172022


仕事だと分かっていても、悟が一緒にいてくれるのが嬉しかった。本当に此処が悟の家だったらいいのに、仕事だと思わないでいられる場所になってたらいいのにと思っていた。それと同じ分だけ、いつまで迷惑をかけ続けるんだろう、早く手を離さなくちゃと思った。悟は仕事だからと自分に言い聞かせるように線引きをしている癖に、手を離す勇気もなくて、寧ろ握る手は徐々に強くなっていて。そんな甘えている自分から、ずっと目を逸らしてきた。

「結局、自分の事しか考えてないの」

既に溶けた蜂蜜を混ぜるようにスプーンを回しながら、見つけた言葉を掬い上げるようにあの晩悩んでいた事やその答えが出た事、食事を作り始めた事と夕飯を食べなくなった理由、音楽を聴かなくなった理由を少しずつ話した。隠すほどの事でもない、相談してくれたらよかったのにと悟は言う。以前の私なら、きっとそうしただろう。料理くらい教えてと言えばすぐに教えてくれただろうに、それでもまだもう少し一緒に居られたらと未練がましく指の先に触れていたかったのだと、こうして話してみると決意前と何も変わっていない自分に気付かされる。
悟が心配してくれていることも夜蛾さんに聞いて初めて知ったことを言えば、そこは気付いてほしかったと力なく言葉を零して、はあ、と小さなため息を吐く。

「心配もしない奴に見えた?」

その言葉は、濡れたままの姿で録画番組鑑賞に充てた私にかけてくれたあの時の言葉に少し似ていた。だから私も、首を横に振る。そんな人に見えたわけじゃない。そこを確認しようと思わなかったわけでもない。そんな人じゃないと、もう知っているから。

「神社に行った時、寄り道が好きだって話してくれた悟の顔がずっと頭から離れなかった。どうしてかすごく嬉しくて、だけど、仕事だからって悟に言われることが寂しいと思った。」
「どういう意味か、自分で分かってる?」

そこまで疎くなれたらいいのだろうけど、残念ながらそんなに鈍感にはなりきれない。多分、会った時から好きだったんだろうと思う。最初は、優しくしてくれたから。一緒にご飯を食べてくれたから。入る人さえ少ないこの限られた世界に足を踏み込んで、大事に扱ってくれたから。そんな、雛鳥のような気持ちで懐いたんだと思う。それが夜蛾さんや冥さんや、悠仁に抱くものとは違う感情なのだと気付くのには随分と時間がかかったけれど、夜蛾さんは割と早い時点で気付いていたらしい。悟も、気付いていただろうか。だから、そんなに落ち着いているのだろうか。

「分かるよ」

自分の気持ちと違うことをするのはこんなにも苦しいことなのだと、生まれて初めて知った。そうして、いつも思うのだ。悟は友達とのことを抱えて、悠仁の最期を抱えて、どれだけの苦しさの中で生きているんだろうと。全部抱えているのに吐き出すこともなくて、分かっているのにその暗闇全てを消してあげることは出来なくて。多分、生まれて初めてそばにいて欲しいと心から願った人なのだと思う。生まれて初めて、幸せでいて欲しいと心から願った人なのだと思う。

「だから、夜蛾さんに呪骸を頼んだの。悟の負担になりたくないのは本当だよ。だけど、仕事だからが効かなくなる前に離れないと、最期の日までずっと手を離してあげられなくなる。」

こんな話をされて困るのは悟だと分かってるのに、口から飛び出る言葉が止まる事は無い。塞き止める意思もない。静かにその言葉を聞いていた悟が、ゆっくりと息を吐く。

「良いよ、離さなくて」

そうして真っ直ぐな視線を私の目にぶつけて、神社の時と同じ表情で言葉を紡ぐ。

「あの言葉は、なまえに言ったんだ。それを本気だと思ったなら、それが僕の答えだよ」

ぶつけられた視線も、それから跳ね上がった心臓も。あまりに痛くて、十数年ぶりに一粒の雫が頬を伝い、彼の長い指にそっと触れる。小鳥を指に乗せるように、雫が零れないように指の背に乗せて、月の光に当てるように優しく角度を変えながらその一粒を珍しそうに眺めると、その雫を舌先で舐め取った。ちゃんとしょっぱいんだなと適当な感想を零して、ゆっくりとこちらに視線を戻す。

「最期までちゃんと一緒にいるって、出会った時から決めてる」
「‥悟、」
「なまえの全部、僕にちょうだい」

声も出ず、ただ頷くしかできない私の無音の言葉を、優しく受け止めてくれる。身体を引き寄せて、私ごと受け止めてくれる。それから一粒、また一粒とゆっくり零れる大きな雫を見て、悟は綺麗だと言った。

それでもまた好きになる


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