ふと思うとなぜが胸がチクリとする瞬間がある。何かを忘れていて、置いて来たような感覚がある。
「後悔とか?」
白いセーラー服に真っ青なラインとリボンタイの制服を着た美月が言う。
可愛らしいこの制服は有名な進学校でお嬢様学校だ。私はレベルが高すぎて行けなかった。
「後悔してるなら。その出来事を思い出すでしょ」
「そっか」
白いシャツに水色のベストを着て、黄土色とか赤とかの茶色系の線が入っている深緑のプリーツ。可愛いとも可愛くないとも取れない制服。冬向けな色合いの私の制服と正反対の目の前に座る涼しそうな制服を着た幼馴染の彼女は期間限定の新メニューのドリンクを美味しそうに飲んでいる。
お揃いで買った赤茶色のローファーについている黒いゴムの踵を床に突っついて鳴らした。
なんとなしに会いたくなった彼女に連絡を入れれば、すぐに日にちと時間、場所の指定が来た。会った瞬間美月は瞳をキラキラさせて、久しぶりと抱きついて来た。
胸ぐらいのロングヘアーは先っぽだけくるりと巻いてあった。
「清華は何かを忘れてしまったんだね」
美月はそう言ってまたストローを口に含んだ。
人とは何かを忘れないと生きていけないと思う。脳はすべての情報を扱うことはできない。悪いことは忘れられる。それでも、過去はさみしがり屋だから。先回りして待っている。あれ、これは、誰が言っていたんだっけ?
「そういえばさぁ」
美月の学校の話は面白かった。女子校という特殊な空間。ネットとかでたまに流れてくる『おっさん化した女子高生』は今のところでて来なかった。お嬢様は違うのだろうか。
また、私が彼女の話を面白いと感じるのと同じで、共学の私の話も楽しんだ。
中学のように学区がないのもあるが、私は少し遠い学校へ1人で通っている。知り合いがいない学校で新しい出会いが溢れている学校を彼女は楽しそうに聞いた。
「彼氏はいるの?」
「いないよ」
と言えばどこか嬉しそうな顔で「えー」と言った。
「ニヤけてるよ」
「ごめんごめん。良い人とか?」
「興味ないよ」
「勿体無いなぁ」
「美月は、彼女。いないの?」
と意地悪く言えば、一瞬驚いた顔をして
「いるわけないよ!」
と言った。
「そんな、怒らないでよ」
と弱い声を出せば、美月は顔を制止させて
「あ・・・ごめん」
と笑った。
女子校にはありがちな話と思ったが、そうじゃなかったらしい。
彼女の学校はミッション系じゃないらしい。
女子校はミッション系ばかりだと思ったが、そんなことないと言われた。
なんで、ミッション系じゃないんだろう。しかも、お嬢様となるとそっちの方が多そうだし。あれ、理由言っていた気がする。なんだっけ?
「ねぇ、なんで。ミッション系じゃないの?」
お嬢様学校ならミッション系が多そうなのに。と言えば美月は目を見開いた。が、すぐに元に戻って笑った。
「だって、神道系だもん。私の家」
と言った。そんなのこの国ならほとんどがそうでしょ。と言うところなのに、美月の見開いた目に見覚えがあって、声を出せなかった。
ひどく晴れた今日は、陽は死ぬほど暑いのに風と日陰は冷たく。建物で影ができているテラスはとても過ごしやすかった。
来月からは梅雨前線が来る。湿った気候。あの曇り空はなにか感じる。
「・・・私、前もこの質問したよね?」
と美月に尋ねた。美月は半分以上減った透明のカップを机に置いた。
「うん。きいたよ」
風が頬を撫でた。生ぬるい風は好きじゃない。曇った空を連想させるから。
美月の顔はどこか辛そうだった。
胸がザワザワする。何かを忘れている気がする。初めて見る顔じゃない気がする。記憶にはないからわからないけど。その顔を嫌だと思った。
「・・・そっか」
なんだかイヤな気分になって、ストローから中身をすすった。
それから、2人で帰宅道を歩いた。ドラマの話とか俳優の話をして歩いていると、梅雨の話になった。
「明日の天気は?」
と聞けば美月はスマホを出した。
「あ、雨だ」
「サイアク」
さっそく、梅雨入りするらしい。
「晴れると良いなぁ」
と言えば
「私は、雨がいい」
と美月が言った。
「日焼けするから?」
と笑って聞けば
「雨は流してくれるから」
と言った。なにを、と聞こうとして隣を見たら美月は数歩後ろにいた。もう少しで住宅街に入る公園に向けていた。私もつられて顔を横に向けた。美月はそのまま公園に向かった。
広いグランドの隅に木々の影が集まってその遊具にら冷たい日陰ができていた。
「懐かしい」
と美月が言った。
「よく、遊んでたよね」
「うん」
美月は私の言葉に同意した。
「ここで、昔。結婚式ごっこしたよね」
美月の言葉に記憶を遡った。ああ、そういえばと思い出し、クスリと笑った。
「うん。した。2人だけでね」
と言えば
「指輪交換したりしてね」
と美月が言った。
「覚えてる?」
もちろん。と言おうとして胸がざわめいた。違う。結婚式ごっこは、幼い頃だけじゃない。おもちゃの指輪でも、小さな手でもない。私たちは大きくなってもう一度してる。
あんなロマンチックでも、可愛いらしいのでもなく、大人になれなかった私たちの結婚式。ごっこ。
雨が優しく細かく降って。こんなに晴れてる日じゃなくて、曇りで、ムシムシしていて、中学校の紺色のセーラーを腕まくりして。赤くて、そう。赤くて
「覚えてる?」
