冬が近くなると夕暮れ時の空は、藍色から下に連れて黄色くなって行く。
オレンジ色の時もあるが、それはまだ、夕陽が沈んでない時だと誰かが言っていた。
「レモンはあまり黄色ではないんだね」
とろりとした有名なシロップのビンを眺めながらいう。
青。緑。オレンジ。ピンク。黄色。その他の色が綺麗に一列並んでいる。
フランス産のそのシロップたちは、どのお店でも使われているものだ。
「黄色が欲しいなら、エルダー・フラワーかしらね」
お客さんの少ないこの時間帯。
キッチンで会話をしていても怒られないこの職場を私は気に入ってる。
お洒落なレストランにあるバーには、ワイングラス。カクテルグラスなどがぶら下がっている。お食事を運ぶ係の彼女は、バー担当の私にこうやって机越しに話しかけてくる。
同じ白いシャツに黒い蝶ネクタイと黒いベストにエプロン姿がお客なんて笑ってしまう。
「お花もあるんだ」
「ご贔屓してるからね」
「全種類?」
「いや、そんなに買ってはないんじゃない?」
「フルーツだと、黄色は?」
「そうね。イエロー・バナナ?」
「ええ。美味しいの?」
「飲んだことないよ」
一番出るのは、青色のブルーキュラソー。オレンジ風味のシロップはよく使われる。
「でも、入れると色が変わるのとかあるでしょ?」
「あるよ。黄色がいいなら。これかな」
私はグラスを拭くのをやめて、棚に並ぶシロップたちから1つ取った。
「パイナップル?」
「そう」
「パイナップル好きだよ」
「私は嫌い。舌が痛くなるんだもの」
「そういう人いるよね」
「あと、キウイもダメね」
話しながら私はさっき拭いていた、8オンスタンブラーにシロップと炭酸を混ぜて彼女の前のカウンターに乗せた。
「黄色い」
「薄いけどね」
まじまじとグラスを眺める彼女に
「レモンだと、割と透明になるのよ」
と言ってガラス拭きを始めた。
「飲んでいいよ」
といえば、え。と驚いた顔をしてきた。
「いいの?」
「わからないけど。作っちゃったもん」
と言えば、扉からこちらにまわってグラスを取った。屈んで仕舞えばカウンターから外の人たちにはわからない。
「あ、うまい」
内緒だと笑いながらコソコソ飲む彼女をみて、可愛いなと笑う。
「でも、綺麗だね」
棚に並ぶシロップたち。その棚の壁になってる窓からは、ここのホテルレストランの自慢である夜景が見える。
こういうところで働いてる人は、みんな社員だと子供の頃は思っていたが、それがバイトで今自分が働いていると知ったら驚くだろうな。
「ご馳走さま」
とグラスを返して、じゃあね。と仕事に戻る彼女に手を振る。
彼女が飲んだグラスを眺める。
そこには少し、黄色をした汁が残っていた。カウンターに屈む。向こうからは見えない。
そのグラスにそっと、口づけをして残りの汁をすすった。でも、それは、本当に残ったやつで。垂れてくるのに時間がかかった。それでも、残った汁はピリピリした。
恋は、炭酸だと誰かが言った。
シャワっと、それは青春のようだと。でも、それはきっと恋の始まりの話だと思った。
世界が暖かくなって、この冬の寒さも吹き飛ばすようなふんわりとした雰囲気。でも、炭酸が飲めない私にとってそれは、喉に対する痛みだった。
チリチリと焼く炭酸の泡は、呼吸の代償のように二酸化酸素を飲み込んだ苦しみだった。
「どうしたの?」
ふと声がかかって見上げると彼女がいた。
「いや、なんでもないけど。どうしたの?」
「ん。ちゅーもん」
と注文用紙をカウンターにひらりと置いた。
置かれた紙を覗き込んで、必要なキュラソーをとる。
「それとこれの違いは何?」
