「悟、風邪ひくよ」
「風邪ひくように見える?」
「ばかじゃないから、風邪ひくよ」
そんな風に諭されたのは初めてだと笑う悟は、もう少しだけ涼ませてとお風呂上がりに上着を肩にかけただけの状態で、アイスティーを注いだグラスを持って私の隣に腰を下ろした。エアコンをつける程ではないけれど、きっと夜は少し肌寒いと感じる季節になってきているだろう。
「今日、冥さんに会ったよ」
「そっか。」
「この間は野暮なこと聞いてごめん、ってさ」
野暮なこと、というのは悟と身体を重ねたかという話のことだろうか。そういうことに関して私が淡白なせいもあってか、悟もそう言う雰囲気にしないようにしてくれているのだと思う。口付けはすれど、その後はそんな雰囲気にすらなっていない。冥さんとの話がどんな内容だったのかは悟も知っている口ぶりで、話されて困ることでもないから良いけど、とグラスに残っていたアイスティーをぐい、と飲み干した。
こんな話をしているからか、上下に動いた悟の喉仏が彼も男の人だと主張しているように見えてくる。試しに然程凹凸のない自分の喉元を撫でてみると、それらしきものはある。‥思ったよりは、変わらないのかな。
「したいとか、あるの?」
話の流れ的に、そう言う話だと言うのは分かる。分かるけど、そんなことを考えたことすらない私は、素直に首を横に振るだけだ。だよねえと笑う悟自身はどうなのかと尋ねてみれば、想像以上に真っ直ぐな言葉が返ってくる。
そう言うものなのか。考えた事すらないなんて、失礼なのかな。よく分からない。けれど、いつも私のしたいようにして良いと受け入れてくれる悟に、私も何か返さなければと思う。彼に全部あげると言ったのは他でもない、自分なのだから。
「それなら、あげる」
「え‥今?」
一つ頷いて床に着く手に触れてみたものの、最初からこんな窓辺でするもんじゃあないと悟は呆れたように笑う。
「おいで」
本当に良いならちゃんとしようと寝室に手を引かれ、月明かりだけの薄暗い部屋のベッドに腰掛ける。目は慣れていなくても手を伸ばせば抱きつけるくらいの距離にいる悟の輪郭ははっきりしていて、そこにいると分かって安心した。この先はどうしていいか分からないから教えて欲しいと頼めば、悟は私の頭に手を置いた。
「フルーツティー、飲みたくない?」
「‥悟?」
「来て、なまえ」
まだ脱いですらいない服を直してくれ、そっと立ち上がる悟の背中を追いかける。悟はいつもと変わらない様子でキッチンに立って、手際よくお湯を沸かし始めた。つられるように私も隣に並んで、悟のグラスと自分のマグカップをいつものように二つ並べて。
「ホットね」
「うん。悟は冷たいのでいい?」
「分かってるねえ」
火使うと暑いよなあと茶葉を蒸らす間キッチンから少し離れる悟は、未だに上の服を着ていない。引き留める裾もなく、待ってと咄嗟に手を伸ばそうとした私より先に、悟がこちらにその長い両腕を伸ばした。
「ん?」
「なまえも腕、伸ばしてみて」
言われるがまま、向き合った悟の腕の下で、子供の頃によくやっていた前へ倣えのように手を伸ばす。悟の掌は私の頬に容易く触れるけど、私の腕は悟のお腹にさえ届くことなく宙ぶらりんだ。
「こんな風にさ、今までも欲しい時には手を伸ばしてる。なまえは届かないと思ってても、ちゃんともらってるんだ。だから、なまえはそのままで良いんだよ」
先程触れた指先が氷みたいに冷えていたと、慣れないことをして緊張したのだろうと言葉を付け足して。そのままでいてよと私の頬を摘みながら、優しく、とても優しく微笑んだ。
「‥私も、欲しい時が来たら?」
「その時はさ、いつもみたいに僕の名前を呼んで。そしたら、こう出来る」
そう言って伸ばした腕で引き寄せて、その大きな胸元にすっぽり収めてくれる。私の指先はもう冷たくはなくて、触れた上半身は直に触れた頬よりは冷たくて、そろそろ寒くないのかなと思った。露わになった背中に触れて良いものか、いつものように回した両腕が行き場を失い放浪している。そんな私の腕にも悟はすぐに気付いて、少し背中を丸めて私の掌を自身の背中に触れさせた。
「僕らは僕らの形で行こう」
これで十分だよと私の背を撫でてくれるから、私も悟の背に回した腕をもう一度きゅっと抱きしめる。胸元に頬を寄せる私の顔を見下ろして、一層優しい笑みと一緒に唇を重ねてくれる悟は、私の世界の全部で。
「悟、」
「ん?」
全部あげるなんて言ったけど、本当は悟がもらってくれている。そしてそれ以上に、悟から色んなものをもらっているんだ。
「大好き」
人生で初めて、その言葉が空気に触れた。ありがとうと言いたかったんだと思うけれど、思考の先の言葉ではなく、自然と音になった言葉だった。愛してるよりはずっと幼くて、愛してるよりもずっと等身大の本心。本心と言うのは本来こう言う風に零れた言葉のことを言うんじゃないかと思えるほどするりと溢れた、真っ新で、ホットミルクのように温かい言葉だった。
それぞれの形