指先からの熱

初夏にしては暑い日だった。
もうすぐ夏だね。と言えば彼女は、まだ梅雨にもなってないよ。と笑ってお弁当のおかずを口に入れた。
風にそよがれて輝かしいエメラルドの葉は薄い白のベールがかかっている青空に馴染んでいる。夏になったら、そこにセミが7日間いるのかとボンヤリと考えた。
次の時間なんだっけ?とかこの前のドラマがとか適当に話してテキトーな返事が返ってくる。チラリと彼女を見れば、水筒を左手に右手の親指でスマホをいじっていた。日陰の場所で胡座かいて座っている。冷たいコンクリートが気持ちがいいと感じる。スカートを短くしても、日焼け止めで毛穴が閉じられているような気分になる。
汗で落ちるから化粧なんてしない。でも、日焼け止めも顔に張り付いている気がして気持ち悪い。
ボンヤリと薄いベールがかかる空を見ていると
「何してるの?」
と彼女が訪ねてきた。スマホはいつの間にかシャツの胸ポケットに入っていた。スマホのカメラレンズはこちらを向いていた。
「いや、ヒマだなぁって」
「あー、わかるわぁ」
「花の女子高生も、終わっちまうのにー」
「それなぁ」
なんとものんびりとした会話は自然に途切れてしまった。少し斜め後ろにいる彼女を見れば胡座を崩し、両足を前に伸ばしていた。
「花といっても、百合だね」
「わかるわー」
彼女の言葉に同意する。どれだけ綺麗な花でも水がなければ枯れてしまう。女子校はつらいな。なんて、もう今年で卒業というのに今さらながらに思う。
風が吹く。初夏の風は心地がいい。目を閉じれば睡魔がやってくる。
「眠いな」
「それな」
独り言に返ってきた返事
「なに?」
「・・いや、声が近いと思ったら隣にいたから」
彼女はいつの間にか私の隣に移動していた。気持ちがいい風のせいで気づかなかった。彼女はまた、右手の親指を使ってスマホをいじっていた。
暑い陽射しのせいで運動場は、黒砂糖のように思えた。
「・・・チャイム、鳴ったけど」
「うん」
割と、近いところでチャイムの音がスピーカーから流れてくる。
「えーと、授業始まるよ?」
「知ってるわ」
なに言ってんだ。というように、いつも通りの口調で返ってきた。
静かになったこの世界には風の音さえ聞こえない。セミはまだ鳴かないし、鈴虫だって同然鳴かない。コンクリートの冷たさとエメラルドの葉とベールがかかった空と薄い灰色をした日陰だけの世界。
彼女は私の視線に気づいているのに何事もなかったように過ごしている。彼女がスマホを胸ポケットに収めた。
それまで、1分もたってないのにもう長いことこの世界にいたような気がする。
風が静かに吹く。ああ、この風を教室で浴びればすぐに睡魔がやってきて先生の話なんて子守唄になってすぐさま黒く静かな世界に行ってしまうんだろうな。初めてサボった授業。悪いことをしているのはわかっている。けれども、そのことよりも腰を上げそうにない彼女の意思のほうが気になった。
「教室行かないの?」
「うーん・・・バックレる」
と平然に返してきた彼女。いつも通りの顔で。驚いている自分の顔を見て
「なに?」
とか聞いてきやがった。なにって、なんだよ。とか頭の中で独り言言っていると
「まぁ、高校の思い出に」
とか言って自分がしていたように空を見上げた。
だから、私もつられて見た。
私が教室に行けない理由。普通なら、なに言ってんだとか言って立ち上がらでもするのだろうけど。そうも行かなかった。
スマホをいじってない手。効果が落ちてただのウザったい皮膚の付着物となった日焼け止めが付いている彼女の手は私の手の上に置かれていた。
まるでイエスのように手を釘で打たれたようにそこのコンクリートから手が離せられなかった。心臓がドキドキ言っている。ただの手つなぎに私はいちいちドキドキしたりなんかしない。何故するのか。理由は簡単で脳みその隅っこに追いやりたかった。
彼女の手が熱いから。冷たいコンクリートに対する手の熱さは手汗を次々に生み出した。
真っ直ぐ前を見て、彼女はこちらを見ようとしない。彼女の横顔と建物の壁。エメラルドの葉が生えている木。少しベールのかかる空が見えた。
どうすればいいのかわからなくて、俯いた。
制服のプリーツと太もも。灰色のコンクリートが見える。
彼女の手が動く。指先を私の指に絡めて行く。自分は動かさなかった。なにもしなかった。ただ、プリーツと太ももの境界線を見ていた。
彼女の顔が私に近づく。俯いている私の横顔に、彼女は顔を少し斜めにして私の耳元に唇を近づけた。思わず身構える。けれども彼女はなにもしてこなかった。
私の手も熱い。けれども、彼女の手は指先まで熱かった。
彼女はまた前を見てのんびりといつも通りの顔だった。
まるで恋人つなぎをするかのように指を絡めてくる彼女。彼女がなにをどうしたいのかなんてすぐにわかった。彼女だからと、気を許そうとしてしまいそうになった。けれども、なんだかそんな簡単なことじゃない気がして。私は動くこともできなかった。授業が終わるまであとどれくらいあるのだろうか。ふと、そう思った。他のことを考える余裕なんてないのに。それとも、他のことを考える他なかったのか。わからない。私はわからない。彼女の手は私の手から1回も引かれることはなかった。
熱い指先で押し付けられるように織り込まれた恋人つなぎ。私がそこで指を持ち上げれば完成するのに、私は指をましてや、手を動かすことはできなかった。

近くのスピーカーからチャイムの音が聞こえてくる。人の声が大きくなっていく。
今頃、教室では午後の睡魔にやられた子達が目覚まし代わりに起きているのだろう。
彼女の熱い手が引いた。手の甲に置かれていた熱い指が退いた瞬間、空気に触れて涼しく感じた。
彼女は立ち上がって
「高校の思い出に、ね」
と笑った。私の少し前に立つ。プリーツがふんわりと風に吹かれて浮き上がる。


初夏にしては暑い日だった。

冷たいコンクリートにエメラルドの葉は静かな風にそよがれ、薄い白のベールがかかっているような青空に黒砂糖のように光る運動場。
まるで、真夏だ。とシャツを腕まくりしてプリーツを短くてしても暑かった。
けれども、その熱さも手の熱さは梅雨が始まる早すぎる夏の暑さにやられるには丁度いい気温だった。
ベールがかかる空をバックに彼女は顔にリボンタイに涼しげな陰を作る。

彼女は笑っていた。
私は、手を動かすことはできなかった。



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