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思い返せば、虫時雨の止まぬ宵闇。
私はいつも通り、学校から塾への梯子、合計9時間にも渡る授業を終えて、ようやく帰路へつき、夜道を歩いていた時のことです。

その日は実力テストが近づいていたこともあって、帰宅途中も先程解けなかった問題を思案していました。頭のなかで数式がぐるぐると組み立てられては消えていきます。

「……んを、?!」

するとどうでしょう。

「………」

気付かぬ内に、人にぶつかってしまいました。謝ろうと思い、ぶつかった相手から急いで離れると、目の前に立ち塞がるは2メートルぐらいはありそうな、学生服を着崩した熊のような大男でした。

あのときばかりは私の人生詰んだな、と思いましたね。

「………、あの」
「………」
「すみ、ません…でした…」
「…気を付けろ」

熊男さんはぶっきらぼうにそう言うと、ぶつけた拍子に落ちてしまった私の眼鏡を探して手渡してくれました。案外優しい熊さんなんだなぁ、と思いました。
眼鏡をかけてみると、先程まで見えなかった顔がよく見えてきました。端的にいうと、ハンサムでした。おお、これが噂に聞く"住む世界が違う人間"というものか。と思い、会釈をして、ささっとその場から立ち去りました。




結論から言いますと、その次の日も、その次の日も、その熊男さんに会いました。いつも駅の近くまでくると、ばったり出会います。
律儀な私はというと、知った顔を無視することもできず、毎度挨拶をしてしまうのです。

「こ、こんばんは」
「……ああ」

それ以上の会話にはなりませんが、熊男さんも律儀なのか返事をしてくれます。





そんなこんなで熊男さんと出会ってから2週間程度立ちました。
ここ数日、涼しくなってきたからか分かりませんが、熊男さんとは会えていません。冬眠の準備かな、なんて思いながら、眠たい塾の授業をなんとか乗り越え、いつも通り帰路につく時間になりました。

今日は金曜日。駅前の繁華街はとっても賑わっていました。スーツを着たおじさんも、チャラチャラした学生達も楽しそうだなあ、となんだか羨ましく感じました。それでも私は、英単語帳を開いて勉強に向き合わなければなりません。数学も科学も特別問題はないけれど、語学だけは滅法苦手で、自己採点をした前回の模試も結果は散々。これは不味い、といつも以上に焦りを感じていました。


と、焦りのせいか周りが見えなくなっていた私は、突然降りかかった液体に、驚きの声をあげました。

「ひゃっ?!!」
「あっはっは!!!前見てあるけよ女子高生!!」
「ぎゃはは、避けらんねえでやんの!!」

大学生くらいでしょうか。どうやら私は飲み物をかけられてしまったようです。しかもお酒のようで、甘い匂いとアルコール臭が辺りに漂っています。
そんな中私は、英単語帳はもう使い物にならないかなあ、と濡れたページを捲りました。

そんな私の態度が気に入らなかったのか、大学生達は私に詰め寄ってきました。彼らの呼気は、私以上にアルコール臭がきつく、顔をしかめずにはいられませんでした。

「勉強しか頭にねえのかこのアマ」
「…なあ、おい」

男達は何故かヒソヒソと話し始めました。すると、その直後から、私を見る目付きが変わったような気がしたのです。
勉強しかしてこなかった私の脳味噌も、こればかりは警鐘を鳴らしていました。

ぐしゃ、とびしょ濡れになった英単語帳が地面について悲鳴をあげたと同時に、私の足は全力で動きました。
しかし、ここ1年程、運動らしい運動をしなかった筋肉は、すぐさま使い物にならなくなり、あっという間に距離を詰められてしまいました。

怖い、怖い怖い!!! 距離を詰められる度に恐怖心が沸き上がります。最後に私に出来るのは、せいぜい神頼みです。酸素の出し入れで忙しい口から、小さな声が溢れました。

「っ、…助けて……」
「……おう、」

夜空に消えていくであろう、小さな独り言に対し、まさか返事が返ってくるとは思ってもいませんでした。
振り返ると、ここ数日見かけなかった熊男さんが立っていました。

大学生達はというと、いきなり登場した大男に驚きながらも、彼に対し喧嘩を吹っ掛けました。

「その子、お前の知り合い? …残念だけど、俺達その子と今から遊ぶ約束しててさあ… へぶッ?!!!」

ヘラヘラと近付いてきた大学生Aは、喋っている途中で、瞬間移動しました。気付いたら、地面に横たわっていました。本当に一瞬のことで、私にはなにが起きたのかさっぱり分かりませんでした。それは他の大学生達も同じようで、その出来事で一気に酔いが醒めたのか、一目散に繁華街へと消えていきました。


私はというと、突然力が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまいました。

「おい…… 大丈夫か」
「あ…はい、危ないところを助けていただき、ありがとうございました…」

口と脳味噌だけはきちんと動いていて、何とかお礼を言うことは出来ました。しかし…

「立てるか」
「すっ、すみません、立てそうにないです…」

全然立ち上がる事が出来ず、どうしたものかと考えていると、ふいに熊男さんに抱き締められました。急な展開に付いていけず、あたふたしていると、私の視界が急に広く、高く。今まで見たことのないほど地面が遠くなりました。どうやら先程、抱き締められたというのは勘違いだったようで、現在私は、熊男さんにお姫様抱っこされているようです。

「おい。お前、家は近いのか」
「え?!え、えと…近くではないですね…」
「…チッ…」

熊男さんは舌打ちしたかと思ったら、何故か駅とは反対の方向に歩き出しました。
どこへ向かっているのかさっぱり分からなかったですが、歩けない以上、逆らうことは出来ませんでした。


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