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学長がくれた三日間、ただ頭を冷やす期間だと思っていたらちゃっかり任務が入っていて、マジで人使い荒いじゃん、と闇の深まる森の真ん中で溜め息を零したのは言うまでもない。それが呪霊を祓うだけの任務ならまだしも、山間に作られた集落の住民からの話を聞くのがまあ大変だった。長いしまとまってないし同じ話を何度もするし。結局三日間止まることなく話が続き、やっと解放されたと思えたのは、東京に戻ってきてからの事だった。学長の報告書に目を通し、彼女が以前のように戻ってきていることにも、相変わらず食事が鍋焼きうどん続きだったことにも若干の苛立ちを覚える。どんだけ食ってんだよ。こっちは一週間近く考え続けてたのに、何事もなかったみたいになってるけど?任務の件と併せて文句を言いに学長の元へ向かえば、開口一番頭を冷やしたかと聞かれて溜まっていた鬱憤がそこで全部吐き出た。スッキリしたなら早く帰ってやれと、三日感たっぷり任務に就かせた張本人の上がる口角に、またしてもしてやられたことを思い知る。
「ただいま」
そうして家に帰ると、久しぶりの空気に仕事のスイッチが切れたように疲労が襲ってきた。身体もここを家だと認識しているらしい。しかし、まだ音楽も流れていないのか。話さないといけないことも、聞かなきゃいけないこともあるのに、出迎えてくれたなまえは報告書通り元気な頃のなまえに戻っていて、それなら今日はもういいやとソファに身体を投げ出した。そんな僕を見たからなのか、彼女がご飯を作ると言い始めるからおちおち寝てもいられない。言葉に驚いたのは勿論だけど、一人でキッチンに立つ彼女の姿を初めて見た事にも、驚いた。ちゃんと彼女の分の食事も支度されていて、少し安心したのも束の間、洗い物をすると言った僕の手の甲を彼女の温かい掌が抑えつける。こちらから握ることは出来なくて、コンロの上の土鍋に夢中で離れそうになるその掌を逃がしたくなくて。要領が悪いんだとあっけらかんとして言葉にする所も、卵を落とすだけ、秒数を数えるだけのことにも真剣な所も、目が離せなかった。離したくなかった。
その視界に自分は映っていないのかと思ってみれば、どちらがいいかといつも通りの僕しか映らないほど真っ直ぐな視線をこちらに向けてくる。何日ぶりに一緒に夕食を食べるだろうか。なまえは、学長の鍋焼きが好きだと言った。だからいつも作ってもらうのだと。なまえがリクエストしていることなんて、あの人一回も教えてくれなかったけど。
悟が帰ってきたら一緒に食べてやれって、夜蛾さんが言ってくれたんだ
今回は一緒に練習したのだと、嬉しそうに話す姿には少し悔しくなる。なまえが学長を気に入っていることは知っている。父親に重ねている部分もあるのだろう。学長が悠仁を連れてきた日のなまえの嬉しそうな顔は、僕には絶対に向けられることのない表情だ。硝子や、‥、多分僕もあの人に似た表情を向けているんだと思う。
「あの日、スピーカーの値段にびっくりした」
「お金のことは気にするなって言ったろ?」
「悟の負担になるから。でも、それからの出来事が嬉しくて、その事から目を背けちゃってた。ごめんね」
そんな前置きを置いて、なまえはあの日からのことを少しずつ話し始めた。多分彼女の中では全部の言葉が繋がっているのだろうけど、言葉を探す間は当然説明が止まるし、言葉として出てくる文章も切れ切れで。明日を待ってもいいかなんて普通に過ごしていたら出て来ないような疑問を考えさせているのはこちらだと言うのに、自分の事しか考えていないと言う前置きが何の意味もなさないくらい、出てくるのは自分に関わる人々の事ばかりで。これまで僕らは互いに言葉を選び過ぎていたのかもしれない。心の内の一つだけを取り出して、残りは自分の中で温めて。それで良しと互いが言い聞かせていたのだと知った。もしかすると、その隣の言葉を伝えることに怯えていたのかもしれない。関係が崩れるのではないかと慎重になって、壊したくないと触れずにいて。それなのに、あの日唐突にその言葉を引き出した。勢いのまま吐き出した言葉を受け止める容量があるはずも無いのに。
表出していることは彼女が考えていることのほんの一部、表面的な部分だけなのだと言うことが今はよく分かる。そんな彼女が、自分の抱いている感情を好きの二文字に置き換えることなく気持ちのまま言葉にする姿を、ただ、愛おしいと思った。
「良いよ、離さなくて」
あの日と違い勢いのままではなく、彼女も受け入れてくれるだけの容量を確保していることを確認してから、自分の感情を曝け出したあの日と同じ覚悟を持って彼女に言葉を伝えた。その時、彼女の瞳に大きな雫が浮かんで咄嗟に頬に手が伸びた。滑り落ちる雫は想像以上に温度を持っていて、それが手に触れた時、なまえの全てが欲しいと思った。彼女の命を奪うことさえ他に譲りたくないと思ったあの日の時点で、僕の彼女に対する感情は既にイカレていた。何も知らないようでいて何でも見透かしているようなその瞳に、自分の姿を映していたいと思った。雨のない世界に虹は無い