飲み物ができるのを待ってるのか。カウンター越しに聞いてくる。
「キュラソーとシロップ?お酒かお酒じゃないかでしょ」
「そうなんだ」
「まあ。キュラソーっていうのは。これね」
とお客さんの要望を作るために取り出した。ブルーキュラソーシロップ。
「一番出るやつだ」
「そ。オレンジの皮を利用してるから、オレンジ風味ね。もともとキュラソーっていうのはお酒の一種だから」
「リキュールとか?」
「いや。キュラソーの一種だよ。リキュールは」
「へえ」
「誕生日きたら、作ってあげるよ」
といえば。
「じゃあ、レモン味のやつがいい」
と言われた。
「レモン味?どれかなぁ」
「カラフルなの」
「透明になるから?」
「そそ」
「いいけど。はい。できたよ」
作ったカクテルの名前を告げながらトレイに乗せていく。
「詳しいね」
「割と好きなのよね。そういうの覚えるの」
「かっこいいね」
「ありがとう」
ありがとーございまーす。とのんびりとした口調でトレイを綺麗に左手に乗せ、水面を揺らすことなく運んでいく。
使った。シロップとキュラソーを片付ける。ふと、手にしたのは、レモンのシロップ。
初恋は、レモン味だと誰かが言った。
ほろ苦く、酸味の強い香りのするレモンは一度食べると忘れることはない。
絞った汁は目からも鼻からも全て記憶させていくように体に染み込ませてくる。甘酸っぱい初恋は。叶わないからこそ記憶に残るものだと思うのだ。
リンゴのように許されない訳ではないが、これは、別の意味で許されない。なぜなら、それは神への贈り物だからだ。
コトリと瓶を棚に戻し、ラベルをこちらに向かす。
夕暮れ時が近くなってきて、ビル群が黒くなってきた。空はきっと、レモンのシロップとブルーキュラソーでできる。
なんとなく。曜日のせいもあって今日は人が少ない。暇になったから、作っても怒られなさそうな小さい、カクテルグラスで作ってみる。
レモンのシロップを垂らしてブルーキュラソーを垂らしてみる。混ぜないとうまく混合しない。でも、レモンじゃ黄色さが足りなかった。炭酸を入れてみても、ただ、泡だっただけだった。
「今度は何作ってるの?」
ホールの方も今日は暇らしい。
いつも通りに、グラスの細っこい脚を持ってカウンターに乗せる。それから、平たい部分に軽く指を添えて前に出す。
「夕暮れを作ろうと思って」
「夕暮れ?」
彼女はわしの言葉を聞いて窓の外を見た。
「あー。綺麗だね」
納得した声を出して笑った。
「何入れたの?」
「レモンシロップに、ブルーキュラソーを足して。それから、ソーダを少し」
「なるほど」
「混ぜてもないから、曖昧な分かれだけど」
「見えなくもないけど」
と言ってカクテルと空を見比べる。
「でも、空の方がもう少し黄色いよ」
空はレモン色なのにね。と笑った。
「あ。お客さん呼んでるよ」
と声をかければ、はーいと飛んでいき何かを聞いている。
今度は飲み物じゃなくて食べ物みたいだ。ホールは少し仕事があるようだが。呼ばれるほど忙しくないみたいだ。そうなると。私はただ立つだけになる。
注文票を出しに行って数分後。手ぶらで帰ってきた彼女。無言でカウンターに入ってきて
「飲んでもいい?」
なんて聞いてくる。
「もちろんよ。ノンアルだからね。でも、バレないようにね」
と笑えば、悪戯っぽく笑ってグラスの脚を持って屈んだ。
「ああ。飲む前に」
私は飲むのをストップさせて、マドラーで混ぜる。
薄い黄色は鮮烈な青に負けて真っ青になった。
「どう?」
となんとなく聞いてみる。
クラシックな曲がかかる店内には、少しパラパラとゆったりとした会話がかすかに聞こえる。