美月は再度言った。近づいて言った。
夕暮れ時は、人ならざる者が多いから。気をつけないと。カラスの鳴き声がやけに耳に響く。夕陽は光に透かした時に見える血と皮膚みたいでなんだか怖かった。
美月は赤かった。あのとき、美月の傘でも、唇でも、目でも、鼻でもなくて、その赤は
「覚えてるよ」
「私の血は、今も美月の体に入ってる?」
美月は、嬉しそうに覚えてくれたの?と笑った。それでも、悲しい顔をして
「もう、出ちゃったかも」
と言った。
あの日、そうだ。梅雨入り前なのに大雨のあの日。モノトーンの暗い世界についた鮮烈な赤。銀に滴る、私の赤。
「でもね、」
美月はいう
「清華の血は、なくなってないよ」
私を抱きしめながら言う。
「沢山あるでしょう?」
ここに。と私の背中に回した腕についている細い指を一本立てて心臓部分を後ろから、トンと優しく刺すよう置いた。
覚えてる。
私を抱きしめるようにナイフで私の背中を刺した。美月は嬉しそうだった。
私は痛くて痛くて、泥になった芝生の上に倒れた。声も出さなかった。美月は嬉しそうにそのナイフを上にあげ、口を開けた。まるで手品師がナイフ飲みをするかのようにナイフをたて、垂れてくる私の血を口に入れた。
なんで。と言いたかったのに、声が出なかった。体を恐怖が覆った。それでも、美月は
「好きよ」
と言って笑った。その言葉がなんだか面白くて笑った。
美月は嬉しそうに私を見下ろしながら微笑んだ。生温い雨が降っていた。
これが大人になれない、無邪気さを失う前の私たちの結婚式。ごっこ。
子どもの頃にやった結婚式ごっこなんかじゃない。おもちゃの指輪も、キスをするんだよとかと言って、なにも知らずにした、可愛らしさもない。
美月が誓いますか?と子ども特有の高い声で言って始まったごっこ。
あの時の美月はその時より大人だった。少し落ち着いた声で言って始まったその式には私の声は無かった。
背中の傷は癒えない。一生、残ったままだ。
「誓いますか?」
耳元で美月がいう。
「誓いますか?」
再度言う。
あれから、私たちはどれだけ大人になって、どれだけ無邪気さを失っただろう。おもちゃの指輪は何処かにいってしまった。美月に入っていた私の血は出ていってしまった。
「誓いますか?」
美月が言う。夕陽は沈んでいく。背中に当てられている指から熱が伝わるようだ。その指を私の背中に押し付けて仕舞えば、穴が開いて大量の血が溢れるのではないか。そう思ってしまう。
「ねぇ。清華」
美月が呼ぶ。目を閉じる。
「好きよ」
顔は見えない。目を開ける。夕陽は丸くなく、一線になっていた。カラスが鳴く。
「誓いますか?」
ふっと口から笑みが漏れた。
大人になれなかった私たち。この先も同じことを繰り返すのだろう。おもちゃの指輪じゃなくて、私の血じゃなくて、もっと子供じみて、大人びた結婚式ごっこを。
だからさ、美月。
「誓わない」
美月が固まった。その指で私の背中の傷を押す。
「清華。好きよ・・・好きよ」
なんども、まるでドリルのように回しながら傷を押す。
「違うんだよ。美月」
そういえば指が止まった。優しく美月の肩を抱いて離した。
美月は怒ったような、悲しんでいるような顔をした。ああ、その顔は嫌いだ。
「笑って、美月」
君の笑顔が好き。と言えば美月は泣きそうな顔をした。
「思い出とか過去ってさ、寂し屋がりなんだよ」
美月が言っていた言葉。
「覚えてたの?」
「覚えてるよ。忘れてない。でもね、私はね、忘れたかったんだよ」
なんだか泣きそうで、でも、涙は湧き出てこなかった。
「美月は私が好き。でも、私が美月を好きじゃない」
友達としては好きだけど。と笑えば
「ひどい人」
と美月が唇を噛んだ。
「私は、誓えない。だからさ、美月、」
美月の肩に力を入れた。
「キス、しようか」
美月は驚いた顔をした。
2人で大人になったつもりでいるために、キスをしよう。
子供が背伸びして、見栄を張るように。もう一歩先へ行こう。
私の血とか、私の恋とかそんなものいらない。なくていい。もっというと、バカなことをしよう。絶対に叶わない恋をした美月とそれに気付かないふりをする私。ね?面白いでしょ?
「ねぇ、美月」
なに。と弱い声がした。
あの灰色の日。狂った人のように私を刺した美月。
どっちも子供だった。今なら、美月は私を刺さないし、きっと血も飲まない。大人になってしまった。あの日から。少し。
それじゃあ、美月が辛いだけだから、私も大人になろう。
美月の気持ちを理解しない。絶対にわかろうとしない。子供はすぐ知りたがるから。わかってしまう。大人はなかったことにする。
「誓いますか?」
美月は涙を流した。
「誓わないよ」
そう言って、笑った、
これでようやく、スタートに立った。
1から始めよう。子供だからさ、いくらでもやり直せるよ。背伸びせずに、大人になろう。
おもちゃの指輪もなくて、私の血もない。それでも、美月の気持ちと私の背中の傷があればいくらでもやり直せる。
「ひどい人」
美月はそう言った。私は笑った。
いつか、君の唇につく血が乾いて無くなったら。
キスをしよう。
そしたら、きっと。私たちは、大人になれる。
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