良い方だけど、これだけ三者三様の個性派揃いだと余計印象に残るものだ。
彼女たちは宇髄さんの補佐を務めるアシスタントで、実の奥様方でもある。
仕事でも私生活でもパートナーだなんて、互いの人生のすべてを支え合って生きているような、そんな関係性に何だか少し憧れてしまう。


「そんじゃ挨拶も済んだ事だし、早速始めるぞ」
「よ、よろしくお願いします」
「その間お前らはフィッティングの動線作っといてくれ」
「はぁい天元様」

失礼、と腰周りに彼の腕が回ってメジャーがきゅっと巻き付いた。最近はどんな大切な会食よりも、この瞬間が一番緊張する。
浅い呼吸を繰り返していると、んん、という訝しげな声が下から聞こえて冷や汗が出る。

「な、なに」
「お嬢様よお、最近ちゃんと食べてんのか?」
「へ?食べてるけど…あ、まさか、」
「派手にサイズ落ちてるぞ」
「え、ほんとに?」
「あぁ、運動でも始めたのか?」
「別に何も……あ、そういえば和食ばっかり食べてた時期あった」
「なるほどな、あの生意気コックも少しはやるじゃねぇか」

何度もメジャーを巻き直して目盛りを睨みつけていた宇髄さんは、どうやら納得した様子で顔を上げた。
瞬間、鋭く光るその目が少し面積を広げて、驚いたような表情に変わる。

「どうしたの、宇髄さん」
「…ちょっと待て、こりゃもしかすると、」
「な、なによ」

突然すっと立ち上がった彼の手から、くるりとバスト周りにメジャーが回される。
他の箇所以上に驚くほど手際よく無駄がない。配慮の見えるその手つきはやはりプロと言うべきか。


「やはりな、俺の目に狂いは無かった」
「どういうこと?」
「喜べ、前回より2センチアップだ」
「え、嘘!」

思わぬ朗報に心が弾んでしまう。別に誰に見せるという訳でもないのに、やっぱり女子としては嬉しく感じるものだ。

「きゃー!見せて見せて!」
「おいおい、見世物じゃねぇんだぞ」
「いいじゃないですか天元様!減るもんじゃないんだし!」
「お前らなぁ…」

自分の胸元を確かめていると、奥様方三人衆が嬉々として寄って来た。
いつもの事ながら、制してくれようとした宇髄さんは三人の圧に押されてあっさりと引いていて、あっという間に取り囲まれてしまう。

「いいなぁお嬢様、お肌もつるつるで〜」
「うんうん、益々女として磨きがかかってくる年頃よ!」
「それに、前回お会いした時よりもお綺麗になっていらっしゃるし」
「そ、そうかしら、」
「えぇそりゃあもう!こんな可憐な人、男が放っておかないです!」
「もう、お世辞が上手ね」
「ほんとですってばー!ね、天元様!」
「はいはい、お前らその辺にしとけ」
「はーい」
「あ!もう一つ衣装ケースあるの忘れてた!」
「やだ本当、しかも一番大きなやつ」
「はぁ!?もう何やってんのこのグズ!」
「三人で運んだ方がよさそうね、行きましょう」
「えーんすみませんお嬢様!一旦失礼いたしますー!」

三人がバタバタと慌ただしく部屋を出て行くと、さっきまでの賑やかさが嘘のように静かな空間となる。
騒々しくてすまねぇな、と苦笑いする宇髄さんに笑い返すと、数歩こちらへ歩み寄りまじまじとあたしの顔を見つめてきた。


「確かに、綺麗だな」
「もう宇髄さん、ま、で…」

ふいに掛けられた言葉に身体が固まった。
この端正な顔に至近距離で見つめられながら綺麗と言われてドキドキしない女性なんているのだろうか。
耳の端からおでこ、唇や顎の先まで、舐めるように隈なく浴びせられる視線。向けられた切れ長の目が色っぽくて少し顔が熱くなる。

ふむ、と何か考えるような素振りと共に、囚われていた視線からようやく解放された。
ほっと息を吐いてソファへ座り込むと、宇随さんは小道具箱から書き物を取り出していた。

「隣、座っても?」
「もちろんどうぞ」

彼はいつものようにカチカチッとペンを数回鳴らしてから、あたしの方へと向き直る。

「お嬢様、なんか最近変わった事あったか?」
「変わったこと、ねえ」
「例えばそうだな…生活のリズムとか、ストレスに感じた事とか」
「んー、まぁ和食続きだった時は気が狂いそうだったけど、結果オーライだったかな」

ハハ、と笑いながら相槌を打ちつつすらすらと流暢にペンを走らせ、管理表らしきメモに数値を書き込む。
ひと月に一度くらいのペースで訪れる宇髄さんは、この1ヶ月で何があったのか、どう変わったか、どんなことがあってどう思ったか、とそんなことをあたしに聞いては記録するのだけど、大体いつも大した変化はなくて結局ただのお喋りで終わってしまう。
でも、明け透けなく話す宇髄さんとのお喋りは、変に気を遣わなくてよくてむしろ楽しみにしているくらいだし、例の奥様方とのガールズトークも嫌いじゃない。


