月は、空の穴でありそこから飛び出して仕舞えば目が醒めるとなんども思った。
夏の夜は涼しくて、昼間の熱い格好だと肌寒い時もあったりする。
ふんわりと草が揺れる。川の面が揺れる。ショートグラスの水色も揺れる。
「どうかしました?」
「いいえ。ありがと」
行きつけのバーでいつものお酒を頼んだ。
私オリジナルの。炭酸抜き、度合いは少なめ、喉越し良く、優しく、甘みがほのかにする、それと、私が好きな青。
「おいしい」
「ありがとうございます」
「いつもおいしいわね」
「あなたさま好みですから」
ここのバーでアルバイトをしている学生の彼女。黒髪の前髪と後ろでくるりんとまとめてネットに入れている。うなじには小島のように離れている数本が逆に可愛らしかった。
幾つなのかわからないが、学生よりは大人っぽく落ち着いているように思える口調の彼女。色が白く、オレンジ色のアイシャドウが僅かなバーの優しい光に当てられてキラキラとしていた。
「お水いりますか?」
ショートグラスのお酒をはやめに飲んでしまったからか、お水を勧めてきた彼女にニコリと笑って
「いいえ、大丈夫よ。そうね、じゃあわがまま言ってもいいかしら」
「ええ」
「今日の月にあうカクテルを」
今日は綺麗な満月だ。そして澄み渡るといっては変かもしれないが綺麗な藍色をした空だった。
「もちろんです。といっても作るのはマスターなんですけど」
と笑ってマスターを見た。私もマスターを見た。
「了解です」
と言ってステキなマスターはお酒を作り出した。目の前に座るお客さんの相手をしながら。
「二つのお仕事を同時にこなせるのって、ステキだよね」
ぼそっと言えば私の飲んだグラスをさげ、洗っていた手を止めずに
「そうですね」
と笑って返してきた。
そういえば彼女はこの仕事柄、自分の話をすることはない。
「そういえば、学生さんだけど。夢はあるの?」
ふと聴けば
「そうですね。夢というかやりたいことくらいは」
「例えば?」
「月に帰るとか?」
そう笑って返してた。え?とフリーズしてれば
「今日は満月ですからね」
そう言いカクテルを差し出してきた。
「ブルームーンといいます」
マスターがそう言ってニコリと笑う。軽く会釈したらマスターもぺこりとしてお客さんの相手をし始めた。
「ステキな色ですね」
白っぽく見えて、紫っぽく見える。不思議だ。
「今日は黄色ですが、まるで月光のようですね」
と笑った。
白い歯が少しオレンジ味のある口紅から覗く。
マスカラで伸ばされた長いまつ毛は、元から長いようにも思える。
「あら、おいしい」
「よかったです」
「そういえば、あなた。恋人いないの?」
「ええ。いませんよ」
「あら、こんなにも可愛いのに?」
「ありがとうございます」
照れる彼女は若々しく思えた。
「きっとすぐできるわよ」
「だといいですね」
「じゃないと、私みたいになるわよ」
と自虐っぽく言えば
「なら、できない方がいいですね」
と笑った。
心がスンと落ち着く返しができる彼女は不思議でステキだ。
「そういえば、あなたは飲まないの?」
「お酒ですか?そんなには」
「そう」
「でも、綺麗ですよね。カクテルって」
大人の世界に憧れてここのバイトを見つけたんです。と笑って話す彼女。
「好きなカクテルはある?」
「うーん。あまり飲まないので、よくわかりませんが好きな色だと嬉しいですね」
「何色が好きなの?」
「クリームに近い白が好きです」
まるで月光を浴びる月光美人だと思った。
「好きな花は?」
「うーん。わりとなんでも好きですけど、白い花ってわりと不吉扱いじゃないですか。死人に的な」
「そう?純粋とかそういうイメージが私は強いわよ」
祝い事には欠かせないわ。といえば
「お優しいですね」
とふんわり笑った。
なぜかその笑みにどきりと心臓が揺れた。
ふんわりとした笑みは素敵だった。
「毎週金曜日のお楽しみよね。ここに来るの」
「華金ってやつですか?」
「その言葉って未だにあるのね」
「死語っぽくて死語じゃないんですよね」
ふんわりとしてるように見えてシャッキリとしている彼女。
普段はどんな子なんだろう。ここで見る彼女は大人っぽい。仕事ができるように見える。いや、実際できるのかもしれないが、わからない。
