ひと夏のフロイライン

薄ピンクした丸い小粒を口に入れるとスーッと鼻からの息が爽やかに気管に入る。
昨日の大雨で出来上がった水溜りは運動場にまばらに広がっている。

「ジメッとしてんな」

小さく呟いたその言葉は、パソコンと向き合っていた先生に届いた。

「なぁに?機嫌でも悪いの?」

度々お世話になっている理科室の隣にある研究室。薬品とコーヒーの匂いが充満するこの部屋には、応接間という小さな空間があり二人掛けのソファーが2つ向き合ってある。
ソファに靴を脱いで体育座していると先生は下を向いていて下がったメガネを指で押し上げてからそう言った。

「別に、そうじゃないよ」

3年の夏が終わりを告げようとしている。
夏服の終わりはもう、高校生が半分もないことを嫌という程教えてきた。
そこそこ好きだった制服もあと少ししか着れない。

「言ってみなさいよ」

先生は優しく言う。

「・・もう少しで学校生活が終わるなぁって」

「制服が終わるもんね」

「私。卒業したくないなぁ」

「留年でもするの?」

「そうじゃないよ」

先生は笑っている。
3年間。なんだか無駄に過ごした気がする。

「私だって。卒業が近くなってきた時。そう思ってたなぁ」

「先生も?」

「そうよ?誰だって。高校は懐かしいし強いわよ」

「不安になるんだよ。大人になるって」

運動場にある水溜りが火を反射して光風によって波を打っている。
奥歯でガリガリとミンティアを削っていく。

「あんまり食べ過ぎたら歯が透けるわよ」

さすが理科の先生。と茶化せば先生も笑った。

「でも。本当よ。あまり食べないことね。あとそれだってカロリーはあるんだからね」

そう言われたらやめたくなる。
スマホと一緒に胸ポケットに入れていた縦長いピンク色したミンティアのパッケージを出した。

「でも。きっと楽しいわよ。大学も」

「そうだといいなぁ」

「そうよ。いろんなことあるわよ」

「勉強。ついてけるかなぁ」

「ノートさえ取ってればなんとかなるわよ」

くすりと笑う先生は、陽を背に浴びて髪の毛が優しい茶色に染まった。
白衣を着た先生とも制服を着て会うこともなくなるのか。

「ねぇ。先生?」

「なあに?」

先生の机からソファは、移動式の壁が一枚。
テーブルと同じ幅の壁はソファに座る人から見れば先生の机の上とか薬品とか色々見える。もちろん。先生も

「先生は。私の制服姿で会えなくなるの、寂し?」

ソファのひじ掛けに手を置いて先生に向かって体を乗り出した。膝上でスカートの裾が触る。
いたずらっぽく言えば、先生はカラカラと終わって

「そうね。でも、大人になったなって思うわ」

そう返す先生は大人で。私もこういった大人になれるのかなって思った。

「先生にみたいになれるかな」

「なれるわよ。きっと。私も未熟だからね」

口の中のミンティアは、いつのまにかなくなってしまった。
話すことがなくなって。ソファでゴロゴロしていた。お昼休みはまだある。

「将来は。何になりたいの?」

「前に言ったじゃん。先生みたいな人」

「まぁた。そんなこと言って」

どんな大人になりたいんだろう。
思春期真っ只中の私はきっと来年までそう想い続けるんだろうな。

「でも。大学生になっても悩むわよ」

「そうなの?」

「なんとなくこの学科とか。就職先とかね」

ミンティアを口に含む。

「また、食べて。太るわよ」

「落ち着くんだもん。これ」

「まるで、タバコね」

「ヤクじゃない?」

とふざけてみれば

「ヤクならいっぱいあるわよ」

と薬品だなを先生はみた。
私は間違いないと笑った。

「でも。そうね、大人なんかみんななれるわよ」

「そうかな」

「大人になる方法なんていくつもあるでしょう?」

ガリっ。と奥歯でミンティアを削った。

「たとえば」

語尾を伸ばさずに聞いた。

「たとえば?そうね」

先生はずっとパソコンに向かってる。

「20歳になるとか」

「それだけ?でも。20歳になっても子供みたいな人いるじゃない」

「そうね。だって、その人たちはまだ学生だもの」

「じゃあ、就職したら大人になるの?」

「さあ。どうかしらね」

「大人になりたくないな」

先生はやっとこちらを向いた。

「どうして?」

「寂しいから」

「・・寂しくなんか、ないわ。いいことがあるわ」

「怖いのよ。大人になるって」

「そう」

「怖くない方法でなれないの?」

「なにもないまま大人になるなんて。大人じゃないわ。経験もないもの」

「じゃあ、なにを経験すればいいの?」

「そうね。・・過ちとか、ね」

失敗は成功のもと。とはいうものの。後悔先に立たず。なんて言葉もある。
失敗って逆にどうすればいいんだろう。逆に成功ってなんだろう。

「どうすればいい?なにをすればいい?」

教えて先生。
そう言えば、先生は席を立った。

「なにもしなくていいわ。教えてはあげない。自分で考えるの」

過ちってなんだと思う?
先生の授業は、難しくてよくわからない。いつもそう。難しい。
大切なのって、命だけですか?
大切なのって、好奇心ですか?
でも。好奇心って猫も殺すんでしょう?
じゃあ、大人になってもなくちゃいけないものってなんですか?
なにが大切なんですか?
乗り出した私の首ものとにぶら下がるリボンタイ。首の後ろに手を回すと同時に先生が屈んで顔を私の肩に置くように通る。まるで抱きしめれるみたいに。
口の中のミンティアをすっかり忘れてしまっていて、一箇所に置きすぎて少し痛い。

パチンと音がなる。
薬品と日の光。先生の白衣から香る薬品ではなく優しい匂い。
シュッと、ゴムを操る音がする。
先生の吐息が、私の耳たぶと首にかかる。思わず顔が赤くなる。唇を噛む。

パチン。同じ音がして先生が離れる。
先生のマスカラを塗った長い睫毛が光ってみえる。

「リボンは、第1ボタンが見えなくなるまで上げるのが、校則よ」

そう言って笑う先生に、私は顔が赤くなる。

「大人になるには、まだ期間があるわ」

ゆっくりでいいから。考えなさいという先生に、私は。自分がまだ、子供なのだという羞恥心と悔しさを覚えた。
口の中のミンティアを思い出したかのように。奥歯に挟んだ。


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