04519
「固定電話にしときゃよかったよ‥!」
冥さんは頼りになる人だけど、金を積めば大抵のことを引き受けてしまうから脅威にならないと言う保証はない。家に帰るまでに何度かなまえの携帯を鳴らしてみたけど、彼女にとって携帯電話はただの薄い板でしかなかった。生活用品を買いに出た日にお互いの連絡手段として携帯も用意して、ほぼ同一の形をした音楽再生用の機械と一緒に渡してみる。すると彼女は消せるアプリの一切を消して、代わりに音楽アプリに幾つかのアルバムを入れていった。流行りのSNSも躊躇なく消したのには驚いたけど、どうやらこれまでも彼女の携帯はそんな感じだったそうだ。音楽さえ聴ければ良いと不要なものは一切排除するその意志の強さは僕らのそれと似ていて、彼女もこちら側の人間なんだなと妙にしっくりきた。
帰宅した僕を阻んだドアロックの音に、なまえは不用心に隙間から顔を覗かせる。
「悟、」
「学長は?」
「まだ」
‥冥さんと同じ側か?遅くなるってそういう意味?騒がしい脳内を見せないよう、隙間から見える彼女に落ち着いてただいまと言葉を飛ばせば、それが魔法の呪文となって閉ざされた扉がするりと開く。
「ただいま、なまえ」
自動の施錠音に重ねるようにもう一度帰宅したことを伝えれば、出ていく時と同様に「ん」と短く音を出した。パジャマに着替えた後座り込んでいた痕跡か、いつもの床に残る薄ぺらのブランケットがくしゃりと横たわっていた。
「夜蛾さん、大丈夫かな」
「折角急いで帰ってきたのに、僕じゃ不満?」
「不満じゃない」
自分が危険にさらされるかもしれないと言う考えは一切なく、あのおっさんの身を呑気に心配している辺り自分の立場が未だに分かっていない。日付を跨ぎそうな時計の針が、ささくれ立った心を更に責め立てた。こっちはあんな僻地まで行かされて任務やってきたってのに自分はこんな時間まで来ないとか職務怠慢すぎんだろ。
「学長の事、ずっと待ってたの?」
「星、綺麗で見てた」
「確かに今日は寒かったから。空気が澄んでるんだね」
窓に触れる手がするりと降りて、向きを変えた彼女が僕の頬にそっと触れる。
「本当だ、冷たい」
それから自分の体温を分けるように優しく両の掌で両頬を覆った。そんななまえの指先も十分すぎるほど冷えていて、それでも掌はいくらか温かいと感じられた。これが逆の立場なら、きっと首元に手を突っ込んでいるだろう。
「ホットミルクでも入れようか」
「蜂蜜の」
「良いねえ」
着替えを済ませキッチンで牛乳を温める様子を僕の隣でじっと見つめるなまえは、主人の言うことを聞いて餌を待つ犬のようだった。まだ?とこちらにお伺いを立てる度に僕が首を横に振るのを楽しんでいる。代わりに、まだかと残念がる彼女の横顔は僕が楽しんでいる。沸騰しないギリギリの所まで温めて火を消すと、温めたカップとたっぷりの蜂蜜が用意された。
「どのくらい?」
「悟の半分」
「オーケー」
彼女は何かにつけて僕を基準にものを言う。僕の半分、僕と同じ、僕より、僕より。そんな小さなことに、優越感を感じている僕の隣で蜂蜜が垂れる様子を首を傾け見ていたなまえが、僕の服の裾をくいと引っ張った。
「誰か来る。‥変な気配」
「ええ、今かよ‥」
待っててと彼女の頭に手を乗せれば、こくりと声もなく頷いた。冥さんがヒントを出してくれてなかったら、危うく彼女を傷つけるとこだった。やっとここまできたんだ、邪魔はさせないよ。彼らがエントランスを潜るよりも先に姿を見せてやれば、そこには思いがけない来訪者がいた。
「こんばんは、先生」
「凄い殺気だな、悟」
「何これ、ドッキリか何かなの?」
学長と、最近呪術高専に入学した虎杖悠仁。彼らがここに来た理由は、悠仁を連れて来ている時点で明白だ。
「お前が煩いからな、いない時間を狙ったんだが」
「上のジジィ共、冥さんにいくらつぎ込んだんだよ」
「いずれこうなる、早いに越した事は無い」
「さっきから何の話してんの?俺に会わせたい人って五条先生の事?」
一人会話に置いて行かれた悠仁が僕らの間で首を忙しそうに左右に動かしながら、説明してよと雛鳥のように声を上げる。
「ごめんごめん。学長一発殴ったら案内するから」
「え?!何で?!」
「あいつが待ってるんだろ、早く行くぞ」
あんたがそれを言うなとその背中を追えば、横に居た悠仁が「ねえマジで誰に会うの」とはてなの飛び散る声をエントランスに響かせた。君の10秒をください