9. 三十夜
原因不明の体調不良が続く中、なんとか仕事をこなしつつ疲弊しては帰路につく毎日を繰り返していた。
以前のようにバーに寄る元気もなく、家についた途端玄関にへたり込む。そんな日々だった。

それでもたまにアカギさんは私の家を訪ねてきた。
最初のうちは性的なことが目的なのかと思っていたがなにもされなかった。寧ろ私の体調が悪く、夕食すら作れない時には出前を頼んでくれたり、何かと甲斐甲斐しく世話をしてくれた。


「アカギさん……ごめんなさい」

お世話されている時に一度、ふと口から溢れた。身体だけの関係の女に何故こんなに優しくするのだろう、と申し訳なくなった結果溢れた言葉だった。

その言葉を聞いた彼は驚いたような顔をした後、大きな手で私の頭を撫でながら「……気にせず寝てな」と諭すような優しい声をかけてくれた。その手の温かさに投げかけた疑問も溶かされた私は、彼の温かい体温を感じながらそのまま寝に落ちた。







--------------------

「名字さん、最近体調がよくなさそうだね」

ある日、上司である佐藤さんにそう声をかけられた。
会社では割と普通に振る舞っていたつもりだったのだが、他の人から見ても体調の悪さが分かるなんて、と少し凹んだ。

「……すみません、自己管理がなってなくて……」
「いや、そういう意味で言ったんじゃないんだ」

焦ったように否定する上司、そして次の言葉に私は目を見張った。

「妹の妊娠が最近分かったんだけど……それまでの妹の体調となんだか似ている気がしてね」


「…………あ……ええと……おめでとうございます」


「ああ、ありがとう。と、私の話は置いておいて……そういうことだから、一度産婦人科にかかってみてはどうかな」
「……そうしてみます。気にかけていただいてありがとうございます」

上司との会話を切り上げ自分の席に戻る。
先程の上司の言葉が頭を駆け巡り、勿論仕事は手につくはずもなかった。






妊娠……私が?
確かに、今月は予定日はとっくに過ぎているのに生理が来ていなかった。でも、年に一度ぐらいはあることだし、と思っていた。
アカギさんとするときは普段避妊具を使ってもらっていたし、中出しを許可したあの晩は安全な日だったはず。


なのに、なんで……?






結局その日は体調不良も相まって仕事が進まないこともあり、上司から早退してはどうか、と提案され、ありがたく受け入れることにした。

……一応、帰りに産婦人科に寄ってみようかな。




自分の家の近くで何度か前を通ったことのある産婦人科の前まで来た。入るのに躊躇しつつも、ドアを開ける。中にはお腹が膨らんだ妙齢の女性が何人か座っていた。私は受付に保険証を出し空いている席に座った後、受け取った問診票に記入を始めた。

書き終えた問診票を受付に提出ししばらく待っていると、尿検査用の容器を渡された。その後、血液採取を行い、再度席に座って待つ。その待ち時間は三十分ほどにもかかわらず、ひどく長く感じた。



「名字さん、診察室にお入りください」

しばらくの後、看護婦さんに呼ばれ重い腰を上げて診察室に入ると、白衣を着て眼鏡をかけたお医者さんが挨拶をしてくれた。私が目の前の椅子に腰掛けたのを確認すると、彼はゆっくりと声を上げた。

「名字さんですね。検査の結果ですが、陽性でした。……ご懐妊おめでとうございます」

おめでとうございます、と周りの看護婦さんたちも祝福してくれた。が、私は耳が遠くなっていくような感覚に陥った。



私が、妊娠?



その後、お医者さんの説明の内容、どうやって支払いをしたのか、どうやって帰路についたかも、なにもかも覚えていなかった。気づけば、仕事着のまま自宅の玄関に身体を放り投げていた。






……どうしよう。
誰の子供か、なんて明白だ。

私はアカギさんの重荷にはなりたくないと思い、今の関係を続けてきた。


でも……それでも、彼の子供は産みたい。
一方的に慕っている彼の子供。嬉しくないわけがなかった。万が一にも堕胎する、なんて考えられなかった。




そのためには……
……アカギさんと、離れるしかない。



自分のお腹に手を当てて、優しく撫でる。
私はもう『お母さん』なんだ。


煙草の火は消さなくてはいけない。
それはきっと今なんだ。

と、私はなにもない玄関の床の上でぐっと拳を握り込んだ。




[*prev] [next#]

[ <<Akagi top



TOP