011019


悠仁が家に来たあの日以降も、私は相変わらずの生活を送っていた。いつもの生活と言えば、朝起きて音楽を流してから悟を起こし、ご飯を食べて悟を見送ればそこからは自由時間だ。外を眺めたり絵を描いたりお掃除ロボットの後をついていってみたり床以外の掃除をしたり。お腹が空いたら牛乳と、梅のおにぎりか果物かトマトを食べる。たまにお昼寝をして、音楽を聴いて、またぼうっと外を眺めている。そうすれば、悟が帰ってくる時間だ。彼が家を空ける時には、大抵夜蛾さんがついてくれる。時々は冥さんも来てくれる。一度家にパンダが来た時はすごく楽しかったけど、あれから一度も見ていない。悠仁にもあれから会っていなかった。

「ただいま」
「ん」

戻ってきた悟は、苛立った様子でそのまま風呂場へ向かっていった。今日は上の人に呼び出されていると言っていたような気がする。機嫌が悪いのはそのせいかと、再び流れる音楽に身を寄せる。この家で過ごすようになってから、ほんの少しだけ周りを気にするようになったと思う。以前なら悟が苛立っていても逆に嬉しそうであっても、私には出来ることもないしそういう日なのだろうと納得していた。ましてお風呂に入る時間などは人それぞれ、長い人もいるだろうと気にかけることすらなかっただろう。今では、いつもの倍以上の時間経っても出て来ないことが引っかかるようになった。十五曲目のイントロが始まったところで、流石に一度見に行こうと生存確認としてお風呂場へ向かう。シャワーの音がしているし悟の気配もあるけれど、それ以外の音がない。覗くわけにもいかなくて、扉を何度かノックする。

「悟、生きてる?」

数秒の間を空けた後、何その聞き方、と鼻で笑う声が返ってくる。生きているなら何でもいい。良かった。

「好きな曲、終わっちゃったよ」
「僕が好きな曲って、何?」

まだ少し苛立ちを含んでいるような声だ。曲名を伝えれば、扉の向こうから「歌って」と声が返ってきた。お風呂にもスピーカーは置いてある。選曲して再生ボタンを押せば、不快だというように私の名前を強く呼ぶエコー混じりの声が響いた。そして、シャワーの音も止まり、静寂が訪れる。

「なまえが歌ってよ」

優しいようにもとれる、壊れてしまいそうな弱った声だった。私はいつも通り短く一文字で言葉を返して、希望通りに歌のフレーズを追っていく。原曲よりもずっとゆっくりで、ずっと細い声を、扉一枚挟んだ向こうにいる悟はどんな風に聴いてくれただろうか。私には想像しきれないその感情を、上手く吐き出せているだろうか。
一番を歌い終わったところで、風邪をひかないようシャワーを浴びてねと声をかけて先にリビングに戻った。その後三曲目のサビを聞き終えたところで、悟もリビングに戻ってくる。お風呂上がりの彼は、いつもと変わらない様子に戻っていた。ホットミルクを作ろうと誘ってくれた彼の後についてキッチンへと向かう。冷蔵庫を開けた悟が、そこでピタリと動きを止めた。

「なまえが作ったの?」
「ん」

暫く冷蔵庫の中を見つめながら、彼は長くて深い息を吐いた。不格好なクッキーを見て呆れているんだろうか。お腹が空いていないんだろうか。それとも、勝手に材料を使ったのが気に入らなかったんだろうか。悟が取らない代わりに冷蔵庫から器と牛乳を取り出して、一枚手に取ったクッキーを彼の口元へ運んでみる。そんな私の手を掴んで、低すぎる私の肩に自分の額を当てるように頭を置いた悟が、小さな声で困るんだよなあと自嘲めいた声を漏らした。それから私の名前を呼ぶ。一回、二回と、何度も呼んだ。悟に呼ばれる度に心臓が跳ねて、クッキーが手元から滑り落ちそうになる。いつか慣れる時が来ると思っているけど、何年経てども落ち着く気配は微塵もない。

「なまえ、」

彼はきっと気付いていないだろう。私が短く言葉を返すのは、上下の唇をしっかり貼り合わせておかなければ跳ねた心臓が口から飛び出してしまうのではないかと不安だからだ。だけど、呼ばれるのは嫌いじゃない。寧ろ好きな方だ。

「ありがとう」

ん、と声を返すと、彼は肩からゆっくりと額を剥がして顔を上げた。

プライベート・セレナーデ


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