恋人はいないといった。好きな人は?友達は?結局将来のことは教えてくれなかったが、ここでは聞きにくい。というよりも、知りたいけど知ってはいけない気がした。知ると彼女をなにか人間として認めてしまいそうだったからだ。人間なのに人間と認めるのが怖いなんて笑える。
私はそんなにも彼女を美化したいのだろうか。不思議なことだ。
実際、華金はお酒や休みのためじゃなくなってきている。彼女に会えるのがなぜこんなにも嬉しいだろうか。わからない。でも、そこがなぜかよかった。
23時30分をまわった辺りでお店をお暇した。
川沿いにあるこの店。店の外に出るとムワッとした夏の夜特有の風が体当たりしてきた。鈴虫と蝉が鳴く。やはり今日の月は綺麗だ。川に反射する光を見ながらぼうっとしていると、ふんわりとタバコの匂い。
女性にしては珍しく、私はタバコの匂いが好きだった。彼氏がタバコを吸おうが気にしない。むしろ、いいと思ってる。人の好きなことを止められるほど私は偉くない。それに、お父さんが吸っていたからか、大人の男性感があって私は好きだった。いや、正確には、タバコを吸う男性が好きなのかもしれない。
わりと近くで匂う。ふんわりとした苦い匂い。蛍のような赤い火がちらほらと見える。
ふと見ると吸っていたのは女性。見覚えがある立ち姿に私は思わず見てしまった。そうすると向こうが気付いて振り返った。
「あれ。帰られたのかと」
まさかのあの彼女だった。
「ええ。川をみていたの」
「今日は綺麗ですもんね。色々と」
「ええ。それにしても、タバコ。吸うのね」
「ああ。たまに。自分では買わないんですけど」
お仕事の延長にあるような気がした。まあ、自分がお客だからか。となぜか肩が下がった。
「自分では買わないの?」
「買うほどじゃないというか。吸いたくなったらもらったり、くれたりと」
不思議な雰囲気は私だけ感じた訳ではないかもしれない。
「明日もいるの?」
そうきけば、ふうっと紫煙を出して
「明日はどうだったかな。・・ああ、いますね」
とスケジュールをスマホで確認していた。
「明日も来てくれるんですか?」
と聞いてくるから
「どうかしら。ここ、帰宅路なのよね」
「へえ。そうなんですね。私もです」
と少し砕けていた口調になったのはタバコを吸っているときはオフなのか。それとも、仕事とキチンと分けているのか。
「あら、そうなのね」
話が終わると同時にタバコを吸い終わったのか。店先にある灰皿にタバコを入れる。
次の日からを浴びた黒い前髪が揺れる。白い肌が見える。ネットに入れていた髪はポニーテル状になっていた。ポニーテルを結っていたゴムを取る。髪を手櫛する。頭皮を乾かすように髪を揺らす。チラリと見えるシルバー色。耳に光る二連のピアス。
「明るいわね。髪」
「ええ。色落ちしてきてちょっと白いんですけど」
「あなたの好きな白色に近いんじゃない?」
「そうですか?」
そう言って笑う彼女。
ああ、学生っぽい。子供っぽい彼女は大人の匂いをまとっていた。ヤンチャな雰囲気をまとい、なのにそのアンバランスが綺麗に見えた。
「また、金曜日きてください。あなたと話すの好きなんです」
照れることなく素直に話す彼女に好印象を持てる。
そう言って店の奥に置いてあった自転車に乗り
「また、来週。お待ちしておりますね」
と仕事の顔を出して帰った。
月に向かって進む彼女。黒い髪から白い月光美人が舞う。
仕事と違う彼女をみて、見たかった学生の、本来の彼女が見えたのに。なぜか肩が下がった。
見てしまったからか、それとも、なにかに期待していたからか。それでも、きっとまた、店に行って話をしたら変わるんだろうな。と思った。
本来を全て見たわけではないのに、なぜか全てを知った気になってしまった。それほど親近感がある彼女なのか。それとも、それ以上踏み込ませないようにするのが上手いのか。どちらにせよ、そこまで考えている時点で彼女に惚れている。
年下の女の子相手になにしてるんだと笑った。
月が川に映ってユラユラと揺れていた。形は不規則で全くわからない。だが、その不安定さがなぜかとても気に入った。上を見れば月があるのに。なぜか、その日は川の月を見て帰った。
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