「時に、名前お嬢様よ、」
「はい何でしょう」
「好きな男でも出来たか?」


予想外の問いかけに勢いよく彼の方を向くと、まるで新しいおもちゃを見つけたとでもいうような、期待に満ちた眼差しがこちらに向けられていた。

好きな人なんて、白馬に乗った王子様が突然現れりゃそりゃ恋にも落ちるでしょうけど、生憎あたしは現実主義だ。
そもそも出会いもない上にこの屋敷にいる男性は使用人ばかり。
その人たちをひとりひとり顔と名前を一致させながら審査してみるけれど、当然ながら該当者はなし。残念だけど期待に応えられそうにないわね、と口を開こうとしたら、ある人物で少し引っかかった。そういえば。

「あった、変わったこと」
「お?なんだ」
「夜ね、一人で寝てないの」
「へえ、猫でも飼ったのか?」
「執事と一緒に寝てる」
「…は?」

鳩が豆鉄砲を食ったような、とはまさしくこんな顔の事を言うのだろう。
宇髄さんの見せる珍しい表情にしばらく観察でもしてやろうかと思っていると、じわじわと眉が寄せられて顔が引き攣っていく。

「俺の解釈が間違ってりゃいいんだが、まさか一緒にってのは朝まで添い寝って事じゃねぇよな?」
「それ以外に何があるの」
「…その辺に無頓着なんだとは思ってたが、ここまでとはな…」


そう言って隣で頭を抱える宇髄さんに、今度はあたしが眉を寄せて首を傾げる。
もしかして添い寝に何か問題があるのだろうか。やっぱり、未だにそんな事するなんて子どもっぽくて恥ずかしいって事かしら。


「…執事っつーのは、善逸の事だよな?」
「えぇ、そうよ」
「あー…こんな事俺が言っちまっていいのか分からんが…」

目を逸らして言いづらそうに一度間を置いたかと思うと、宇髄さんはやけに神妙な面持ちでこちらを向いた。


「あいつをあまり揺さぶってやるなよ、一杯一杯なんだから」
「え?」

ここまで話して何となく理解できたのは、宇髄さんはどうやら大きな勘違いをしているらしいという事。
まぁよく考えたらあたしも悪かった、あの話の流れで彼の名前を出すなんて、まるでただならぬ関係みたいじゃない。

「言っておくけど、善逸とはそういう関係じゃないわよ」
「いやまぁそうだろうけどよ…んじゃ何で添い寝なんかしてんだ」
「なんとなく、夜寂しいから」
「その理由だと相手は誰でもいいって事になるんだが?」
「…んー、誰でもよくは、ないわね」
「それが答えだな」

確かに誰でもいいというわけではないのだ。彼だから、安心して眠りに就ける。
でもそれは使用人として何年も一番近くにいるが故の、いわば家族のような安心感、だと思う。


「じゃあ、もしもだ」

頭の中で考えていることを見透かすように、宇髄さんは次の言葉を紡いだ。


「あいつが寝込みを襲ってきたらどうする」
「ええ?ないわよ、善逸に限ってそんなこと、」
「言い切れるのか?」

笑い飛ばそうとした矢先に真剣な眼差しでそう畳み掛けられ、思わず口ごもる。
馬鹿が付くほどお人好しで臆病で、着替えも直視できないほど初心な、あの善逸が?

「全然想像つかないけど」
「ま、あいつも男だっつー事だ」
「わかったわよ、ご忠告どうも」
「…そもそも、お嬢様はあいつのことどう思ってんだ」

核心に迫られて少したじろぐ。

正直全く意識しないと言うと嘘になる。ただ、未だに確信には変わらない。
どうなったら、好き、になるのか。心臓がありえないくらいどきどきしたら?会いたくて寂しくて胸が苦しくなったら?触れたい、と思うようになったら?
どこまでが家族で、どこからが恋なのか。
伊之助のことも好きだし、炭治郎も好き。もちろん宇髄さんだって好きだ。
それで言うと善逸のことも好き、だけれど。

あの夜、眠りの淵で耳元に微かに聞こえた言葉は、今も鮮明に蘇る。


「わかんない」

今の気持ちをそのまま言葉にすると、たった5文字に収まった。
俯き加減だった顔を上げて宇髄さんを見ると、彼はにっと口角を上げた。

「お嬢様、綺麗になったなって言っただろ」
「え、うん、」
「女性ってのはな、恋をすると綺麗になるんだとさ」
「そう、なの?」
「あぁ、いつか必ずわかる時が来る」
「…そっか」


宇髄さんの言葉は不思議といつも説得力があって、胸の中にすっと抵抗なく入り込んでくる。
怖いようで楽しみな、矛盾の巡るこの心が答えに辿り着くのはいつなんだろう。
今はわからない、けれどいつかきっと。


「その時は、自分の心に正直に生きろよ」
「え、」
「外側は俺がいくらでも綺麗にしてやるから」


そう言って微笑む彼こそ綺麗で、思わず見とれてしまったことなんて、この先絶対に誰にも言わない。

(まぁぶっちゃけあいつ次第なんだがな)
(どうしてもくっつけたいのね)
(下着新調するか?ド派手なやつに)
(既成事実作ろうとしてるでしょ!)