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翌朝、なまえは部屋から出て来なかった。各部屋に鍵は無く、報告の為一応部屋を覗けば、床で膝を丸めて眠る姿があった。そっとしておこうとそのまま家を出て、帰って来てもリビングに姿は無かった。

「なまえ、」

部屋をノックすると、ゆっくり扉を開いてなまえが中から顔を覗かせた。いつも通りの顔で、いつも通り真っ直ぐにこちらを見た彼女の頬には、寝ていたと分かる跡がついている。

「ただいま」
「ん、」
「夕飯は?」

要らないと言う様に僅かに首を振り、今日はもう風呂に入って寝ると静かに部屋を出てそのまま風呂へと向かっていった。具合が悪いのかと聞いてみたけど、それにも首を横に振る。風呂上り、音のないリビングを通り過ぎる途中に、僕におやすみと手を振ってそのまま部屋へと戻っていった。二日目、なまえは朝からリビングに出ていつものように空を眺めていた。音楽は一切流れていなかった。そして、今日から昼食は自分で作ると言った。帰ってくると悠仁に貰った傘を丁寧に拭いていて、夕飯はいらないと今日も首を横に振られた。拭き終わった傘を置きに玄関へ向かったついでに、今度はそこに腰を下ろして気付けば寝息を立てている。運ぼうと身体と床の間に腕を滑り込ませると、この程度じゃ起きもしなかったなまえは目を覚まして、ごめんねと一言だけ置いて自室へと入っていった。

「なまえ、何かあったらいつでも言えって言ったの覚えてる?」
「ん」
「じゃあ、今何考えてる?」
「食パン美味しいなあって」

三日目、相変わらずの様子を見せるなまえの言葉には嘘はないようだ。まるで、自分の様子がいつもと違うことに気付いていないようだった。この日も夕飯は食べないと言うし、そんな生活が続けば当然なまえの身体は小さくなっていく。

「‥っていう感じのなまえを置いて三日間も任務に行ってきたわけですけど」

任務で家を空ける僕の代わりに、学長が家に行くことになっていた。もし出来たらパンダを連れて行ってやってほしいと言う僕の頼みは通らなかったということを、帰ってきた今知った。

「どうでした?」
「報告書読め」
「読んだ上で聞いてんでしょ」

学長が家に行ったのは十五時頃だったそうで、なまえはいつも通り玄関で出迎えたらしい。音楽は相変わらずついてなかったみたいだけど、静かな方が良いんだと答えたそうだ。それから少し普段の話をして、一緒に鍋焼きうどんを作って食べた、とあった。なんなら一人分を完食して、今朝の朝食も食べたらしい。アイツ学長が行く日は大体鍋焼きうどん食ってんな。ここ数日のなまえの様子からは想像もつかないような報告書を見せられて、若干どころか大分納得がいっていない。僕と飯を食うのがそんなに嫌なのか。

「おかしくなった日もおかしくなったタイミングも分かってんのに‥今日からまた世話すんだから教えてくださいよ」

出先から戻ってきたなまえが音楽を流さないと言った時点で、その予兆はあった。あんなに嬉しそうだったのに風呂上がりの頬の紅潮は無く、風呂場には温度のない浴槽と冷水の残るシャワーホースが小細工なしに露呈されていた。一度部屋に行き静かに戻ってきた彼女は鋏を持っていて、一瞬頭に嫌なものが過った。明日にすれば、と言う言葉を受け入れたなまえだけど、その後いつもの場所で腰を下ろして、窓の外に手を伸ばす。諦めたようにはらりと脱力した細腕で、あの御守りを差し出した。

「学校の生徒が俺の家族だと」
「は?」
「家内安全の御守りを貰ってな。礼を言ったらそう言われた」
「その情報どうでもいいんですけど」

縁結びを選んだ理由を聞くと、配色が僕に似ているからだと言った。それだけかと聞いてみれば、それだけだとなまえは言った。彼女が嘘をついたのは明らかで、あれだけ言えばその後ろ側を見せてくれるという自信があった。その瞳の奥を透かして見せてくれると思っていた。虚しくも、彼女は何も言わなかったけれど。

「一つだけ教えてやろう」
「いや、そう言うの良いから早く」
「お前があの家に居なくても済むように、パンダのような呪骸が欲しいと頼まれた」

プツン、と何かが切れる音がした。丁度ギターの弦が弾けるような、あんな感じだ。痛いも何も感じなかったが、切れて良い線で無いことだけは痛いほど理解できる。

「考えなくても、俺のせいじゃん」

あの言葉のせいだと、考えなかったわけじゃない。だけど彼女はあの時、確かにあの言葉の本来の意味を受け止めていた。拒んだとは想像もしないほど優しく微笑っていた。その意味を勝手に履き違えた。あの日の彼女があまりにも嬉しそうで、無意識に幻覚に引きずられていたんだ。彼女が何を想っていたのか、何も分かっていなかった。見てすらいなかった。

「追加で三日間任務だ。頭冷やしてこい」

学長の言葉に、先ほどはじけた弦が下へと垂れ下がる。

「余計なお世話です」
「これも、教師の役目だ」

素直にありがとうの言葉が出て来ないひねくれ者を見放さない先生も、イカれてると思う。だけどそんな教師がいてくれる事に、多分僕は救われてる。ありがとうの代わりに、この言葉を受け取ってよ。

「人使い荒すぎ」

時計を何周巻き戻そう


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