「うん。なんかね。オレンジジュースに、レモンの汁を入れた感じ」
と言われた。今度は自分でグラスを洗って
「ありがとう」
と笑って出て行った。
手を振られたから、こっちも手を振る。首が綺麗に見える。まとめてある髪型は首筋を綺麗に見せる。
ベストを着てるからこそ、背筋が綺麗に見えて腰が細くみえる。スタスタと歩く姿はエレガントだ。いつもふわふわしてるからこそ、仕事中の彼女を見てるのが好きだ。
ふと窓の外を見て、彼女との話を思い出した。
先程彼女が飲んだグラスを拭いて、パイナップルのシロップを垂らす。先程と同じ手順で作っていく。シロップとグラスの隙間にブルーキュラソーが少し垂れる。ソーダを混ぜたら、先程よりも夕暮れっぽくなった。
「美味しそうなのできたね」
料理を出し終わった彼女が私のカクテルを見て言った。
「見た目だけじゃない?」
「飲んでいい?」
首をコテンとして聞いてくる。可愛いなと思いながら
「いいよ」
といえば、またカウンターに入ってきた。
その間にマドラーで混ぜる。彼女に手渡しすれば屈んで飲んだ。
「あ、こっちの方がいいかも」
と言って少し残ったカクテルを渡してきた。
私もしゃがんで飲んだ。柑橘系のブルーキュラソーシロップに違った酸味を出したことで、甘味が強くなった。また、パイナップルのほろ苦さがレモンよりも強く出ていた。
「おいしいね」
といえば。
「誕生日、楽しみにしてるね」
と悪戯っぽく言ってカウンターから出て行った。
神様の涙はパイン味だと、誰かが言った。
ほろ苦い汁の出る味は、舌がピリピリとして痛い。それは、まるで心に刺さる小さな針のようで、私は好きじゃない。
レモンが初恋だとすると、このパインはいつの恋の味なのだろう。恋の終わりかそれとも、始まりの味なのか。だとすれば、炭酸の二酸化酸素の苦しさも痛さが紛らわしてくれるだろう。
それは、恋だと誰かが言った。
誰かを好きになるのは素晴らしいと、誰かが言った。けれども、それは苦しみを産むと誰かが言った。
恋とは名ばかりのものを私はずっと大切にしてるんだなと思った。
彼女がいれば幸せなのに心がしんどいのだ。苦しくて息ができないのだ。締め付けられてるように、ギュッと痛む。
ほろ苦いなんて嘘だ。痛さでそんなものわからない。
みんなが話す恋とは違う。私の恋。嘘っぱちの恋。でも、これを嘘にして仕舞えば私は、なにをしているんだろう。
夕暮れが終わった、空をみる。ネオンが光る町をみる。相変わらず、安っぽい街だと笑った。
使ったボトルを元に戻す。ふと、手に取ったパイナップルシロップと棚に並ぶレモンシロップを見比べる。薄い黄色をしたレモンとパイナップル。
なんとなく、パイナップルの蓋を取ってみて匂いを嗅ぐ。酸っぱい匂いが鼻を刺した。
それは嘘だと、誰かが言った。
冬の夕暮れ時は、藍色から黄色になると言う。オレンジになっているのは、まだ陽が沈んでいない時だと誰かが言った。
仕事が終わって、外に出る。風が異様に冷たかった。冷えてきた風を肌に感じた。
「お酒になると甘くないのかな」
彼女が聞いてくる。
「どうかな。甘いと思うよ。でも、シロップじゃなくてお酒だからね」
と笑えば。彼女は楽しみだと言って別の話を楽しそうに始めた。
なにもかも楽しそうに話す彼女をみて可愛いと笑う。たとえ、その話が恋人の話だとしても。
それは、なんだと誰かが聞いた。
それは、恋だと誰かが言った。
薄黄色したその酸っぱさは、恋の始まりで終わりの味をしていた。
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