水の音は気のせいだったのか。水面には真っ暗闇が写っていた。夜空の星は映ることはなく。ただ、風に揺られて波が細やかにたっていた。
「ナイトプールは、流行っているでしょ?」
そういうと凪はローファーを脱ぎ脱いだ靴下をローファーの中に入れた。どんどん進んでいく凪に遅れてはならないと思い急いで私も靴下を脱いだ。
「怒られるわよ」
少し小声で言えば、凪は振り返って
「大丈夫だよ。大丈夫だからやってるんだ」
と笑った。
そしてまた前を向いて歩き出す。あと、数十分したら花火が上がる。
なるほど、ここなら見える。花火は上に上がるから。人も関係ない。
後ろで手を軽く組み、揺れるように歩く彼女。細っこい背中は頼りなく肩甲骨あたりで揺れるポニーテールはやはり尻尾だった。
息ができなくなるのを感じた。水中に入ったように息ができない。ポコポコと音を立てて沈むように、私はいま。死んでも許される気がした。
「ここでみようか」
サコッシュを適当な場所に置いて凪は数字が側面に書かれているところの真ん中に座った。私はその隣に座った。
「楽しみだねー」
そういうと足の先しかつかないがプールの水をバシャバシャというよりは、パシャパシャと軽く遊ぶように水飛沫をあげた。
「今日は、なんだかそわそわしてるね」
凪が私に言う。横顔にはなんだか何も考えてないように見えた。
「なにか、言いたそうだけど」
私はその時に、考えた。何を言えばいいんだろうと。なにか頬を叩くようなことを言いたいのに。私は息ができなかった。ポコポコとなにも話しても空気が抜ける気がして口が開かなかった。
「昨日のことでしょ?」
凪は私を見た。
「気にしなくていいのに。気になるんだ」
やはり、私は空気が惜しかった。
「花火、楽しみだね」
ラムネのような青い空は見えなくて、チラチラと星が見えるだけだった。
真っ暗闇は案外黒じゃなくて、青色が入っていてネイビーのような色だった。
青。私はこの約1ヶ月間。さまざまな青に会ってきた。
初めて会ったのは、いつもあるあのラムネ色した青い空。海に、藍色の夕暮れ時の空。そして、水色と藍色の混ざったシュシュ。
「私は」
ポツリと私が言えば、凪は見上げていた顔を私に移した。
「つまらない人だから、よく、わからないの」
「でも、なんだか。あなたに会ってから生きてる気がするの。叫ぶような。そんな感じ」
あの日みた、一番星は泣かなかった。泣けなかった。ただ、身体に鳥肌がたった。あの日は青じゃなくて、オレンジに唖然とした。暖かく包む色は、あの海の日にみた琥珀色だった。
「でもね、貴女は叫べてないんじゃないかなって思うの」
下を向く。太ももとめくれてる紺色のプリーツ。
「貴女に出会って、貴女の行動力と発想力にはいつも驚かされたわ」
「でもね、なんだか。それは貴女の素晴らしさじゃない気がしたの」
凪をなんと言えばいいのかわからない。なんと、言い表せばいいのかわからない。
「私はね」
凪がポツリという
「夏よりも、冬が好きなの」
「夏を全て忘れてしまう冬が好きなの。でも、君と会ったのは、夏の始まりだった。あの青に、澄晴に魅入られたのは、君だけじゃないんだよ」
下手くそに笑う凪。泣きそうな顔をしている気がしてもどかしくなった。
「私は、すごくないし。素晴らしいこともしてない。ただ、今を生きていたと思ったんだ。今しかなかったから」
本心のようで本心ではない気がした。いつも隠そうとするその態度。そこで私はハッとした。なるほど。そういうことか。
「私は、貴女の叫び声が、聞きたい」
涼しげなプール。ひぐらしの鳴き声。夏特有の夜の静かさ。蝉の声は小さくなった。もう、あの日はとっく昔に終わってしまった話だ。
「聞けるよ」
笑う。いつもの笑みで
「そして、言える気がするんだ。なぜだろうね」
そう言って前を向く。風が吹く。生ぬるい風が。その時。空に一本の線が登った。そして、弾けた。
「始まった」
花火は少し小さかったが、見ることができた。どんどん上がっていく花火。その光に照らされてる凪。暗いからこそ見える。凪の目には綺麗な花が咲いていた。
無言の世界で、私は前を向くことをあまりしなかった。なぜか引かれるその凛とした姿に私は目を奪われていた。
凪が目線をこちらに動かしてきた。見つめていたことがバレて急いで前を向いた。
隣に座る彼女の指が触れる。私の指に絡むように進んでくる。細い指だと思った。桜貝のついたその指は私の平凡な指に絡まっていく。私も応じるように指を動かしてその行為を許した。ふと、凪の方を見れば真っ直ぐな目がこちらを向いていた。恥ずかしくなったが、なぜか外せなかった。
無言の世界には、ひぐらしの鳴き声。風の音。そして、花火の爆発音。そして、私たちの心臓の音のみだった。
少し斜めに私に向かってくる顔に私も応じるように動く。静かに静かに、誰にも知られてはならないと。バレたら帰らなくちゃいけないから。怒られるから。青春は一瞬だ。バレなければ、回収すれば、なにをしてもいい。だから、これは。夏の思い出で。青春で。大人にはきっとわからない子供の無邪気さであると思う。これは、きっと大人になってしまう私たちにとっての最後の過ちなのだろうか。それとも、いや、わからない。でも、これは、きっと思い出で。明日には引っ張ってこない。そんな程度だ。頭の片隅に。脳裏に焼きつけて。心に染み込ませて。
花火は色とりどりに上がった。爆発音は夏特有の音で。これが夏だと主張していた。
ドンっと一番大きな音がネイビーの空に鳴り響けば大きな花が咲き、そして、唇には柔らかい感触。私はよくわからないからそれ以上動けない。私が考えていたのは、重ねるだけだったが。恋愛ドラマよろしく少し斜めにくっつけるなんていう技術は凪しか知らなくて。昨日の話を少し思い出した。
まだジメッとしている夏の夜。手汗がひどくなる重ねた指たち。風が吹く。
そっと離れる唇。そして、顔が見える。大きな花から小さな花が咲いては降る。たった少しの出来事は一瞬ではなかったか気がした。
そして、何事もなかったように前を向く。私もなにもなかったように前を向いた。不思議と嫌ではなかったし、なぜか何事もなかったかのように振る舞えた。凪があまりにもそう言った態度をとるからか。わからないが。ただ、唇の熱さだけは残っていた。空に、花火が上がった。プールに映る花火は波紋によって揺れていて、あの尻尾を思い出した。
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